6.真王の証
夕闇迫る頃、ジャニィは玉座の間へと続く長い廊下を歩いていた。
コツコツと書記官用の真新しいブーツの踵は、やけに大きな音を響かせていた。
「失礼します!」
ジャニィは大声で一声かけると、玉座の間の大きな扉をノックした。
「入れ」
扉の奥から、弱々しいが威厳のある声が響いた。
「はっ」
ジャニィは重たい扉を押し開けて玉座の間に入っていった。
玉座の間は広々としており、大理石の床からは、この時期特有の冷気が立ち込めていた。
普段なら王付きの侍女が数名いるはずなのだが、どうやら今日は誰一人としていないらしい。
この広い空間に、今は王とジャニィしか存在していなかった。
一段高い場所に置かれた玉座に座る王は酷く小さく見えた。
頬はコケ、顔色は青みがかっている。
赤いマントの傍らから覗く腕は枯れ枝のように細かった。
病気と噂されていたが、あながち嘘ではないようだ。
ジャニィは王の前まで、ゆっくりと歩いていくと、片膝をついて俯いた。
「ジャニィ・E・ジャンセンです。『魔王の証』の件で参りました」
「うむ、表を上げい」
見た目とは裏腹に、王の声は太く大きかった。
ジャニィは片膝をついたまま、顔だけを上げた。
「あらかたの説明は聞いておるだろうが、改めて任命する」
王はそこで一呼吸おいて続けた。
「ジャニィ・E・ジャンセン、本日付けでヴォーアム王国の王子付き専任書記官とする」
そう言うと、王は懐から小さな任命書とヴォーアム王国の紋章の入った手帳を取り出した。
「これを」
王は静かに手渡す。
「はっ」
ジャニィは短く返事をすると立ち上がり、王から任命書と手帳を受け取った。
「まあ、堅苦しい話はここまでとしよう。見てのとおり、侍女や書記官は全て外させた。今は儂とお主だけじゃ。楽にしてよいぞ」
王の声から少しだけ威厳のようなものがなくなった。
「はっ、ありがとうございます。では、三つほどお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うん? 構わん、何じゃ?」
ジャニィは、祭事長からこの話を聞いて、いくつか疑問に思っていたことがあった。
「はい、では一つ目です。なぜ私なのでしょうか? もっと適任の者がいるのではないでしょうか?」
「そのことか」
王は小さく頷くと、ゆっくりと続けた。
「お主のことは息子から良く聞いておる。それに息子も随分お主のことを尊敬しておるようでな。なんでも普通の騎士とは違い、幻導力を使いこなして戦うそうじゃな。護衛と言っても表だって守ることはできん。ならば騎士の剣術より、お主の戦法の方が適任だと思った訳じゃ。それに、お主の出自のこともあった。ジェニスのことは今でも覚えておるぞ。その息子なら、書記官としての才能もあるだろうて」
父の才能……、物書きとしての才能がどれほどのものだったのか、ジャニィには分からないことだったが、いまでも王の脳裏に父という存在があるのなら、もしかしたら父は物書きとしても立派だったのかもしれない。
「そうですか、王子が……、分かりました。ただ、物書きの才能は私には……」
「構わん。思った通りに書いてもらって構わんよ。公文書ではないのでな。王としてではなく、一人の親としての願いなのじゃからな」
王は和やかな顔つきでジャニィを見た。
「わっ、分かりました。では二つ目をよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「はい、『魔王の証』とはなんでしょうか? 魔王だなんて物騒な……」
ジャニィが怪訝な顔で言うと、王は一度不思議そうな顔になり、その後、大きな声で笑いだした。
そして、ひとしきり笑い終わると、王はジャニィに説明した。
「マオウの意味を取り違えておるな。マモノの王ではなく、マコトの王で『真王』じゃ。ボアム半島の正当な王として、我がヴォーアム王国は『真王』の称号を冠しておる」
「なっ、なるほど、そういうことでしたか……勘違いしておりました」
ジャニィは恥ずかしくなり下を向いた。
「まあ、よい。ヴォーアム以外では通用せぬからな」
王は機嫌を損ねるでもなく言った。
「では、最後に……、その『真王の証』とは、どこにあるものでしょうか? 旅というからには遠方ということでしょうか?」
ジャニィが真面目に質問すると、またしても王は大きな声で笑った。
「ハッハッハ、お主は本当に何も知らんようじゃな」
「申し訳ございません」ジャニィは恐縮した。
「構わん、素直に疑問をぶつけられることは美徳じゃよ」王は少し嬉しそうだ。
「『真王の証』は物ではない。簡単に言ってしまえば、王となる際の所信表明みたいなものじゃ。旅先で得た経験をもとに、王としての誓いを言葉として刻むことじゃ。なので、すぐに終わるかもしれんし、数年かかることもある。まあ、本人の意思によるところが大きいな」
王は言い終えると、自身の王冠の額の部分にある紋章に手をやった。
そして、少し力を入れて紋章をひねり、それを外して見せた。
「如いて言うなら、これじゃな。この紋章の裏に言葉が刻んである。儂の場合は、『隣人を受け入れよ』じゃ。若かりし儂が旅で得た言葉じゃよ。今もこの信念は変えてないつもりじゃが、お主にはどう映る?」
王は紋章の裏面を懐かしむように眺めている。
「はい、私のような者が、この国で今までやってこれた理由が分かったような気がします」
ジャニィは意外なところで真実を知ったような気になった。また、あの頃、父がヴォーアム行きを進めた理由が分かったような気もした。
しかし、『真王の証』が、そんなものだとは思いもよらなかった。
「うむ、伝わっていたのなら儂も嬉しく思うぞ」
王はゆっくりと目を瞑った。
「さて、少し疲れてきた。他に何かあるか?」
ジャニィは少し考えたが、これといって何も浮かばなかった。
「いえ、ありがとうございました」
そう言って、ジャニィは深々と一礼した。
「うむ、では、息子を頼んだぞ、ジャンセン君」
王は最後にそう言うと、深々と玉座に沈み込んでいった。
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