序曲『魔女の息子』(10)
ジュビリア大陸の西岸に位置するコルシェン王国から、内陸のモルフェシア公国までは三日かかるという。雪空の中でも止まらない強靭なエンジンがあるから大丈夫だ、とも。
そういったことを紳士は軽く説明してくれた。飛空艇の内部構造は海洋船のそれとほとんど変わらないから、客室のグレードも、四台の二段ベッドが押し込まれた旅人用のエコノミールームから、恋人や夫婦に人気の個室、スイートルームまで多岐にわたるのだそうだ。
紳士はお抱えらしい執事――ナズレと呼ばれている彼に荷物を持たせると、客室へ先導してくれた。セシルがまさかと思っていると、豪華なスイートルームに通された。執事が恭しく扉を開けてくれたので、丁重な扱いに慣れていない少年は、おっかなびっくりの礼を返した。
そんなこんなで、グウェンドソン氏の衝撃的な挨拶のせいで頭がぐちゃぐちゃになったセシルは、生まれてはじめての飛空艇やフライトにも拘らず、気もそぞろだった。
そもそも飛ぶ行為自体は経験していたので、セシルにとって、ふわりと体が持ち上がるときの揚力と重力との感覚は珍しいものでもなかったのだが。
気がついたときには、見たかった出港のテープカットはとっくに終わっていた。
「気流に乗れたようだ。しばらくはのんびり過ごすといい」
気を利かせてくれたパトロンが隣室に行くや否や、セシルはここぞとばかりにお守り代わりの腕時計にささやいた。
「リア。ねえ、リアってば! 起きてる? どうしよう。グウェンドソンさん、オレのこと、女だって思ってるよ!」
呼び出された少女はふわぁとあくびを一つすると、小さなガラスの中で頬杖をついた。
どうやらうたた寝の邪魔をしたようだ。
セシルと同じの、触角のように飛び出した二つのくせ毛がふわふわと揺れる。
「そうねえ。セシルはわたしに似てかわいいから」
「『かわいい』は嫌だって言ってるだろ! でも、なにあれ! 外の人って、ああするのが普通なの?」
「いいえ。でも……」
「でもってなにさ――?」
リアがまごついたのを問い詰めようとした瞬間、それは三つのノックで遮られた。
「ヴァーベンくん」
「はひぃ!」
セシルは再び体をびくつかせると、戸口に現れた紳士を振り返った。
冷や汗をにじませる少年を、男は不思議そうに見つめる。
「呼んだかな?」
「い、いえ! グウェンドソンさんのこと、呼んでないです!」
鏡をちらちらと窺いながら取り繕うセシルを、紳士は軽く笑ったらしかった。
というのも、ほんの微かに口の端が持ち上げられただけだったから。
彼は扉を閉めると、その形のよいくちびるを開いた。
「パーシィで構わないよ。僕もセシルと呼ばせてもらっても? ところで、いつまでその格好でいるつもりだい?」
「ん? いつまで?」
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