第4話

 目を覚ましたら、病院のベッドだった。

 体のあちこちが痛んだ。どれだけ眠っていたのかは、ベッドのわきに充電されていた携帯を見てすぐにわかったが、現実が受け入れられなかった。

 最後に覚えている日から2週間も経っていた。まじかよ。


 最後の記憶は、驚いた菜摘の顔と、車のブレーキ音。強い衝撃。


 そうだ、俺は車にひかれたんだ。

 道路へ突き飛ばされた、アイツをかばって。


 そうだ、菜摘は? 菜摘は今、どこにいるんだ?


 体につながった点滴の管が妙に重く感じた。

 引っこ抜くわけにもいかないので、一緒につれていくことにした。


 重くまどろむような体を持ちあげ、病室を出る。

 車いすに乗っては見たが、使い方がわからない。ギプスにくるまれていない方の脚を使って、こぐ。足は痛み止めが効いているのか、痛くはなかった。痛いというより、固い、動かないという感じだ。


 すると、廊下の向こうからドタバタと走るようなうるさい音と、やかましい声が聞こえてきた。

「――さん!! 聞こえますか! 返事をして!!」


 あっという間に目の前を通り過ぎた。廊下を走ってはいけない、なんて病院で言ってはいけないな。まるで自分とは無関係の人を見ているかのようなあっけなさと、物足りなさとを感じた。


 でも、


「――さんって言ってたな」


 それは、菜摘の苗字だ。珍しくもない名前だが、ありふれた名前ってわけでもない。耳に残る、名前だった。


 だめだ。力が出ない。2週間も寝たきりならそういうこともあるかもしれない。

 俺はベッドに戻って、携帯で母さんに連絡をした。

『ごめん、起きた。菜摘は、どうしてる?』




 ◆


 俺が寝ていた間に起きたこと。

 菜摘が自殺未遂をした。


 以上。




 ◆


 全快とは言わないまでも、車いすで動けるようになった。俺はまだ入院中だ。

 この間ここに運ばれた菜摘は、同じ病院の違う棟の病室で眠っていた。


 もうあれから一か月半が経っていた。


 俺が眠っている間、菜摘がしたこと。

 理科の授業中、菜摘をいじめていた女子生徒を突き飛ばし、女子生徒が持っていた希硫酸が誤って女子生徒の片目に入り、失明した。以上。


 自分は被害者だと、いじめの首謀者である女子生徒は言い張っていたみたいだが、他の生徒たちの証言によると、菜摘はその女子生徒に希硫酸をかけられそうになって、反抗し、突き飛ばしたみたいだ。閉鎖されたクラスという箱から、ひとたび「事件化」し公開されたことによって、女子生徒たちのいじめが発覚。俺の交通事故の件も男子生徒が口を滑らし、結果、加害者の女子生徒と男子生徒はどこかに転校していったようだ。


 いじめの首謀者たちが転校して、いじめは終わり、事件は終わり。

 でも、そううまくはいかなかった。


 菜摘は、自分をいじめていた女子生徒に殺意のようなものを抱いていた。それが、俺が大けがをしたことで、花開いた。俺が眠っている間も、復讐の時をずっと待っていたのだと。

 理科の授業中、希硫酸をかけられそうになった。女子生徒たちは怖がらせようとしただけだったのかもしれない。でも、菜摘は殺意を持って、今突き飛ばしたら希硫酸が女子生徒にかかってしまうとわかっていて、突き飛ばしたのだという。


 狙いは功を奏し、女性生徒に希硫酸はかかってしまった。

 少しケガをすれば、痛い目を見れば、少しはわかってくれるのではないか。

 そういう淡い気持ちは、女子生徒が失明をしたことで打ち砕かれる。

 自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのだと、菜摘は、自身の正義感に追い詰められていった。


 俺と菜摘の二人だけの共有アカウント。

 そのメッセージに、自殺をする前の彼女から、事の顛末が送られてきていた。

 ほんとによ。どういう事なんだよ。

 話しにくいからじゃねぇよ。

 私、滑舌悪いから、聞こえづらいでしょ、じゃねぇよ。

 そんなになってしまう前に、どうして話をしてくれなかったんだ。


 菜摘は、人を傷つける資格がなかった。

 やられたことをやり返す、そんな復讐の心を正義感と勘違いをして、衝動に身を任せて人を傷つけ、その罪悪感でつぶれてしまう。

 そんな弱い心のくせして。

 自分が傷つけられることには、ただじっと堪えていたのだろう。

 自分以外の誰かを傷つけられて、頭に血が上って、相手を傷つけて、後悔して。

 そのくらいのことにさえ、堪えられないのなら、傷つけるべきではなかった。


 誰かのためとした行いが、自分のわがままだったことに気づいてしまった、

 自分のわがままが、他者の人生に消えない傷をつけてしまった、

 その償いに差し出すことができるのが、自分の命しかないと、思い立ってしまった。

 他にいくらでもある選択肢の中から、一番選びやすい、最悪の選択肢を選んでしまった。


 殺すつもりもないくせに。

 傷付けるはずが傷付いて、

 殺すつもりが自分を殺して、

 残された俺はどうすればいい?


 俺が、自分の命を蔑ろにしたからか?

 いや、もっと早く気づいていれば、間に合ったはずだ。

 菜摘が変なことを言っていた時に、きちんと話を聞いてやれていれば!!


 自殺は未遂に終わった。

 否、終わらない。菜摘の人生はずっと続く、続いていたんだ。


 今は、この狭い病室で、終わらないように、繋いでいる。


 どうして、

 どうしてこんなことをしてしまったんだ。


 許せない。

 俺だったら、こんな中途半端な終わり方はさせない。

 徹底的に、徹底的に、徹底的に、あいつらを殺す。

 罪悪感なんて1ミリも無い。あいつらを殺して、平気な顔をして生きてみせる。


 許さねぇ。転校して、終わったことにしやがって。

 きちんと謝って、面と向かって謝って、泣いて詫びたって、許さねぇ。


 しかし、

 あの女子生徒と男子生徒がどこに転校したのかわからなかったし、今の俺は満身創痍、体も十分に動かせない、入院中のでくのぼうだ。片足のギプスと点滴で磔にされていた。

 ギリギリ生き延びていたのは俺も同じだった。



 何もできない。

 ただ、眠る彼女の手を握ることしか、できなかった。

 眠る彼女をただ見ているだけだなんて。

 とても、平気な顔なんてしていられなかった。







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