第26話 「「神様、叶うならどうか──

 ……いや、疲れた。正直に言う。疲れた。

 帽子を買って写真を撮ってからの米里さんは無駄のない動きで次々とアトラクションの列に入っていった。やっぱり待ち時間はすごいので、量は回れなかったけど。

 体の向きと反対方向に進むジェットコースターに乗ったあと、あまりの恐怖に降りたあと足が笑って手にしていたスマホがすっぽ抜けてしまったり。

 ぐるぐると回転しながら宇宙空間を通り抜けていく乗り物では目を回したり。

 恐竜から逃げるような形で水を切って走るコースターではもろに水を被って大変だったし。レインコートは着ていたけど。

 時間ギリギリまで遊園地にいて、晩ご飯は大阪駅のお好み焼き屋。実は中学まで大阪にいたという班員の女子、本通さんが美味しくお好み焼きを作ってくれたり。

 なんてことをしていたらホテルに戻らないといけない時間ギリギリになって京都駅について。でも京都土産も買いたい、ということでない時間を無理やり割いて京都駅で大急ぎで生八つ橋とか色々買って。

 僕もこのタイミングで真白の晩ご飯を適当に買ったりして。

「あと五分でホテル着かないと怒られる!」

 京都駅を飛び出して米里さんが一言、そう叫んだ。

「灯がちゃっちゃとお土産選ばないからでしょっ!」

「さすがに修学旅行で反省文は俺勘弁したいからな」

 口々に文句を言いつつも、実際は笑いながらホテルまでの道を全力疾走する。

 ……高校生にもなって全力疾走って。

 さながら正月にある駅伝で繰り上げスタートを逃れるために必死に走るランナーのように、僕らはホテルに向かった。

「あと五秒遅かったら反省文だったぞ、お前らー」

 結果はギリギリセーフ。担任の先生の苦笑いとともに迎えられ、部屋に戻っていった。


 その日の夜。相部屋の三人が寝静まった後にこっそりと起き上がった僕は、かばんのなかにいる真白に向かって猫用のエサを振った。

「……晩ご飯どころか昼もまだでしょ? ……食べる?」

 寝ている彼らを起こさないようにひそひそ声で話しかけると、エサの匂いで気づいたのか真白はゆっくりと目を開ける。……そして瞳を輝かせてエサに食いつこうとする。

「……はいストップ、落ち着いて」

 好物に対してのアグレッシブさは人間のときでも猫のときでも変わらないんだな……。一緒に買った紙皿に猫のカリカリを少し流して、床の上に置く。

「……静かに食べるんだぞ」

「……ニャ」

 言葉が通じたのか、真白は顔を縦に振り僕が用意した晩ご飯を食べている。

 朝、置いていったパンはなくなっていたから、朝ご飯は大丈夫だったはず。でも、最悪それから何も食べられてないはずだから、相当お腹は減っているんじゃないだろうか。

 ……そこらへんの管理は甘かった。悪いことをしたなあ……。

 あっと言う間に皿にあげたカリカリを胃に収めた真白は、ぴょんとベッドに飛んで僕より先に布団に入る。

「……そこは僕の寝床なんだけどな」

 はいはい、僕も寝ますよ。

 真白の隣に横になって、僕も目をつぶった。

「……いて」

 もう眠ったみたいな真白の足がひっくり返ったのか、僕の顔に直撃したりもしたけど、すぐに疲れがあった僕も意識をベッドに沈めることができた。


 翌日三日目。この日は京都から東京のホテルに移動する日で、清水寺を回るとすぐに新幹線で東京に向かう。と言っても、途中の横浜で降りて、中華街で晩ご飯を食べてからホテルに向かうみたいだけど。真白はこの日も猫でカバンに入ったまま、僕と一緒に行動する。人間になる暇が最終日の空港までないからね。

 バスに乗って僕らは清水寺へ。ここも初日の奈良公園に負けず劣らずの賑わいを見せている。道が細くて、坂道が多い分か混みあって見えるのは気のせいだろうか。

 門の前でクラス写真を撮ってから、お寺のなかを自由に巡り始める。別に班で動かなくてもいいみたいなので、僕はぼっちでのんびりと散策していた。三重塔や数々のお堂を見てから、「清水の舞台から飛び降りる」の舞台で有名な本堂に入って、その高さを目の当たりにする。

 ……ガイドブックによるとこの舞台の高さは十三メートル。四階建てのビルに相当する。しかも山の急激な斜面も重なって、より一層下を見下ろすと恐怖を煽られる。

 ……そりゃこんな舞台から飛び降りるなんてかなりの覚悟が必要だよ。

 左手に見える音羽の滝の水も、それに並ぶ人も小さく見える。横に吹きつける風が体を揺らし、札幌と比べて暖かく感じているはずなのに寒気を覚える。

 ……そろそろ降りるか。

 音羽の滝の水でも汲んで、境内を出ようかな……。することもないし。

「……真白もそれでいい?」

 かばんからこっそり顔を覗かせて顔を青くさせている真白に僕は尋ねる。……見えてるから。

真白はスポっと音を立ててかばんのなかに隠れた。あれ、実は高いところ苦手なのかな。……東京の班別自主研修、スカイツリー行くことになってるけど大丈夫かな。

「いいんだね、はは」

 誰にも聞こえないようにそう微笑みかけて、僕は本堂を降りて音羽の滝の列につく。すると、

「あー、やっと見つけた。またひとりで歩いてる北郷君」

 ……ほんと、目ざといというか、なんというか。そこまで義理堅く僕のこと面倒見なくていいのにとすら思ったり。しかも、やっと、って。

 米里さんは僕のことを見つけると小走りで近づいては、後ろにつく。

「長生きの水飲むんだ」

 音羽の滝の水は、古くから「延命水」と呼ばれているようだ。飲むと長生きするとかしないとか。

「……まあ、来たからには」

「ふーん」

「な、何……?」

 興味深そうにチラチラとこっちを見てくるから、思わず反応してしまう。

「なんか北郷君、こういうのに冷めてそうだから」

「ははは……」

 率直な感想に僕は乾いた笑いを漏らす。そして僕らの順番がやって来た。僕は滝に向かって右の水、米里さんは真ん中の水を柄杓に汲む。秋口の滝の水は、冷え込んでいて触れる舌を刺激する。

「……これくらいは信じたほうが、人生楽しいでしょ」

 柄杓を置き、僕は一足先に滝から離れる。ほんとはかばんのなかの真白にも分けてあげたかったけど、米里さんがいるし、かばんに水を撒くわけにもいかないし。

「あっ、ちょっと待ってちょっと待って」

 そのままバスの方向に歩こうとすると、少し強引に僕の腕を取って、

「清水寺に来たのに、あそこ行かないのはないでしょっ」

「え? え?」

 困惑しつつ為すがままにいると、連れて行かれた先は、急坂にある石の階段。灰色の鳥居の先には、多分お寺のどの場所よりも修学旅行生が集まっている。

「じ、地主神社……って」

「恋占いの石、有名でしょ?」

 ……確かに、よく聞くけど。

「それに僕を連れてく理由ある……?」

「なんとなくだし、理由なんて必要ないでしょ? 修学旅行だし」

 垂れ目の瞳をこちらに向け、上目遣いにくいくいっと腕を引っ張る。

「そ、それは……まあ……」

「あっ、そうだ。じゃあさじゃあさ、私目閉じて石から石に歩くから、誘導してよ」

 いいでしょ? と鼻を膨らませ僕に言う米里さん。断ろうものなら何か言われること間違いなしだろう。……っていうか、こういうおまじないの類って同性の友達と一緒にするものじゃないの? ましてや、誘導を僕に頼むって、外から見れば完全に脈なしの可哀そうな男じゃん。……いいんだけどさ、周りからどう見えようと。

 しかも真白さえもかばんを引っ張って「やれ」と主張している。僕にだけ聞こえるように「ニャー」と囁いているし。わかった、わかったから。

「じゃあ、よろしくー」

 人混みのなか、手を振って僕に宣言する米里さんは、そうして目をつぶって両手を前に差し出してフラフラと歩きだした。

 ……けど、何をお願いしながら石から石に歩いているのだろう。

 清水寺のなかにある地主神社は、恋愛成就の神様として有名だ。僕でも知っているくらいには。

 そこに十メートルくらいの距離を挟んで本殿の前に置かれているふたつの石。それが恋占いの石。目を閉じて願い事を考えながら一方の石からもう一方の石へとたどり着くことができたら、恋が叶う、らしい。

「あ……そのまま真っすぐ、半分くらいまで来てる」

 ……まあ、恋愛成就の神様にまさか別のお願いをするとは思えない。米里さんも普通の女子高生なわけで、ひとつやふたつ叶えたいお願いがあるんだろう。

「……あと十歩、体ひとつ分左に寄って」

「はーい」

 目をつぶったまま、手探りで前に進む様はちょっと面白い。近くの人も、米里さんがやっていることをわかっているから、彼女の邪魔にならないように微笑ましい目で見つつ歩いている。……あと、同じ制服を着た人からも。

「あと五歩―、そのまま真っすぐでいいよー」

 段々近づいて来る米里さんに声をかける僕。そんな僕を、かばんからひょこり顔を出して見つめる真白。

「……何見てるの真白」

「ニャ?」

 バツが悪そうに鳴き、真白は複雑そうな表情をしてかばんのなかに引っ込んだ。

「あと三歩」

「よっし、ここまで来たら思いっきりいっちゃうぞー」

 至近距離に目的地が近づいたことで、思い切って足を踏み込んだ彼女は、手を目一杯伸ばして石に触れた。制服のスカートが飛んだ拍子に目の前に揺れる。

「よっし、触れたっ」

 その言葉と一緒に閉じていた瞳を開けて、僕の目前で垂れた優しいつくりの目を輝かせる。

「ありがとねー、付き合ってくれて、あ、北郷君もやる? 私も誘導するよ?」

「いや……僕はいいよ、別に、叶えたいこともないし」

「つまんないのー」

 ……ぼっちに恋の悩みなどあるはずないでしょ。

「あ、それじゃついでにお守りとか買ってこうよ」

「……はい?」

「人生でそう何度も来る場所じゃないし、やり残しはないようにしないとねー」

「あ、ちょっと」

「いいからいいから」

 そう言うと米里さんは奥にある販売所へと駆けていく。僕の手を取ったまま。

 ……もうここまで来ればなんでもいいや。仕方ない。

「……ニャー」

 今日は真白、頻繁に顔を出すなあ。どうかしたのかな。

 結局その後、お守りを買わされて、一緒にお参りもさせられた。文面だけ見ると怪しいものがあるけど。神社を出る米里さんは、ちょっとだけ僕に声をかけたときよりも機嫌よさそうにバスのある駐車場へと歩いていた。

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