第25話 いいなぁ、の気持ち
翌朝。僕が起きる前に真白は自分でかばんに戻ったみたいで、目覚めると感じていた温もりはぽっかりと空いたように消えていた。それならそれでいいんですけどね。
バイキング形式の朝ご飯だったから、僕はパンをこっそり袋に忍ばせて真白のために持って帰った。端から見ればただの食いしん坊だ。
朝ご飯が終わって、みんなが自主研修に出かけるため部屋を出たのを確認してから、持ってきたパンをベッドの横にある台に置く。真白をカバンから引っ張り出しては、
「朝ご飯ちょっと持ってきたからこれ食べて。夜は何か買ってくるから、それまで我慢してね」
とだけ言い残し真白の頭をごしごしと撫でて、僕も部屋を出た。
「あ、やっと来たよ北郷君。遅いよー」
一階のロビーに降りると、待ちくたびれていたような米里さんと、残りのふたりが僕のことを出迎えた。
「ごめんごめん」
部屋の鍵を先生に預けてから三人のもとに入ると、
「じゃ、早速行きましょー」
多分米里さんにとっては一番楽しみにしていたのだろう、朝からハイテンションで彼女は京都駅へと向かいだした。
京都駅から大阪にある遊園地までは電車で約五十分。クロスシートの新快速とロングシートの普通電車を乗り継いで、到着した最寄り駅。……路線名がゆめ咲線なあたり、ここも夢の国と称していいのだろうか。
こういう類の遊園地って、平日だろうがなんだろうがそれなりに混雑しているのが常みたいで、僕らがエリアに足を踏み入れたときは見渡す限りに人、人、人。大はしゃぎの子供を連れた家族連れに、大学生くらいの集団、僕らと同じ修学旅行生、外国人の観光客、などなど。
実際の映画のセットのように作られた街並みは、自分たちが本当にエキストラか何かなのではないかと錯覚さえさせてくれる。今からいきなりゾンビとかサメが襲ってきてもまず撮影かなって思うくらいには。
ホテルから電車から今までテンションが最高潮の米里さんは、一言、
「着いたー!」
と叫ぶ。……でも、叫んでも恥ずかしくないほど人がいるから凄い話だよね。
そんな彼女をこれまた温かい目で見ながら追いかける僕ら三人。
「さ、まずはあれを買わないとっ。はやくっはやくっ」
……十七歳児か十六歳児か知らないけど、年不相応にはしゃぎまくっている米里さんは、エリア内に入ってすぐのところにあるショップに入っていく。僕らは苦笑いを合わせながら、後をついていった。
「やっぱりここに来たら帽子を買わないとねー」
そうして彼女は頭にかぶるキャラクターグッズを物色している。……なんか毛がもじゃもじゃした感じの帽子に、可愛らしい目がふたつついている。そういえば、そんなのをつけている人も見たな。
「……全員買うの?」
僕は楽しそうにグッズを選んでいる米里さんに尋ねると、即答で「当然」と返ってきた。
……理解しました、はい。
「あー、北郷君はこれがいいと思うよ」
仕方なく、店内を回っていると、米里さんはもこもこの外見に猫耳のような形で目がついている赤色のキャップを僕に手渡してきた。
「こ、これ……エル──」
「普段テンション低いから、これくらいはっちゃけないと」
……他の三人はキャラクターが描かれた普通のキャップを選んでいるのに、僕だけ陽気な感じになっている。
「……これじゃないと駄目なの」
「うーん、そうだね。じゃないと面白くない」
面白くない、面白くないって。
何でもないように米里さんは言うけど僕にとってはハードル高いからね。
「……僕もみんなと同じようにシンプルな帽子が」
「どうせここで普通の帽子買っても今後被らないでしょ? だったら思い切らないと」
それは僕だけじゃなくてみんなにも言えると思います。
「あーもう、グダグダ言わない、早く決めないとお店が混んできて邪魔になっちゃうよー」
理不尽だ、あまりにも理不尽だと思います。しかしかといって他に買いたいものがないのも事実なので、渋々僕は毛むくじゃらな帽子を受け取って、
「わ、わかったよ……」
班員ふたりが並んでいるレジの列へと歩き出した。
「あ、園内いるうちはその帽子被るんだよー」
「……はいはい」
その後、外に出て自撮り棒を掲げた米里さんに「もっと笑って北郷君」と怒られたことは、僕の予想を裏切らなかったとともに、やっぱり恥ずかしい思いに繋がった。
〇
「……やっぱり退屈ですねー」
ベッドが四つ、正方形を描くように並んだ、誰もいない部屋。人間の姿の私は優太さんが使っていたベッドに横たわりながら持ってきていた本を読んでゴロゴロと過ごしています。
今日は一日中班で自由に観光をする日みたいで、優太さんの班は遊園地に行くと言っていました。
色々ジェットコースターとかそういう類のものに乗るみたいなので、さすがに猫の私を連れて行くことはできなくて、私はお留守番、ということになりました。今日だけの我慢なので、いいんですけど。
「お腹も空きましたし、ご飯にしましょう」
優太さんが恐らくこっそり用意してくれたパンを朝ご飯に食べて、お昼過ぎの今は自分でも持ってきていたお菓子をもぐもぐと食べます。事前に打ち合わせをした段階で、二日目のご飯がどうしようもなくなりそうなのは予想がついていたので。部屋を出て買い物に行くわけにもいかないですし。
でも……、
「お菓子よりも家で食べるご飯のほうが美味しいなあ……」
わがままを言って修学旅行について来たのは私なので、これ以上は贅沢だとわかっています。でも、かれこれひと月近く食べてきた優太さんの作るご飯がもう恋しくなっています。
「それに……今頃はお隣さんと遊園地かあ……楽しそうでいいなあ……」
ふと、アトラクションを楽し気に回るふたりの姿を想像します。いや、優太さんのことだから楽しそうなのはお隣さんだけかも。きっと他にも一緒に回る人はいるんでしょうけど、これに近い光景が現実になっているんだろうなあって、思います。
いいなあ……?
今、私、いいなあって思いました?
……変ですね、これで私の狙い通りのはずなのに。
もともと風邪をこじらせて困っている優太さんを助けるのが、きっかけかつ短期的な恩返しのひとつでしたが、お隣さんの様子を見てこれはふたりをくっつけるしかないと決意して長期的な恩返しをそれにしました。
きっと、優太さんがひとりじゃなくなることに、繋がると思って。
今の時間はまさしく私の恩返しに役立っているはずなのに、どうして……。
すると、ベッドに腰かけてお菓子を食べていたはずの私は、いきなり体の感覚が揺れ始めます。
「え?」
この感じ、人から猫になるときの感覚だけど……。
今、猫になろうなんて思ってないです。
思いがけず軽くなった体の制御が一瞬できずに、モヤを立てたままふかふかのベッドに倒れ込んでしまいます。
「ニャニャ?」
……自分が発する声が、猫語になってる……?
どうして……。
なんて思っているうちに、また勝手に感覚がふわふわとし始めて、元の人間の体に戻ります。何も着ていない状態で。
「わわっ」
誰か来ることはないとは思いますが、私は慌てて落ちていた自分の服を着て、一度落ち着こうとします。
「……一体何が起きているの?」
最近、どこか心がキュウと音を立てるときがある。この間、優太さんが自分の昔のことを話してくれた日も。
あの日は思わずベッドに入って、慌てて猫に切り替えたんですが。
この気持ちと……今、意図せず猫と人間を行き来したことに何か関係があるのでしょうか?
「……早く帰って来ないかなあ」
そのときは、もう猫でいないといけないんですけど。
私は今の出来事に疑問を覚えつつも、ひとまず読んでいた本の続きをめくって、引き続き時間を潰すことにしました。
窓の外から、優太さんと同じくらいの年の人の声が賑やかに聞こえてきた頃に、私はお菓子のゴミをゴミ箱に捨てて、読んでいた本をしまってから優太さんのカバンのなかに隠れます。
それから少しして、部屋のドアが開けられる音がしました。
帰ってきた……のかな?
〇
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