我が家にはビーチがある

やまもン

第1話

 私は今、裸だ。雪だるまのような体を真夏の太陽にさらしている。場所は家の中だ。窓辺に出来た狭い日なたに妻と二人で寝転がっているのである。妻も裸だ。すっぽんぽんである。

 どうしてこんなことになったのか。それは妻のある一言が原因であった。


 「ねえあなた、暑いわ」


 真夏の昼下がり、居間で食後のコーヒータイムを取っていた私に妻がそういった。暑いわ、と言われたならばエアコンなり扇風機なりを点ければよい。そう考えた私はエアコンのリモコンを取ったのだが、はて、この暑さに機械もまた耐えかねているらしく、一向に動く様子がない。


 「なあ、壊れてるみたいだ。修理業者を呼ぶか?」

 「嫌よ。業者さんが陽性だったらどうするのよ」


 そうであった。世間は今、ウイルスの波と熱波に襲われて、大荒れに荒れているのである。自粛につぐ自粛、我が家もテレワークを導入し、今日も朝からビデオ会議を行った。その間、妻は家事を行い体を動かしていた。

 つまり、ここは私の出番である。頼りにならない機械の代わりに私が妻を涼ませるのだ。私は壁の本棚に挟んであったうちわを取り出し、気合を込めて腕を振った。


 「はぁ、はぁ……」

 「ねえあなた、大丈夫?無理しないで、私はもう十分涼んだから」


 しかし、自宅勤務のせいで以前にも増して太くなった私の腕は、すぐに限界を迎えた。全身から湯気を立ち昇らせ、服にいくつも染みを作った。私は額の汗をぬぐいながら言った。


 「ふぅー、いい汗をかいたよ」

 「まだ百回だけどね」


 妻は苦笑した。さもありなん、わずか百回のうちわ振りでフルマラソン後のような有様なのだ。


 「シャワーでも浴びてきたら?まだ仕事まで時間あるんでしょ?」

 「それはいい!」


 妻の提案に従い、私はぐっしょりぬれたシャツを脱いだ。そのはずみに締め付けられていたお腹がぽよんと踊り、揺れに合わせて汗が床に飛び散る。そのさまが面白くて何度も腹をたたくと妻は顔をしかめ、うちわを私のほうに向けながら悲鳴を上げる様に言った。


 「お腹を揺らさないで!早くシャワーに行って!」


 床掃除は午前中に終えてたか、と私は体を縮めた。





 「お、おい!?何をしてるんだ?」

 「床を拭きなおしたらまた暑くなっちゃって」


 シャワーを浴びてすっきりした体にパンツ一枚をあて居間に戻った私の目に飛び込んできたのは、全裸で床に寝転がる妻の姿だった。思考が追い付かない。


 「なんで裸で寝てるんだ?!」

 「だって窓も開けられないんだもの、床くらいしか涼む方法がないわ。ほらあなたもやってみて。ひんやりとして気持ちいいわよ」


 確かに気持ちよさそうではある。私はパンツを脱ぎ去ると、妻の隣でごろりと横になった。蓄えた脂肪が床の冷気を根こそぎ吸収していく。

 冷気だけではない。この開放感、全てを取り払った開放感がたまらなく心地よかった。家の中に閉じこもる日々の反動で、悪魔的な気持ち良さがあった。


「あ゛あ゛~」


 つい汚い声が出てしまったが許してほしい。それだけ気持ちいいのだ。しかし、残念なことに一度横になった床はしばらくぬるくなる。だから妻と二人、新鮮な冷気を求めて居間中を転がりまわった。初めの位置から私は時計回りに、妻は反時計回りにぐるりと半周し、私の左から右に変わった妻は言う。


 「寒いわね」


 私は無言で返した。同意の沈黙である。体を冷やし続けたこと、シャワーを浴びて時間がたったことも併せて、急激に寒さを覚えたのだ。一度そう感じると居てもたってもいられず、私と妻は熱を求めて窓際に向かった。夏の高い日差しが作り出した小さな楽園日なたである。


 「「……」」


 しばしの沈黙。体の芯にある氷を陽光が溶かしてくれるのを待つ。やがて心も体もぽかぽかに温まると、自然口も軽くなって、私は饒舌に喋りだした。


 「なあ、これ毎日やらないか?体が温まって気持ちいいし、この開放感はたまらないと思うんだ。自分の体を世界にさらし、公開する。若い時に行ったフランスのヌーディストビーチを思い出すよ」

 「そうねぇ。二十年前の夏を思い出すわ。ミレニアムだーってあなたに連れていかれたのよね」



 ああ懐かしい。強い日差し、穏やかな波、裸の人々。ビーチパラソルの下で読書を楽しむ人、仰向けで寝そべる人、自転車をこいで新聞を配る人。その誰もが裸で、堂々と己をさらけ出していた。色んな刺激を受けて、私も妻もはっちゃけて。それがきっかけで一気に仲が進み、結婚につながったんだっけ。


 「あの時君がジョークを言うのが好きって知って、一気に惹かれたんだっけ。どんなジョークだったかなあ」

 「私覚えてるわ。『ヨーロッパのヨーロッパは日本より大きいのね。大陸はやっぱり違うわ』よ」

 「ああそうだった!今聞いてもやっぱり面白いよ!」

 「それにあなたはこう言い返したのよ。『日本は技術力が高いのさ!』って。うふふ、あれは笑えたわ。真剣な顔して言うんだもの」


 思い出した。当時はまだ彼女でしかなかった妻に会うたび、私は良いことを言おう、名言を言おうって気を張っていた。そんな私に何を思ったのか、妻もデートの回数を重ねるたびに笑わなくなっていって。このままではどうにもならない、何か進展をと思ってヌーディストビーチに誘ったのだ。

 裸でいるというのは不思議なもので、自分を偽らず、ありのままの自然体で初めて妻を笑わせられたのがあのジョークだった。体に引っ張られて心まで開放的になったせいかもしれない。


 「そういえば最近はどうなんだい?同じ家にいるけど、ほら、私はずっと書斎に籠っているから」

 「そうねぇ、やっぱり洗濯が辛いかしら。ウイルスが付着するかもって外に干せないのが大変ね。こんなにいいお天気なのに残念だわ」

 「他には何かある?」


 ここはビーチではないし、家の中にいるままだけど、裸と太陽だけは二十年前の夏と何も変わりない。いや嘘。二十年前はこんなに太ってなかった。シュッとしてた、シュッと。

 とにかく、この開放感の下に私の心の底から浮上してきた何かがこんなことを言わせたのは間違いなかった。


 「じゃあ、言わせて。まずあなた、食べ過ぎよ!もうすぐで五十になるのに毎食一合よ!?成長期の子供じゃないんだから!それから少しは家事を手伝って!せめて自分の食器は自分で洗う、汚した床は自分で掃除する、それくらいして頂戴!あと他にも……」


 妻はためていた不満を吐き出すように喋りだした。これも裸の力である。全くもっともであるため、私は平謝りした。

 長々と続いた説教が終わり、どこかすっきりした様子の横顔に私は言った。


 「いつもありがとう。私が家でこうして仕事に専念できているのは君のおかげだ。このあと、一緒に床を拭こう」

 「もう、調子いいんだから」


 ウイルスはまだまだ収まりそうにない。家で仕事をするのもまだまだ続くだろう。同じ家で暮らしていて、同じだけ仕事をしていると思うことはできない。私は今までと同じように仕事をしているが、妻の仕事は増えているのだ。

 一つの家の中、どこにも行けず顔を合わせなくてはならない家族という存在。溜まる一方の閉塞感と不満を心の内に抱えないで。裸と太陽ははっちゃける勇気を与えてくれる。


 こんな時だからこそ、裸で過ごそう。家の中に夏を、ビーチを、開放感を呼び込むのだ。


 

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我が家にはビーチがある やまもン @niayamamonn

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