第38話:推しのシリアスを受け止めきれなかったところへパンツ。


「私が【九尾の狐】の怨念から解放され、主のミラージュとなったとき。私はただ、自分の復讐のために主を利用するつもりで従っていました」


 懺悔でもするかのような面持ちで、ハクメンはそう口火を切った。


「顔も見えない。声も聞こえない。鏡に浮かぶ文字で語りかけてくるのみ、それさえ一方通行で会話にならないときがある。そんな実在するかも怪しい《ミカガミ》などという存在に仕えたのは、ひとえにミカガミだけが成せるミラージュの飛躍的な強化を、復讐の助力とするためでした。これで忍びの忠義など、痴れ者と御笑いください」

「笑わないさ。当然の反応だし、俺には『世界を救うため』なんて大義名分より余程信用が置ける。デュランとベルについてはまあ、二人とも『好きに暴れられれば雇い主の素性なんか気にしない』って性格だからなあ」


 良くも悪くも自由気ままな傭兵たちに、二人して笑いが零れる。

 しかし笑いが治まれば、ハクメンの表情はすぐさま重く沈み込んだ。


「私は【九尾】の怨念から解放された後も、復讐のことしか頭にありませんでした。この命は一族の復讐に捧げる。それだけでいいと、それ以外は不要だと切り捨てて」


 目的に手を届かせるため、少しでも身を軽くしようと背負う荷物を捨てる。

 それは復讐に限らず、何事かを成そうとする者が必ず通る道と言っていい。

 抱えたまま進むのが苦しいあまり、人はときに大事なモノさえ簡単に捨ててしまう。


「主はそんな私に力のみならず、たくさんの言葉を交わし、たくさんの贈り物を与えてくださった。最初は煩わしさを覚えていました。しかし復讐心に取り憑かれるあまり、かえって凝り固まり鈍っていた心と体が、解きほぐされていることに気づいたのです」


 ハクメンの表情から重苦しさが薄らぎ、穏やかな微笑が浮かぶ。

 仲間になったばかりの頃には見せなかった顔。そんな顔ができるようになるまでの一助に俺がなれたのなら、こんなに嬉しいことはなかった。


「次に、疑問を抱くようになりました。なぜ、主はこんな私を重用なさるのかと。私怨で動く外法の忍びなどより、力も精神性も遥かに優れたミラージュは他にいくらでもいるでしょうに。常に困窮している貴重な資源を、私を強くするために注いでくださった」


 それは、単に推しキャラを強くして使いまくりたかっただけだ。

 俺としては、感謝されてもちょっと気まずい。


「その分、いつも戦闘に連れ回してたと思うんだが大丈夫か? 過労死の心配とか苦情とかない? あってもこの現状じゃ、休日とかやれないんだが」

「まさか。与えられた力を十全に扱うには、より多くの実戦を重ねる必要がありました。それに、一介の忍びには十分すぎる待遇でしたよ」


 毎日おやつのお饅頭付きでしたし、と冗談めかしてハクメンは微笑む。


 いや、案外本気で言ってるのかも。親交度を上げるプレゼントの中で、ハクメンはお饅頭が一番上昇率の高いアイテムだったからなあ。他の親交度上昇率の高いアイテムから鑑みても、彼女は結構な甘党なのだ。


「『心は刃の下に秘め、されど心を絶やすなかれ』――それが望月一族に伝わる忍びの極意。己を刃のごとく研ぎ澄ませ。しかし心ない刃にはなるな。振るう使い手もなき刃など、世を乱す悪鬼に他ならない。我らは悪鬼を宿すとも、その悪鬼を征して世の悪を断つ忍びなり。……復讐に囚われ見失いかけていた大事な教えを、主と過ごす温かな時間が思い出させてくれました」


 復讐心を忘れることなく、かといって復讐心に支配された凶刃と化すのでもなく。

 復讐の刃を磨きながら、一人の人間として日々を生きることも忘れず。


 世界の存亡をかけた旅路の中で、ハクメンは代々受け継いできた忍びの生き様を取り戻していった。その足跡を、俺は確かに見届けてきた。


「今にして思えば、陰陽師の最高峰たる安倍晴明にとって、怨念に呑まれた妖狐など他愛のない相手だったことでしょう。主が私を私で、望月一族の忍びでいさせてくれたからこそ、私は彼奴に一矢報いることができたのです」


《ロンギヌスの槍》での最終決戦の際、ハクメンたちは《安倍晴明》とも交戦したらしい。これはゲームのシナリオ上になかった、つまりこの世界独自の出来事だ。


 決着こそつけられなかったが、ハクメンは痛快なまでの大勝利を収め、安倍晴明の顔を屈辱的にも物理的にも盛大に歪めてやったとのこと。この目で拝めなかったのが実に惜しい、さぞ胸がスカッとする光景だっただろう。


「私は主に深く感謝し、同時に気づきました。実のところ、私は主についてなにも知らないままだと。そして、こう思ったのです。――貴方のことが知りたい、と」


 きゅっ、と不意にテーブルの上で手を握られる。滑らかな肌の感触と温もり。

 そして俺を見つめる、星が瞬くような輝きを秘めた瞳に、俺の心臓は一瞬で射抜かれた。


「どんな顔をしているのか。どんな声をしているのか。なに好いて、なにを嫌うのか。貴方のことをきちんと知りたくなった。教えて欲しくなった。声が聞きたくて。顔を見て話がしたくて。ずっと、貴方に会いたかった」


 夢見るようなハクメンの眼差しが、俺にはあまりに眩しくて。

 喜びより怯えが勝って、思わず後ろ向きな言葉が零れる。


「がっかり、させたんじゃないか? 実際は俺、こんなんだし」

「いいえ、いいえ。失望されるのではないかと、恐れていたのは私の方です。妖魔の力を操り、命を奪うことをなんとも思わぬ外法者。こんな私を実際に前にすれば、平和な世に生きる主には拒絶されてしまうのではないかと。しかし主は、恐れる気持ちを呑み込んで、私を受け入れてくれた。信じ、頼ってくださった」


 それが、どれほど救いとなったことか。

 そう物語るように、手を握る力がギュッと強くなる。


「善を尊びながらも悪を否定せず、善に背こうとも悪に染まらぬ優しき御方。戦う力を持たずとも、力及ばぬ脅威を前に心を折らない強き御方。――我が主、ミカゲ様。貴方が、私の主で本当に良かった」


 そっと花弁を開くような慎ましくも美しい笑顔に、俺はなにも言えなくなる。

 見惚れたからじゃない。恐ろしくなったのだ。


 だって、この世界に来てから俺はずっと助けられてばかりで。牛魔王との戦いでは我ながら頑張った思うが、逆に言えばそれくらいで。ハクメンの笑顔を素直に受け止めるだけの自信なんか、俺にはまるで持てない。


 大学生活も就職も上手くいかなくて、現実逃避でゲームに没頭してただけの俺に、どうやって自信を持てばいいんだよ?


「ハクメン、俺は……」


 何一つ考えがまとまらないまま口を動かした、そのときだった。

 ズドン、とテーブルが揺れるほどの爆音と震動。


 続けて突然、頭上から影が差す。

 何事かと見上げると――空から大量のパンツが降ってきた。


「は、ハアアアア!?」


 いや本当に何事なのぉ!?


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