第2話

 昼休みになると、教室内は一気に生徒たちのものとなる。

 席順なんてあってないようなものだ。各々が好きなやつらとつるむ為に机を移動する。大人は邪魔だ。さっさと退散するに限る。


 天気がいい日は学校の近くにある小さな公園に行く。放課後は近所の小学校から飛び出したはしゃぐ子供たちで溢れているが、ウチの高校を含め、生徒たちは学校が終わるまでは校外へ出ることは出来ないため、昼休みだけは穴場だ。


 教室の喧騒から逃れるとそこには一本の桜が佇んでいた。

 ここの小さい公園には、一本の桜の木がある。


 四月に桜の花が咲いていた頃は、まばらに人が集まって、束の間の季節感を楽しんでいた。花びらが散って新緑が鮮やかになると再び公園は静けさを取り戻した。道行く人からすれば、花びらの色を失えば、桜は他の木と区別がつかない。


 だが、思い出の中の桜との対比によって、葉の青々しい色が際立つ。思い出の中のあの桃色が鮮やかなほど、散ってもなおのこと、この木のことを忘れられないのだ。不思議なものだが。


 俺はこの桜が好きだ。桜を見ると、あの頃を思い出す。楽しかったあの頃を。



『桜は春だけだなんて、そんなことは無いんだよ。夏も秋も冬も、桜は凛と強く美しく、生きている』



 彼女の声を思い出す。

 思い出は色褪せない。今もなお、はっきりと心に、刻みつけられている。


 いつもはおっかなびっくり、もごもごと言葉を濁らせ、ちっとも聞こえやしないくせに、こと桜の話になると、とてもにこやかに、晴れやかに、自分のことのように嬉しそうに、自分のことよりも嬉しそうに話してくれたっけ。


 俺は桜に近づいて、ごつごつとした幹に触れた。

 脈拍を感じることはないが、きっとこの桜も、強く生きているのだろう。

 花だけが桜の良さではない。夏から冬の間強く生きていたからこそ、春の桜は人々を魅了することができるのだから。




 そう、生きていてくれさえすれば。




「先生」


 誰かから声を掛けられた。

 俺を先生と呼ぶということは、俺を知る生徒だ。

 振り返るとそこにいたのは、アイツだった。


 春川 桜子。


 どうしてここに。

 昼休みは、校外に出てはいけないはずだ。



「春川」


「私、桜、嫌いなんです」

 まるで、桜の木を見るのも嫌とでもいうように、目を背けた。俺の方すら見もしない。このままじゃあ会話すらできない。

 俺は桜から離れ、春川に近づいた。

 春川の視界に桜を入れないように。


 名前が桜子なのにか? と、茶化してはいけない気がした。


 春川は深呼吸をしていた。次の言葉が喉の奥で突っかかっているような、息苦しさを感じた。

 生き苦しさを、感じた。


 どのくらい待っていただろうか。花びらが萼を離れ、空を舞い、空を彩り、地面に舞い降りる。その長いような一瞬。一呼吸開けて、やっと絞り出したかのように、その言葉を吐き出した。


「先生は、人を殺したいと、思ったことはありますか?」



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