第8話 支払いはハイリスクノーリターンの真白ペイ。
「別に前だって頭だって言ってくだされば洗いましたよ?」
「……そもそも一緒にお風呂入るのをいいと言った覚えはないよ」
「そうなんですか?」
ポカンと口を半開きにしつつ、真白はリビングで湿った銀色の髪にドライヤーをかけている。真白曰く、使うのは初めてらしいけど、やはり観察で培った力は凄い。
ただ、どうしても熱いものは苦手なようで、一番強いターボではなく、二番目に強いセットを使って髪を乾かしている。
「ふにゃあ……」
猫らしく、毛づくろいもとい、髪の毛をいじるのは好きみたいだ。お風呂場でも聞いた幸せそうな声と緩んだ頬がそれを物語っている。
僕は冷凍庫からアイスを二個取り出して、
「真白、食べる?」
彼女にそう尋ねる。
「アイスですかっ? 何味なんですかっ?」
「えっと……バニラとストロベリー」
「でしたらストロベリーでお願いしますっ」
「そ、そう、わかった」
はしゃいでいる真白の前にストロベリーのカップアイスとスプーンを置き、彼女の正面に座って僕は残ったバニラアイスを食べ始める。
少し牛乳っぽい風味がする濃いめのアイスのようだ。うわ……こういうアイス食べると炭酸飲みたくなるんだよなあ……。でも晩ご飯食べた後にアイス食べてしかも炭酸まで飲むと体によくなさそう……。ここは麦茶で我慢しておくか。
真白もドライヤーが終わったようで、脱衣所に戻してからアイスを置いたテーブルに再びつく。
「これがアイスですね……楽しみですっ」
紙のフタをパコンと音を鳴らして外し、ビニールの内ふたもはがし、薄いピンク色をしたアイスをスプーンですくって、
「……はふ、お、おいしいですぅ……」
左頬を押さえつつ目を細めて真白はそう言った。
「人間になってから美味しいものたくさん食べられて幸せですぅ……」
「そ、それはよかった……」
……また今度、アイス買ってきてあげるか……。これ、一番安いアイスだし。
お風呂上がりのアイス、冷たいものを食べているはずなのに、どこか心の隅は火照っている、そんな気がした。
次の月曜日。やはり僕は部屋の壁越しに伝う台所の料理音で目を覚ました。時刻は朝の六時半。いつもと同じくらいの時間だ。
……祖父が生きていたときも、朝から料理をする、ということはなかった。せいぜいパンを焼いて、マーガリンかジャムを塗ってサラダと一緒に食べる。それくらい。
札幌に引っ越す前の東京の実家だってそうだった。むしろもっとひどい。帰ってきた音で目覚めるから。
こんな、火と油がはねるなんて優しい音は、僕の家では聞くことができなかったんだ。
「……おはよう、真白」
「あ、おはようございます、優太さん」
首をグギグギ音を立てて回しつつ台所に出た僕は、冷蔵庫から牛乳を取り出してマグカップに注ぐ。
「今日は学校行くんですよね?」
例のごとく、フライパンの上で目玉焼きを作っている真白は、目線をこちらに向けることなく尋ねる。
「うん、行くよ。パンは一枚でいい?」
コップ一杯の牛乳を一気に飲み干して、戸棚のパンをつかみ取る。
「はい、一枚でいいですよ」
真白はもうパジャマから着替えていて、ジーパンにシンプルな白色のワイシャツを合わせていて、その上にエプロンを着けている。
「……思ったけど、真白って白色の服好きなの?」
昨日も一昨日もトップスは白色だった気がする。
「そうですね、やっぱり名前が真白なんで。それ以外は嫌だなーって。へへ」
変わらず目線はフライパンに、でも少し緩んだ表情を僕は捉えた。
「それに、せっかく優太さんから素敵なお名前貰ったので、白にはこだわりたいというか」
「……当の本人は毛の色が白ってだけで名前をつけたんだけどね」
真白はすごく気に入っているみたいだけど、理由はそれだけの適当具合。そもそも野良猫だから、よそのお家では別のお名前がついているはず。それか名前がないか。
「……それでもいいんです。名前を頂けるだけで、幸せなことなんですから」
「そっか……」
トースターに放り込んだパンが焼きあがった。それと同時に、
「目玉焼き出来上がりましたよっ。先に食べちゃってください。私まだすることがあるので」
彼女は僕が持つパンの上に器用にこんがりとした目玉焼きを置く。
「……ん? まだ何か作るの?」
朝ご飯はいつもこれとサラダだけだけど……。
真白は野菜室からさらにトマトやレタスを持ち出している。
「学校に行くなら、お昼が必要ですよね? サンドイッチ作ってみようかなって」
「……え、そんないいよ、購買でいつも買ってるし、そこまでしてもらうのは悪いし」
「いいんですいいんです。私がやりたいだけなので」
結局彼女は焼いていないパンを半分に切り、パンとパンの間に具材を挟んでいく。それをさらに三角形に切って、ラップに包んでいく。
みるみるうちにサンドイッチの輪郭が整っていく。……何が凄いって、彼女はそれを見ただけでやっているということ。
「……できた、と」
そしてものの数分で真白はサンドイッチをお弁当箱のなかに詰めて、どこにあったのか水色のバンダナで包んでギュッと縛っている。
「はい、持っていってくださいね? って、あれ、まだ食べてなかったんですか?」
僕はその間、ボーっと彼女の姿を眺めたままパンと目玉焼きを持って突っ立っていた。
「あ、いや……うん。今から食べます」
「ふふ、結局一緒に食べることになっちゃいましたね」
口元を押さえて、可笑しそうに微笑んでみせる真白。細めた瞳と、揺れる長い銀色の髪が、少しだけ煌めいて映った気がした。
約一週間ぶりに制服に袖を通して、上にダッフルコートを羽織って僕は家を出ようとする。
「それじゃ行ってきま……す?」
ここで僕はふたつの違和感に気づいた。
まず、学校に行くときに「行ってきます」と言いそうになったこと。祖父が亡くなって以来、この言葉を口にしたことはない。
そして、その「行ってきます」の対象であるはずの真白がいないこと。
「……ま、真白? 僕、学校行くからね……?」
全く気配のしない無人の家に、少し不安になりつつもとりあえずそう口にする。
「ニャー」
「……え?」
すると、代わりに聞こえてきたのは猫の鳴き声。和室の少しだけ開いた戸の隙間から、白猫の真白がスタスタと出てきた。
「ま、真白……?」
彼女は悪びれもせずに近づいてきて、靴を履くため座っていた僕の背中をよじ登り、コートのフードのなかに入り込む。
「もしかして……学校についていくつもり?」
「ニャー」
……このニャーは理解できた。肯定の意を示しているに違いない。
嘘だろ……?
「さすがに学校に猫を連れて行ったら怒られるから駄目だって」
僕ば後ろ手にフードに入り込んだ真白を引きはがそうとするけどなかなか捕まらない。右へ左へ奥へ手前へとかわしてくるからなかなか大変だ。
「仕方ないなあ」
一度コートを脱いで、真白を床にそっと置く。しかし今度は僕の冬靴を咥えてしまう。
「……いや、返してもらわないと僕、学校行けないんですけど」
「ニャニャ」
……靴の代わりに学校へ連れて行けと。
「はぁ……わかった、わかったから。それなら土曜日と同じ手提げかばんを持ってくからそこに入って。ただ……間違っても教室のなかで声上げたり顔を出したり動いたりしないでよ」
「ニャアー」
「伝わっているのかな……」
多少どころか結構な不安を抱えることになったけど、そろそろ家を出ないと遅刻してしまうのも確か。仕方ないからこの間と同じ要領で真白を連れて僕は学校に行くことになった。
……なんで学校行きたがるんだろう。
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