第11話:彼女とは生きてきた世界が違うけど。
「人殺し――」
銀が閃いて、真っ赤な血が花火のように咲いた。
太い血管を裂いたのか、それこそ噴水のような勢いの出血。離れた位置に立つ俺にまで届いて、頬にベチャリと飛沫がついた。生暖かくて、鉄臭い。
ゴッと鈍い音がして、足元になにか転がってきた。
視線を下ろせば、それは胴から千切れた盗賊の生首。半分裂いた後に蹴り落としたせいか、切り口が鋭利なのと雑なのとで半々だ。盗賊の死に顔は、命乞いする間の情けない表情で固まっている。
……そういえば異世界に来て一ヶ月経つが、人間を相手にしたのは初めてか。
「主。盗賊の討伐、完了いたしました」
「討伐した証拠の首って、この袋に入れればいいんだよねー?」
「ああ。しかし死体入れる用に、臭い消し処理済みの袋がギルドで売ってるとはな。それだけ生け捕りが難しい人間の犯罪者が、戦場でもない場所で頻繁に発生してやがるってことか。《世界の終焉》が迫ってた頃よりバイオレンスな時代になってねえか?」
盗賊の始末を終え、デュランとベルは依頼達成の証拠となる盗賊の首を回収中。
元は人間同士で殺し合う戦場を渡り歩いていただけあるか。魚や野兎の頭を落とすのと同じ感覚で、死体の首を落として袋に詰めていく。
ハクメンは回収作業に加わらず、俺の方へと歩み寄ってきた。
「如何されましたか? 主。顔色が少々優れない御様子」
「あー、その」
「臆しましたか? 戦場に、殺し合いの空気に」
声音を低くして、ハクメンが一歩距離を詰める。
やや前に傾いた姿勢は、あたかも返り血のかかった狐面を見せつけるように。自前の狐耳が生えるため、狐面とは言いつつ耳がない。頭から目鼻までを覆う、前方に尖った形状。骸骨めいた白磁の面に描かれた眼が、ギョロリとこちらを恨めしそうに睨み上げる。
俺は蛇に睨まれた蛙のごとく、舌の根も強張って言葉が紡げなかった。
「主は、争いも流血も縁遠い平和な世界で育ったのでしょう? ですが、この屍山血河こそ我らの日常。ましてや我々は大義なく、道理なく、ただ己が利のために戦う英雄ならざる者。――貴方と私たちでは、生きている世界が違う」
狐面を外して、ハクメンは冷たい眼差しを直にぶつけてくる。
水底のように深く、呑み込まれそうになる昏い瞳。まさに修羅の眼だ。
「この先、幾度でもこの光景を貴方は目にすることになります。そしてそれを築くのは我々の刃であり、主たる貴方の御意思。私たちを従えるとは、そういうことです。我々外法の者に命運を預ける覚悟が、貴方にありますか?」
血流が凍る。臓腑が縮む。呑んだ生唾と込み上げる胃液が混じって喉を焼いた。
どれほど精巧な創作も、生身の肌で味わう『本物』には遠く及ばない。
濃密な「死」の気配を纏う彼女は、最早〇と一で構成された偶像でなく。
鋼を振るい血の花を咲かす、正真正銘の悪鬼なのだと思い知る。
そのことを俺は酷く恐れ――それ以上に焦がれ、魅せられ、惹かれていくのだ。
「……そうだな。俺は自分じゃ戦えない。自分の身一つ満足に守れない。だから今まで鏡越しの傍観者だった分、せめてこの命くらいは皆に預ける。殺すのも死ぬのも、最後まで共に在る。なんて、口ではなんとでも言えるだけかもしれないが」
「貴方は、我々が恐ろしいとは思わないのですか? あの黄金女帝のような名高き英雄でもない、怒りに身を焦がし異形と成り果てた私たちを信頼できると?」
「だからだよ」
かぐわしいほどの血の匂いに混じって、鼻孔をくすぐる花の香り。
それに酔ったように、半ば無意識に伸ばした手がハクメンの頬に触れる。
「ご立派な英雄なんかじゃない。でも、その怒りには誰より共感できる。そんなハクメンたちだから、俺は信じたいし頼りたいんだ。『やられたら、百倍にも千倍にもやり返さなきゃ気が済まない』。少なくとも、その性分は一緒のつもりだから」
そもそも一人で放り出されたら野垂れ死ぬだけだし? なんて冗談めかしつつ、唇の端を歪めてあくどく笑って見せる。ハクメンの瞳が真ん丸と大きく見開かれた。
と、横から退屈そうな声がかかる。
「リーダーとハクメンはいつまでイチャイチャしてるのさー。もう首の回収も終わったし、早く帰ろうよー」
「イチャイチャはしてないよ!? なんかこう真面目な話だった、と思う!」
「カッカッカ。……これで気は済んだか? ハクメン」
「――申し訳ありません。軽率な問いでした」
そのとき、ハクメンがどんな顔でそう告げたのか。ベルの揶揄に動揺して見逃した俺にはわからなかった。
俺は、彼女の問いに対して満足のいく回答ができたのだろうか。
画面越しじゃなくなっても、俺と三人の間には大きな隔たりがあると思い知った。
血と屍に心が動じてしまう俺には、越えられない溝なのかもしれないけど。
それでも俺は手を伸ばして、彼女に触れたい。この手を彼女に握り返して欲しい。
握り返される手が血塗れだとしても、そう願わずにはいられないのだ。
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