第3話

「はぁ……はぁ……」



 気づくと元いた部屋まで走りぬいていた。

 息を切らして立ち尽くす工口。



「……もしかして、守ってやったって言いたいんですか」



 抱きかかえられながらも、必死に目をそらすペド。



「いや……凄いムチムチボインだったんで驚いちゃって……」

「ヒェェ。何だこいつ」

(ムチムチボインって初めて聞きました……ん?)



 ペドを卓上に置き、壁掛けの鉄鎖を手に取る工口。



「なにしてるんです?」

「あれって、いわゆる勇者の方々……つまりは魔王討伐隊だろう? 諸悪の根源を渡して来ようと思って」

「諸悪の根源……?」



 首をかしげるペドを尻目に、慣れた手つきで鉄鎖を巻いていく工口。



「よし」



 ペドは鉄鎖で簀巻きになった。



「捕まえたーー! 勇者ご一行様ーーっ! 抵抗できない魔王はここですよーー!」

「げっ!?」



 工口は先ほどの広間に向かって大声を上げた。



「こっ工口さんっ! スケベ秘術との交換条件でしたでしょお!?」



 今更逃れようと、簀巻き状態で足だけをバタバタするペド。

 恐ろしく無力である。



「いやもう教えてもらったし? 俺が手をくだす訳じゃないし? というか効果もよく分からんかったし」

「あっあの効果は……! その……あれの……乳首の……///」

「待った」



 察した工口は掌を前に差し出し、発言を止める。



「いいんだって。無理するなよ。死にたくなくて出まかせを言ったんだろ? 魔族と人間の悲しい出会いがあった。それでいいじゃないか」

「勝手に遠い目をしないでください……!」



 工口は女体化した鹿の剥製を黄昏の表情で見ている。



「なら……」



 しばらくして、絞り出した声を先頭にペドが話し始めた。



「わっ、わたしに秘術を放ってくださいっ! 反応を見れば納得するはずですっ!」

「秘術を?」



 女体化したスベスベマンジュウガニの剥製まで目を流した辺りで向き直る。

 ペドも同じくらい頬が赤くなっていた。

 一瞬目が合い、すぐさまペドは目をそらす。



「その……先ほどと同じように……手を縦にグーにして……」

「……」



 目をそらしたまま、話続けるペド。

 吐く息が湿度を高くする。



「ごくり……」



 唾を飲み込む工口。

 妙な雰囲気に押されるがまま、掌を握りしめる。



「……そうです。親指を上にして……あの……人差し指にすり合わせるように……」



 単語一つ一つに熱がこもるペド。足指を開き、また閉じる。



「……」



 工口は額から汗をかき、頬を舐めるように垂れていく。

 ペドの汗も目尻から耳裏へと、頬骨にそって流れる。

 その流れに逆らうことなく親指は、人差し指の関節を撫でる。 



「ゆっくりと……」



 指紋が関節の滑液を吸い出すように、スポンジのような気持ちで関節を嘗める。

 それに呼応するようにペドの目は潤み、瞳は天井を見つめていた。



「……」

「……」



 大広間は静かで吐息だけが微かに漏れる。

 親指の刺激だけが強調され、皮膚の感覚だけを鋭敏にする。

 二人を包む日の暖かさを強調させ。

 ベッドの中のまどろみを想起させた。

 言葉を交わさずに、思考のみがとろけあうイメージ。

 そして、柔らかな日差しは冬を越した命の芽吹きを象徴する。



「ん……///」

「!」



 ペドの小さな口、ペドの乳歯のような歯を抜けて出た甘え声。

 緩やかに指を擦り続けた工口が感じた微かな、しかし確実な違和感。ぷくりと鳴いて大きくなったそれは、春の目覚めを感じさせた。



「工口さん……」

「……」



(昔……昔のことを思い出した。チューリップの球根。自分の手で育て、自分の手で愛でる……生き物が産まれる喜びのような……)



 工口は記憶を反芻する。

 しかし、ペドはそんな感慨を知る由もなく。



「血が……」

「え?」



 気づくと工口の鼻から血が流れ出ていた。



「……ごめん。ティッシュ借りる」



 壁掛けのティッシュ箱から2・3枚取り出す。



「なるほど。わかったよ。これは遠隔操作系の技なんだな」

「うぅん……ふぅ……。そうです! これぞスケベ第一秘術。『乳頭クリクリ』ですっ!」



(わかりやすいけどクソな名前だな……)



 工口はティッシュを鼻に詰めていく。



「だけど捕縛を解く理由にはならないな」

「ほへっ?」



 豆鉄砲を喰らったような顔をするペド。



「この乳頭……ゥン。……クリクリは現世へのお土産にさせてもらう。楽しかったぜ! 異世界転生!」

「えぇっ! 約束が違うじゃないですか!」

「わははは。魔族に人権は無いのだな! 巨悪は正義に滅ばされるが良いわ! がはは!」



 両穴ティッシュINで高笑いする工口。



「……ひどい」

「?」

「ファースト乳首あげたのにひどいですっ!」

「!?」

(乳首にも初めてがあるのか!?)



 驚愕し、鼻からティッシュが吹き飛ぶ。



「ぐるるる……」



 涙目で睨みつけるペド。



「ま、魔族でも乳首の権利はあるかもしらんが……だが俺には関係ない! 勇者に通報はするからな。正義感が強いんだ俺は」



 再び、鼻から流血しながらペドをなだめる工口。



「罪悪感があるなら私の話を聞いてくださいっ!」



 ペドがまくし立てる。



「乳頭クリクリはスケベ秘術の第一段階でしかないんですっ。レベルアップしていけばもっと……」

「もっと……?」

「エロエロな」

「エロエロな……ッ」



 眉間を数回タップする工口。



「エロエロかぁ」

「エロエロです」

「エロエロね……」

「もうエロエロ……そして人類文化史的に」

「そう、文化史的に……」

「社会貢献を」

「社会貢献を……する」



 眉間のしわを解放する工口。



「……まぁ、おみやげは多くても構わないな」

「ちょろい」

「あ?」

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