十六話 過去


 仲間とはぐれたボク。誰も隣にいない。歩美も隣にいない。


 そして今現在、連絡を取り合うツールがない。誰にも連絡が取れない。

 娯楽会場の周辺を走るのは危険だ。いつ、銃声を鳴らした主が出てくるか、判断できない。

 どうしようもなく、どうにもならない。

 停滞。

 停止。

 止まる。

 白紙。

 何もかもが、分からない。

 ここから何をすればいいのか?

 零になってしまった感覚。

 目的が消えた。

 考えろ。

 考えろ。

 歩美を今から、助けるべきか? NOだろう。あの中に――ボウリングの場所にいれば歩美は手遅れだ――すでに殺されているだろう。それに、ボクは涼の考えに従って、娯楽会場から脱出したのだ。

 結局、あのボウリング場に戻っても歩美は助けることはできない。

 そしたら、そしたら歩美を助けられないから――


「ボクは、解放される……」


 現実感は、まったくない。あれほど、縛りに縛られ、絞りに絞られ、終わりのない終わりの、果ての果てまで続いた――歩美ちゃんではない何かとボクの二人の終わらない物語が、この程度で終わるのか? そんな疑問。


 歩美何かが殺されればボクは幸せかどうかは兎も角、間違いなく解放される。束縛から解放される。歩美何かから解放される気持ちよさのは、あまり記憶にない。だから、どの気持ちが――どういう気持ちが自由ということなのか理解できていない。まさにボクは欠陥品。感情をほとんど理解できない化け物。歩美何かも化け物だろうが、ボクも同等の化け物だ。そんなこと、とっくに理解している。何せ、長い間、ボクは自分を人間と置換できない。友達はいても、種族を超えた友達同士だと思ってしまう。それは何か歩美の影響があまりに尋常だから。


 ボクと歩美何かの物語は最悪の数々だ。

 例えば。

 ボクと歩美以外のクラス全員が死ぬ惨劇。

 例えば。

 公園で遊んでいたとき。そのときいた人たちは、ボクと歩美を残して、次々に殺人鬼に殺された惨劇。

 例えば。

 最悪な人間に出会ったとき。そいつに気に入られてしまったこと。

 例えば。

 例えば。

 例えば。

 例えば。


 きりがない。

 だからこそ、思うのだ。

 ボクと歩美何かの最悪な物語は、この島に訪れた程度では――最悪な島と最悪な人々がいる程度では終わらないことを、経験から理解している。


 ならば。

 ならば、今回のこの島では一体何が起こるのか? 簡単だ。

 ボクと歩美を皮切りにしてかつての幼馴染が死ぬか、あるいは有原小島にいたアイツらが死ぬか、または両方か、だ。

 いや、もしかしたら、ここでは――この島ではもう、人は死なないかもしれない。

 右助の手によってだろうが、十数人の命が既に吹き飛んで、瓦礫の下敷きとなり、死んだ。あれで終わり、それでいいんじゃないだろうか。

 あれで終わりでいい。あれが終わりであってほしい。あれこそが一旦の幕引きでいい。それから先がどうなろうが知ったこっちゃない。

 とにかく、今、有原小島では、これで終わりがいい。ボクの縛られて絞られて終わりのない物語は終わらなくてもいいから、有原小島での最悪物語はここで終わってほしい。そう思う。心の底から思う。

 人が死ぬ――ボクの近くにいれば人は死ぬ。それは、歩美ちゃんが歩美ちゃんではなくなったことによって、発生した理不尽な災厄。

 ボクが引き金で、歩美ちゃんは被害者だ。人が死ぬことに、ボクはそろそろ慣れてきている。それは、間違いなく、間違いようのないこと。だがしかし同時に、それは間違いなく、人間からかけ離れていることを意味する。人間の心がすり減っていることを体験している。感情が消え去ろうとしていることを理解しかけてしまう。相手が死ぬことを平然と平気で受け止めてしまう。

 それはまさしく、最悪。最上に最悪で最強に最悪で最終に最悪で異常に最悪で異様に最悪で異質に最悪で――ホワイトデビルに近づきすぎている。


 ボクは目的もなく、走る。

 どこに行けばいいのか、わからない。

 目的地はない。到達すべき場所がない。右往左往することもなく。無意識に、歩みを進めているだけ。


 もしも死体があっても驚かないかもしれない。それがたとえ幼馴染だろうと、驚かないかもしれない。誰が死んでいようが死んでまいが、ボクは絶望しない。否――絶望はずっとしている。歩美ちゃんではない何かと接している時点で、ボクは絶望しているのだろう。人間としてどうにかなってしまった彼女――どうすることもない彼女。手の施しようのない彼女。ボクは歩美ちゃんをそのようにしてしまった。





 もう、五年以上は前だろう。

 歩美ちゃんはボクと遊んでいた。遊ぼうと誘ったのはボクだ。だから最悪な事態が起きたのだ。

 歩美ちゃんと遊んだとき、ヤクザたちに絡まれた。小学生のボクたちはどうすることもなく、誘拐された。拉致もされた。古臭い縄に手足を縛られたボク。しかし彼女は――歩美ちゃんは解放されていた――手足の拘束器具などなく、自由に手足は動いていた。しかし、泣いていた。歩美ちゃんはボクの目の前で酷い状態にされていた――歩美ちゃんは犯されそうになっていた。

 あまりの異常さによって、ボクはその時彼女を助けようなどという気さえ起きなかった。

 あのとき、どうやってでも抗うべきだったボク。しかしながらボクは、ボクだけを見ていた。自身の危機的意識が敏感になり、自分の命だけを優先し、歩美ちゃんのことなど、背景のようにとどめていた。歩美ちゃんを人間だと認識しなかった。

 だから、歩美ちゃんに感情を向けることができなかった。あのとき、歩美ちゃんにどんな感情でもいいから、歩美ちゃんに感情を向ければよかったのだろう。怒ればよかっただろう。狂えばよかっただろう。彼女だけは助けろと声を大にしていればよかっただろう。

 それをしなかったから、――歩美ちゃんは壊れたのだ。

 限界に限界を達した少女は火事場の馬鹿力でヤクザどもを振り払い、ヤクザが持っていたナイフを奪い、ヤクザを刺し、刺し、刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して、計五人のヤクザを刺し殺した。

 その時の少女の表情を今でも覚えている。

 ――無感情。

 何も感情がなかった。泣いてなかった。怒ってもなかった。狂ってもなかった。

 いっそ、泣いてくれればよかったのに。

 いっそ、怒ってくれればよかったのに。

 いっそ、狂ってしまえばよかったのに。

 少女は何も表情を変えずに、人を五人、殺した。

 残りのヤクザたちはその異常な行為に逃げ、あとで警察に捕まった。

 病院で、ボクと歩美ちゃんは検査を受けた。

 身体は同等に異常なケガをしていた。

 だけど、精神のほうはひどいものだった。

 ボクはあのときの記憶が忘れず病んでいた。

 歩美は病むことはなかった。笑うこともなかった。狂うこともなかった。いたって、平常心。そしてそれは、異常だ。小学生時代に犯された経験をされ、一日も経っていないにも関わらず、彼女は平常心であり続けた。

 検査された結果、歩美の症状は、感情の高ぶりが障害の人間が感じる限界値を超え、ほとんど表情を変えない状態になっている――だそうだ。

 だからボクは、歩美の表情を無表情から変えようとした。

 そして、少女は無表情から解放された――否、無表情ではない状態に束縛した。つまりそれは、歩美ちゃんを歩美ちゃんとは到底呼べない何かに作り上げてしまったことと同義なのだ。

 そして障害は増える。

 病名はない。少女一人のみの、歩美何か一人のみの不明な病なのだから。脳には異常がないと医者は言っていた。でも、脳というものはまだすべて解明されていないから、脳が異常かもしれないともいっていた。

 彼女の症状――親しい人に思い入れある呼び方で呼ばれれば、ほぼすべてができる。例えば、あるものを記憶しろ言えば、記憶する。やめろと言えばやめる。死ねと言えば――死ぬ。

 一度、死ねと言ったことがあるが、喉を掻き毟って死のうとしたという過去が、歩美何かにはある。

 そして彼女にとって親しい人はボクのみ、らしい。美華や涼、それに歩美の両親はある程度親しいとなるが、完全に親しいのはボク一人らしい。それは歩美自身が言っていた。だからボクの命令はすべて聞く。しかし、当然のように、例外はある。例えば、ボクが他人に馬鹿にされたとき。ボクの命令を聞かなくなる。例えば、ボクが死にかけたとき助けようとする。例えば、無理な命令。

 また、副障害というか、彼女の症状の副作用として、ネジが外れることがよくある。限界以上のことをやるには、普通の人間はストッパーがあるが、歩美何かにはもはやそんなものはない。そのため、限界を超えると歩美はすぐに倒れて気絶する。だからボクは命令して、彼女の行為をとめるのだ。興味を持って何かをじっと――まじまじと――異常に見ていたときは、すぐ止めないといけない。

 とにかく。このような症状が出てしまったのは全部、ボクのせいだ。

 あのとき、遊ぼうなどと誘わなければ、こんなことにはならなかった。

 歩美ちゃんが歩美何かにならず、束縛されてしまう存在になることはなかった。


「凡愚、歩美ちゃん、『ハイスクールの天才』。あと、左助様。今すぐ『城』に集まってくださいまし」


 どこからか、スピーカーのような声が聞こえ、声は消える。

 この声は、美華だ。

 どうやら、『城』に向かえばいいらしい。

 歩美も美華のことは聞くだろうから、きっとそっちに行くだろう。

 そう思い、ボクは『城』に向けてなるべく急ぎ足で進む。

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