第5話

「551」



 数日後、工口は今日も朝から虫眼鏡を片手に小粒程の虫を楊枝で刺していた。



「今朝から精が出ますねぇ」



 両手に皿二つ、工口の前に現れるペド。

 そのうちに皿は並べられ、二人朝食を始める。



「おえ゛ぇぇッ!!」



 一口目からえずく工口。



「駄目だ……ッ! やっぱり、喉が拒絶してる……ッ!」



 先程口に入れたバッタのようなものは、舌の上で鈍重な苦味を披露するだけでは飽き足らず。

 喉奥で羽が返しとなって、食道で暴れまくっていた。



「毛虫の群れをモリモリ食べてる気分だっ……!!」

「な、なんなんですか。大げさが過ぎますよ……ボエーーーッ!!!」



 マズさでペドは2m跳んだ。



「はぁはぁ……いつ食べても反吐が、えぷっ!? 出るなぁ……ここの食いもんは」

「鍛錬が足りないんですよぉ。精神の鍛錬が」



 ペドは机の下に朝食を捨て始めている。

 異世界の食物は基本的に最悪だった。



「しょっぱ苦がっっ…………!?」

「!?」



 近頃の日常は、ひたすらにダニを潰し続ける日々だった。

 一人遊びの得意な自分はそれを苦痛に思うことはなかったが、自意識は虚ろに、緩慢になった。

 そんな毎日でも、数少ない覚醒のタイミングがある。

 朝・昼・晩の食事時。つまりは、刺激物摂取の折である。



 ――と、奇襲を回避できた工口は瞬時に理解した。



「味覚への刺激がなかったら死んでいたかもしれないね……ぺっ」



 工口はバッタのようなものを吐き捨てる。



「私も2m跳んでいてよかったです」



 ペドも上から落ちてきた。



「お国の代表の勇者さんが不意打ちとは……らしくないんじゃないの?」



 工口が話しかけると、巨大な鉄塊はむくりと動き。

 ずずずと振り下ろした大剣を持ち上げる。



(机が真っ二つに斬られています……。本気で食事中の私たちを殺すつもりだった……)



 切断されたテーブル。

 えぐれた床。

 割れ散った食器。

 それらからは強烈な殺意を感じさせ。



「ごくりっ」



 無残に飛び散り、残飯となった朝食は、自分たちの未来を予期させた。

 ペドは思わず息を呑む。



「……」



 太陽が雲を抜け、部屋を照らし出す。

 食物と言うよりは生き物の死骸となった物たちをきらきらと反射させ、悪趣味な命のイルミネーションを映し出した。

 そしてついでに、あそこでこんもりと山になっているのはペドが密かに机の下に捨てた朝ごはんである。



「結界を、破ったんですかっ……」



 こんもり山に触れられる前に、沈黙を破るペド。



「……私の知っている魔王は」



 窓からの日射により、巨大な鉄塊――甲冑を着た勇者の顔が見え、話し始める。



「敵とはいえ、騎士道精神があった。非戦闘員を逃がした後は、自らで決着をつける武人だった。お前もいずれはそうすると思っていたのだが――」



 強く、剣の柄を握りしめる勇者。



「最後に確認できた日から半年ッ!! だらだらだらだら、籠城しおって!! それでも王か!! 恥を知れッ!!!!」

「ひぃぃっ!」



 勇者の怒号を浴び、頭を隠すペド。



「ちょっと待ってくれ」



 ペドの前に出る工口。



「工口さぁん……」



 ててて……と後ろに隠れるペド。


 

「……」

「……」



 気づくと、くそエロ魔法使いと女盗賊。

 勇者の後ろに、彼のパーティメンバーも控えている。



「……それで、半年って言った?」



 震え声で工口が勇者に問いかける。



「半年だ。最後に魔王を確認してから半年。貴様らが籠城を始めてからは半年と二ヶ月! ……まさか、無自覚に煽っているのか?」



 勇者は剣を構え直す。



「いや、ダニ潰しとか……。しょうもないことに半年使ってしまったことが軽くショックだったから……」

「……」



 勇者は頭にどんどん血流の流れが集まっているのを感じた。

 魔法使いは、勇者の脳の血管が軋む音を聞いた気がした。

 女盗賊は空気を感じ取り、タガーを構え戦闘態勢をとる。



「ペド」

「はっ、はい」



 工口は後ろのペドに向かって、手のひらを出し。



「何か貸して」

「……ではコレ」



 ペドは、工口にテーブルナイフを手渡す。

 工口はテーブルナイフに一瞬目を流し、勇者に向かって構えた。



「何だそれは……」



 魔法使いは、勇者の血管の軋む音が幻聴でないことに気づく。



「何だそれは……」



 女盗賊は勇者の尋常でない怒りに、瞬間気を取られてしまう。



「煽っているのか……」



 勇者の大脳動脈がブチ切れる刹那――



「煽っているのかあああああああああああああッ!!!!」

「!」

「ぎょぇぇぇぇえ」



 殺されたと勘違いしたペドが、先んずて断末魔を上げ。

 絶叫を割くように、勇者が斬りかかる。



「……」



 勇者の踏む、一足、二足。

 感情的になった頭とは裏腹に、冷徹な足運び。

 日々の鍛錬を思わせるナチュラルな動き。

 その歩みこそが、勇者のこれまでの人生の歩みでもある。



 この後、工口は後悔する。

 自分が感受性豊かな人間であること。



「即死魔法」

「あっ」



 勇者の人生がここで終わってしまうことに。

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