第10話 おさかなさんとおとなりさん

 買い物かごを持って、食料品売り場を巡る。風邪を引いている間、一切買い物ができなかったので、冷蔵庫のなかは正直壊滅的だ。ひとり暮らしだと一度にたくさん買いすぎても腐らせてしまうこともあるので、少量をこまめに買い続けることが多かったから尚更。

「そういえば、真白が来てから特に歓迎的なことをしてなかったなあって」

「いえ、いいんですっ、そんな気を使わなくてっ」

 顔の前で小さな手をフルフルと振る真白。そんな僕よりひと回り小さい手でも隠れてしまう顔も恐縮そうに困り眉を描いている。

「といっても、ね」

 僕は野菜売り場から二分の一にカットされた白菜や、ほうれん草、もやし、えのきやにんじんをかごに突っ込んでいく。

「……寒いし、今日は鍋にしない?」

「お、お鍋ですか?」

「うん。実を言うと一度家に帰って時間食っちゃってるから料理する暇も気力も失せていてね。鍋なら野菜切って鍋に入れるだけだし、楽だからね。なのに豪華に思える。うってつけだと思わない?」

 さらに移動して木綿豆腐も一パック入れる。

「いいですね、お鍋、そういうことなら賛成ですっ」

 隠れていた顔がまた全部映る。隣には、真白がニカっと幼さが残る無邪気な笑みを作っていた。

「さ、野菜はこれくらいでいいとして……」

 少しくらいは肉とか買わないと……。さすがに牛肉に手は出ないけどね。

 次に精肉コーナーに向かおうとしたのだけれど。

「……真白? どうかした?」

 あるところをポイントに真白の足が止まってしまった。まるで、天国にいるかのような、恍惚の表情を浮かべている。

「優太さん……ここは、夢の国ですか?」

 夢の国なら千葉県にあると思うけど……僕は行ったことないけどね。

 真白が立ち止まったエリアを見て、納得した。

「こんなにいっぱいお魚さんがいるなんてっ、ううー、夢みたいですー」

 彼女のもとは猫。猫は魚が好き。証明終了。

 今にも陳列されている魚の山にダイブするのでは、と内心ヒヤヒヤしてしまう。そのときはすぐに他人の振りをさせていただきますので悪しからず。

「美味しそう……」

 ねえ、今じゅるりってよだれ飲み込んだよね? 聞こえたよ? 僕に聞こえるレベルの大きさだったよ?

「……あれだったら、鍋の具材にする?」

 このままだと本当にダイブかお魚泥棒になりかねないと踏んだ僕は、真白にブレーキを踏ませるべくそんな提案をする。

「いいんですかっ?」

 すぐに真白の表情は恍惚から歓喜に切り替わる。……うん、素直。

「つみれとか入れてもいいし、鮭を入れれば石狩鍋だし……まあ、なくはないんじゃないかな」

 多少手間は増えるけど、大したことでもないし、肉を買うより安上がりだ。

「いしかりなべっ?」

 ……恐らく味を想像しただけで本当の夢の国に旅立たれたようだ。僕は無言で塩鮭を二尾かごにそっと置き、意識をトリップさせている真白の手を引いて次の売り場へと向かっていった。


「あれ? 見渡す限りいっぱいのおさかなさんは? ワンダーランドはどこへ?」

 真白が現実へお帰りになられたのはそれから五分後。パン売り場で六枚切りの角食……食パンを掴んだとき。いけないいけない。方言が出てしまった。……まだ二年目なのに、染まるものだなあ。

 ……東京に住んでいた僕は、いわば無色透明だっただろうから。決していい意味ではなく。純粋とか、そういったニュアンスではなく、ただの無。空っぽ。

 そりゃあ、簡単に染まってしまうだろう。札幌の暮らしは、決して悪くないし。祖父が生きていたときも、亡くなってからも。

「ちゃんと魚は買うから大丈夫だよ。そのかわり肉はなしで」

「はっ──鮭が二尾も……はわぁ……」

「だから倒れない」

 かごに入っているものを見て再び未知へのトラベルを始めそうになった真白の背中を留める。

「す、すみません、私ったらつい……」

 我を失っていたという自覚はあるのだろう。雪のように白い肌が溶けそうなくらい頬は熱を帯びている。

「……ほんとに魚が好きなんだね」

「生きがいと言って過言ではありませんっ」

 ふんす、と鼻を膨らませて自信たっぷりに断言する真白。褒めているわけではないんだけどな……。

 最後に真白お好みのパック切り餅と、ストロベリー味のアイスクリームも買い、さらに真白の目がキラキラと輝いたのは、言うまでもないと思う。


 会計も済ませ、マイバックに食材を詰め込んでいく。

「さ、帰ろうか。もう五時だし」

 そして、スーパーの建物から出ようとしたとき。

「あれれ、北郷君? また会ったねー」

 この冬何度目のフラグ回収だろうか。あちらは学校帰りなのだろう、制服の上に青色のダッフルコートを羽織った米里さんが僕の姿に気づいてしまった。

「げ……真白っ、ちょっと遠くをフラフラしていて」

 このままではまずいと判断した僕は、すぐに横を歩いていた真白にそう言って難を逃れようとしたけど。

「ほわぁ……今日はおさかなさん……」

 き、聞いてないしいい!

 ブルンブルンと真白の体を揺さぶって、意識を取り戻させたときにはもう時すでに遅し。

「北郷君も買い物……? ってあれ? 隣の子、知り合い?」

 ……ああ、終わった。僕の高校生活がガラガラと崩れ落ちる音が聞こえるよ。もともと崩れるようなものがないと言われたらそれまでだけどさ。

「……へ? あ、えーっと、うん、知り合い……」

 多分真白を揺さぶったのも見られているから、これで他人ですと言い張るには無理がある。仕方ないので僕は諦めて知り合いの方向性でどうにかすることにした。

「すっごい可愛い子だねー、髪の毛サラサラそうだし、顔も小さいし。北郷君こんな知り合いの子いたんだーへー」

 なんか棒読みな気がするのは見当違いでしょうか。

「でも、学校にいたっけ? いたらいたですっごく目立ちそうだけど」

「……別の高校の子なんだ」

「北郷君、他校に知り合いなんていたんだ。帰宅部なのに?」

「……ぐ、偶然の一致っていうか?」

「知らない女の子と話すようなコミュ力ないよね?」

「……あれだよ、きっと奇跡が起きたんだよ」

「奇跡みたいに可愛い女の子に出会って奇跡みたいな力を発揮したんだね?」

 ……いや、言ってしまえばその言葉、正解なんです。力を発揮したのは女の子のほうですけど。

「……とりあえず、そういうことでいいです……」

 もう手の尽くしようがないから誤魔化しようがない。米里さん、ここぞとばかりに僕のことディスりすぎだよ……。

「ふーん……。親戚ってわけでもないだろうしね、北郷君実家東京だし。おじいさんもこんな可愛い子いたら『親戚にめんこい子がいてねぇ』って私に話すだろうし」

 祖父の口調そのままに米里さんはジーっと目を細め値踏みするような視線を真白に向ける。

「私、米里灯。あなたは?」

「へっ? あ、真白です」

「珍しい名字なんだね。ふーん」

 ……名字って思っているならそれでいいや。どのしろ真白に名字なんてものは存在しないから突っ込まれると苦しいところではある。そのときは強引に僕がねじ込んでこの場を凌ぐつもりだったけど。

「じゃ、じゃあそろそろ僕帰らないとだからっ、じゃあね米里さん」

 これ以上彼女と話していると真白が手ぶらなことに気づかれてしまいそうだ。早いところ撤収するのが吉とみた。

「え、まだ話は──」

 引き留めようとする米里さんを無視して、急いで僕はスーパーを出る。後ろを見ると、よかった、真白も何も言わずについてきてくれている。

「とにかく、米里さんに見つからないうちに早いところ家に帰ろう。一緒に家に入るところを見られたらそれこそ大変だから」

「はっ、はい──でも、これってなんだか」

 スタスタと早歩きで家に向かう僕に、真白が何やら言いかける。

「駆け落ちみたいですねっ」

「ぶっ」

 真白が言ったとんでもワードに反応した僕は、見事に雪道をすってんころりんと転んだ。

 い、一体どこでそんな言葉を……? もしや件の人間観察での怪しい若いカップル、駆け落ちしてたのか……?

「だっ、大丈夫ですか?」

 いてて……やっぱりしっかりした冬靴履いても履いている本人の技術が伴ってないと駄目だね……とほほ……。

 マイバックをお腹に抱えるように尻餅をついた僕は、心配そうに見つめて差し出された真白の右手を借りて立ち上がる。

「だ、大丈夫……さ、とりあえず帰ろう」

 ……真白は、なんてことないように雪道を歩くなあ。札幌歴は真白のほうが長いのか。だったら当たり前か。

 少し急いで帰ったことで、なんとか米里さんに目撃されることなく家に着くことができた。完全に夜の帳が降りた街に、ちょうどその頃からチラホラと雪が舞い落ち始めた。



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