星詠みの魔女の初恋

江真


――この世界の果て、アステール島。唯一どこの国にも属しないこの島には魔女が一人だけ住んでいる。この世界で一番高い塔。そこが彼女たちの住まい。ただひたすらに星を読み、いつか来たる神の言葉を伝えるために存在する。彼女たちこそが「星詠みの魔女」と呼ばれる女たちだった。―― 

                「星詠みの魔女たち」 イヴァン・リーヴス著






「もうすぐ我が城の庭に薔薇が咲く。君も見に来ると良い。リーシャ」


「本当ですか!フランシス様!嬉しい・・・」


「ああ、君は特別な友人だからね・・・」


学園の庭にあるベンチで二人の男女の甘い声が聞こえた。最悪。本当に最悪。誰にも聞こえないような声で、ミモザは自分の不運を呪った。


もちろん普段の彼女は、学園の隅で逢引をする男女を妬むほど心は狭くない。けれど、それが自分の婚約者ならば別だ。こんなの見ていられないわ。彼女は、彼らにばれないうちにその場から背を向けた。




彼女ミモザ・エルフェンリートは、侯爵令嬢にして、この国の王子の婚約者だった。ミモザはとても真面目でそれでいて上品な美しさを持つ完璧な婚約者であった。王子であるフランシスとは子どもの頃からの付き合いで、彼女は幼い頃から彼に片思いしていた。婚約者ならば、その思いを本人に伝えるべきなのだが、彼女にはそれが出来なかった。








「どうしょう・・・誰かいないの・・・」


七歳の時の出来事である。今とは違い、お転婆で快活な少女だった彼女は城の庭で木登りをして降りられなくなった。思っていたより高いところまで登ってしまい、降りられなくなったのだ。


「おい、お前」


下から誰かの呼ぶ声がした。彼女が目を向けると、そこには黒髪に紅い瞳の美少年が立っていた。少年は偉そうに腰に手を当て、こちらを睨みつけていた。


「降りられなくなったのか?ドレスで木になんか登るからだ。サルみたいな女だな」


彼女は何も言い返せなかった。勝手に木登りをして降りられなくなったのは自分のせいだ。淑女らしくしなさいと散々母親に注意されていたにも関わらず、このざまだ。ミモザはしょんぼりとしてうつむいてしまった。その様子を見て、少年はため息をつくと、こう提案してきた。


「サル女。そのまま俺のところに飛び降りろ。俺が受け止めてやる」


「え。そんなこと出来ないわ。あなたが潰れてしまうわ。大人を呼んできた方が・・・」


「は?俺が受け止めきれないって言いたいのかよ」


憤慨した様子の少年にミモザは困ってしまった。少年のプライドを傷つけてしまったのはわかるが、そんなことをしたら彼女も少年も怪我をしてしまうかもしれない。


「わかったよ。誰か呼べばいいんだろう」


少年は少しムッとしながらも彼女の提案を飲んだ。ああ、良かった。彼女がそう安心しきった時だった。木の枝からみしっという音が聞こえた。


バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ


彼女が乗っていた太い枝がそのまま音を立てて折れた。


「危ない!!!」


ミモザは思わずぎゅっと目を閉じて衝撃に備えた。


・・・・・・・・・・。


身体に来るはずの衝撃がない。代わりに何か暖かいものにぶつかった。思わず目を開く。


「・・・・・?ご、ごめんなさい」


彼女は少年を下敷きにする様に踏みつぶしていた。


「ケガしてない?」


「お前は?」


「していないわ。あなたは?」


「してない。・・・重いから早く降りろ」


「ごめんなさい!・・・助けてくれてありがとう」


ミモザは彼から降りると、その隣に腰を掛けた。少年は別に、と言ってミモザから目を逸らした。逆にミモザは少年をじっと見つめた。濡れ羽色の黒い髪、ルビーのような真っ赤な目、綺麗な顔立ち・・・。


「ねぇ、あなたってもしかして皇子様?」


「・・・・違う」


「嘘だわ!黒い髪に紅い目なんて二人の皇子様のどちらかだけだわ。ねえ、どちらの皇子様なの」


「お前はどっちがいいんだ」


「どっちがって・・・。変なこと言うのね。どちらの皇子様でもいいわ。私を助けたのはあなただもの。私はあなたのお名前を知りたいの。あ、私はミモザ。ミモザ・エルフェンリート!」


「エルフェンリート・・・。ふん」


少年は急に立ち上がると、ミモザに背を向けた。


「待って!どこに行くの?」


「もう用事はない。どうせまた会うことになる」


「そんな・・・。お名前聞いたから怒ったの?じゃあもう聞かないから、お父様が来るまで一緒にいて」


少年はまじまじとミモザを見た。応えるように、彼女もまた見返した。はぁ、とため息をついて少年は再びミモザの横に腰を下ろした。


「お前の父親が帰ってくるまでだ。あと・・・俺はフランシスだ」


「うん!ありがとうフランシス」


ミモザはにっこりと微笑んで、フランシスに答えた。ミモザは口が悪くても、彼が本当は優しいと感じていた。二人は父が迎えに来るまで二人でずっとおしゃべりをした。と言ってもミモザばかりが話していたが。


「あ!お父様だ!それじゃあまたね。フランシス」


「ああ。・・・ごめんなミモザ」


「ん?サルって言ったこと?いいよもう。レディーはそんなことで怒らないんだよ」


「いや・・・。それもだが・・・。あとレディーは木登りなんかしない」


「もう!本当にまた会える?」


「ああ」


「約束だよ?」


「わかってる」


「うん!じゃあね、バイバイ。フランシス」


父親に手を引かれながら、彼女は帰った。帰りの馬車で父はそんなに軽々しく名前を呼んではいけないと注意した。ミモザは納得いかなかったが、父がまたフランシスには必ず会えると言うので機嫌を直した。


ミモザは帰ってきてからも、フランシスのことをずっと考えていた。別れ際とても寂しそうな顔をしていたなとか、なんで名前言いたくなかったのかなとか、目の色が綺麗だったなとか頭が彼のことでいっぱいだった。そのことを大好きな母親に話すと、嬉しそうな顔をされた。


「フランシスはね、私の髪のこと変って言わなかったの。綺麗で面白いって」


ミモザは自分の髪を指でくるくる巻きながらそういった。彼女は自分の髪が嫌いだった。彼女の髪は父と同じ金髪に、下の部分だけ何故か黄緑色をしていた。髪をどんなに切ってもそのグラデーションは変わらなかった。他の兄妹は普通の髪色なのに・・・。髪は彼女のコンプレックスだった。


「それでミモザはフランシス様が大好きになったのね」


ミモザは頬を真っ赤にさせた。紛れもなくこれは彼女の初恋だったのだ。








学園から屋敷に帰ると、何やら騒がしい。一体どうしたのかとミモザが眉をひそめて使用人たちを見ていると、父が呼んでいると執事に言われた。父のいる部屋に着くと、そこには自分以外の家族がそろって、とても真剣な顔をして向かい合っていた。


「来たか。お前も座りなさい」


父に言われ、妹の隣の椅子に腰かける。ただならぬ空気にミモザは困惑した。もしかしてついに来てしまったのか。婚約破棄というやつが。私側に何も過失はないのだから、巷にあるような卒業パーティーで派手に破棄して晒しものとかじゃなくて良かった。それぐらいの恩情はフランシスにも残っていたか。ミモザはそんなことを考えながら、父の言葉を待った。


「今日集まってもらったのはお前についてだよ、ミモザ」


父はきっと怒るだろう。侯爵令嬢でありながら、成金の男爵令嬢なんかに婚約者を奪われたなんて家の恥だ。


リーシャ・ハルス令嬢。桃色の髪に大きな目、小柄で愛くるしい小動物のような令嬢だ。学園中の男子生徒は彼女にもう夢中だ。女子からは無論嫌われている。典型的な女の嫌いな女というやつだ。思わせぶりで、ぶりっ子。彼女は男子という男子にちょっかいをかけていた。ミモザは他の令嬢たちから頼まれ、その態度を何度も彼女に注意をしたが、彼女は「皆さん、ただのお友達ですぅ」と言って聞く耳を持たなかった。大物貴族子息に次々と取り入っていたと思いきや、気が付いたらフランシスが陥落していた。もう彼女はすっかり嫌気がさし、最近はリーシャ嬢の行動を無視していたほどだった。高位の貴族としても、皇子の婚約者としても失格だ。ミモザがもやもやと考えていると、父からは予想外の言葉が出てきた。




「ミモザ・・・お前に『星見の塔』からの要請が来た。次の『星詠みの魔女』にお前を指名すると」


「へっ?」


「次の星詠みの魔女はお前だ、ミモザ」


二度父は繰り返すと酷く悲しい顔をした。母は先に聞いていたのだろう。顔を覆って泣き出した。兄と妹は理解が追い付かないといった様子だ。ミモザにも一体どういうことなのか理解が出来なかった。


「どうして私が星詠みの魔女に?星詠みの魔女は世襲制ではなかったのですか?」


「ああ、そうだ。だが、今の魔女には子がいなかった。その場合、星詠みの魔女は今一番星読みの素質がある者を指名する。魔女の子は一人だけ生まれることが多いが二人目以降が生まれる時もある。世界中に魔女の子孫がいるんだ。お前もその一人だったのだろう」


「ならお父様、私が代わりに行きますわ!私だって子孫ということでしょう!?お姉さまは皇子の婚約者ですし・・・」


妹のアリーがそう申し出た。それに対して父は首を振った。


「ダメだ。お前も子孫ではあるのだろうが、素質がないんだ」


「どうして!」


「ミモザの髪色・・・色が一部違う色だろう。あれこそが正しく(まさ)魔女の特徴なのだそうだ」


「ですが、父上。うちは侯爵家ですよ。断ることだって・・・」


「それも出来ない。この要請を受けたらどこの誰であろうと行かなければならないのだよ・・・。王族だろうが、聖女だろうが、奴隷であろうが選ばれてしまえば星詠みの魔女が全て優先される」


つまりはどうあがいても逃げることなんて出来ないということか・・・。ミモザは途方に暮れた。婚約破棄どころの話じゃない。以前本で読んだ際に塔には近くの島の住人が、週に何度か食料や生活必需品を持ってくるだけで基本的にはとても孤独な一人暮らしなのだ。もう二度と家族にも会えない。フランシスなんてもってのほかだろう。最もフランシスの方はそんなこと考えてもいないだろうが。


「お父様、私は何をすれば良いのでしょうか」

「ミモザ!」

「お姉さま!」


兄と妹の悲鳴に近い声が上がる。父は眉間に更にしわを増やして答えた。


「ああ・・・。教会がお前をあちらに送ってくれるそうだ。それが一週間後だ。悪いが陛下と話してお前と皇子殿下の婚約は既に破棄してもらった。学校も明日で辞めることになっている。皆に別れを言ってもいいが、星詠みの魔女のことは内緒で頼む。お前があちらに行ってからこの事実は公開することになっているんだ」


もう既に自分の逃げ場なんてないのだと改めて感じ、ミモザは力なく笑って了解した。自分が発った後に、友人たちに手紙を渡してほしいということだけ家族にお願いした。引っ越しの準備をしなくては。そう言って自分の部屋に帰った。誰も入れないでと使用人たちに命令すると、ベッドに潜った。ベッドに入ると急に不安が襲ってきてミモザは涙が枯れるまで、静かに泣き続けた。

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