第2話 天使の恩返し
そして現在に至るというわけ。
僕は何がどういうわけでこの場にいるかわからない女の子に四日間着替えることができなかったパジャマを脱がされ、温かいタオルで体を拭かれている。ちなみに、女の子はタンスから僕のシャツを一枚適当に借りたみたいで、上半身からふくらはぎの部分くらいまでは薄い布一枚で隠されている。それ以外に何を着ているかは知らない。というか知りたくもない。
「よしっ。じゃあ、汗も拭いたことですし、新しいパジャマに着替えちゃいましょう。はい、どうぞっ」
彼女はニコニコと人懐っこい笑みを零して、体を起こしている僕に別のパジャマとシャツ・パンツを手渡す。
……着替えさせてくれるのは非常に助かるんだけど、さすがにそろそろ彼女が誰か聞かないと……。これまで薬を飲ませてくれて、スポーツドリンクを冷蔵庫から引っ張り出してきて飲ませてくれたり、氷枕用意してくれたり、りんご剥いてくれたりと至れり尽くせりなんだけど。彼女が一旦部屋の外に出ている間に着替えを済ませる。ややもして、彼女はまた戻ってきた。
「あ、あの……聞きたいんだけど、君は……誰?」
「え?」
僕の問いに対して、ベッドの側に座っている彼女はきょとんと首を傾け、薄桃色の唇に真っ白い指を添える。冷静に落ち着いて見ると、この女の子、かなり可愛い。まず腰の高さまで落ちている銀色のロングヘア―。猫毛っぽくきめ細やかそうな髪質は見ているだけでサラサラしているんだろうなと想像できてしまう。眉毛に雪が積もったかのごとくちょこんと乗っかる前髪の分け目から見える猫っぽいくりっとした瞳は大きく眩いていて、それに反比例するように小さな顔がとどめを刺す。
「私ですよ、私。真白です、名前をつけたの優太さんじゃないですか」
そして彼女の返答も僕にとどめを刺す。おかしいな。僕の知っている真白は白い毛を持った小さい猫だったと思うのだけど。こんな美少女を真白と命名した覚えは一切合切ない。
それにどうして僕の名前を知っているのだろうか。教えた覚えはないのに。
「……うん、確かにいつもここに通っている猫を真白と呼んではいたけど、君を真白と名付けた記憶はないよ」
「だーかーら。私がその真白なんですって」
「……何言っているの?」
長い間高熱で寝込んでいたからおかしくなったのかもしれない。やっぱり早く治さないと……。
「もう、察しが悪いですねー」
なかなか状況が掴めない僕にしびれを切らしたのか、真白と自称する彼女はすっと立ち上がり、細く綺麗に伸びた足を僕に見せつける……ってやっぱりシャツしか着てない……。
「仕方ないな、それっ」
なんて思っていると、彼女のその一言と同時に周りにモヤが立ち込めて来て──さっきまで感じていた人の気配がなくなる。
彼女が立っていた場所には、さっきまで着ていたダボダボのシャツと、
「ニャー。ニャニャニャ?」
「……真白だ」
見覚えのある白猫一匹がちょこんと座っていた。なにひとつ他の色を染めない純白の毛に、ふるふると揺れている尻尾、少し垂れている耳まで同じ真白だ。
え? 今、人が猫になったってこと? 何が起きているの……?
またすぐに真白の周りからモヤが回り始め、少しすると、また銀髪の美少女が隣に立っている。ダボダボなシャツをぎこちなく身に纏った形で。
「どうです? 理解してくれましたか?」
自信ありげに鼻を膨らませ言う彼女。
「……君がとりあえずとんでもない何かであることはわかった」
人間と猫と姿を変えられるなんて只者ではないだろう。やっぱり熱のせいだな。薬も飲ませてくれたことだし、ここは寝ておくに限るか。
「あ、ちょちょっ、待ってくださいまだ寝ないでください、ちゃんと説明するんで」
頭から布団を被ろうとした僕を見て、慌てて彼女は布団を剥いでくる。僕病人なのに……。
「……で、その説明とやらは」
仕方ないので上半身だけ起こして僕は話を聞くことにした。
「まず、前提として。私、天使なんですっ」
「…………」
やっぱり寝たほうがいいかな……。
「ああちょっと寝ないでください待ってくださいって」
彼女はにたび僕の布団を剥いで、少しむくれたように頬に風船を作る。
「いきなり天使だと自称されて正常でいられる理由を知っているなら僕に教えて欲しいんだけど」
これ以上話を聞かない意思を示すのもややこしくなりそうなので、僕はとりあえず体を起こしたまま話の続きを促す。
「そんなこと言われても……私も生まれたときから天使として生きているので、これ以上言いようがないんです。天使は色々な動物として普通に生きていて、私はさっきの白猫として生活をしているんです」
はあ……。なるほど。
「じゃあ、そこら辺を歩いている犬や飛んでいる鳥とか、ありとあらゆる生き物にも天使として生きているものがいるってこと?」
「そうですっ。理解が早くて助かります。勿論、人間として生まれて生きている天使もいますよ。普段は何も特別なことをせずに、普通に暮らしているのが慣例なんですが、何か困っている生き物を見かけたり、逆に自分が助けられたりしたら、手助けやお礼をするのが役目なんです」
……まあ、言いたいことはわかった。
「それで……じゃあ君は僕に何をしようっていうの?」
その質問を待ってましたとばかりに、真白は自分の両膝を叩いてキラキラとした笑みを僕に向ける。
「そこですっ。はい。北郷優太さん。……私は、あなたに恩返しにやって来ましたっ」
「……恩返し、って?」
「去年の冬、川の近くで怪我をして寒さに震えていた私を保護して、家に連れて行ってくれたじゃないですかっ。おまけに食べ物までたくさんくれて、あの日の施しを忘れることはできませんよ、私っ」
「ああ……そんなこともあったね」
学校の帰り道に、たまたま足を引きずっている真白を見かけたから家に一旦引き取って、二・三日様子を見たんだっけ。
「それからというもの、いつかこの恩を返そう返そうと思って優太さんのお家に一年間通っていたら、今日、何やら苦しそうに寝込んでいたので、こうして人間の姿になったというわけです」
ふんす、と息を吐いて自信たっぷりな様子で彼女は言い切った。
「……君の意図はわかったよ。で、こうやって僕のことを助けて恩返ししようと」
「はいっ。『恩返し』をするしばらくの間、私は人間と猫の姿を自由に変化できるようになります。なので不肖真白、命の恩人である優太さんのことを助けさせていただきますっ。さ、優太さん、次は何をしましょうか?」
うん、とりあえずこの側にいる子が僕に危害を加えるつもりがないならもういいや。これ以上考えるのはやめよう。実際目の前で猫から人、人から猫に変化しているわけだし、彼女の言っていることは本当なのだろう。それでいい。それでいいから、
「……とりあえず、寝かせてくれないかな……」
彼女の看病のおかげで、少し体が楽になった……、けど。今は休ませて欲しかったりする……。
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