1-10 終わりなき物語

 次の日。パーシィは朝食を終えると、書斎のソファで高級紙クオリティ・ペーパーアルカディ新聞を開いた。窓からたっぷりと注ぎ込む真っ白な陽光がさあお読みと言わんばかりに、印刷された文字をくっきりと紙面に浮かび上がらせる。探偵は恐る恐る目でそれをなぞった。

 しかしそのどこにも名門エルジェ・アカデミーの不審火については書かれていなかったので、ほっと胸をなでおろすことができた。

 話題さえなければ、グレインジャー探偵事務所の名が挙がることもない。

 不名誉な噂が立っては探偵活動に支障が出る。それはモルフェシア公から課せられた〈マナの柱〉と〈地上の翼〉探しにも悪影響を及ぼすだろう。

 だが、後でナズレにも各社の新聞に目を通させよう。大衆紙もだ。


「はあー」


 安堵のため息が二人分落ちる。一つはもちろんパーシィので、もう一つは机に新聞を広げる魔法少年セシルのものだ。彼は今日ハイウエストの空色のワンピースを着ている。もちろん、彼自ら進んで着てはいない。来客があるので、めかしこませたのだ。


「ケルミア新聞にはなんにも無いっぽい。そっちは?」


 セシルは地毛とほとんど同じ色をした新しいかつらの長い髪を、邪魔そうにひっきりなしに耳にかけている。あどけない顔立ちと固めのソプラノが彼の少女らしさを引き立たせ、反面、筋ばった体つきにぴったりの大味な仕草が彼の少年らしさを際立たせていた。

 パーシィはセシルと出会ってこの方、気がつけばいつも彼を眼で追っていた。

 やはり似ている気がする。探偵は、いつも胸に沸き起こる恋しさをすぐに否定した。

〈記憶の君〉――想い出の中に住まう貌無きあの子に似ているなどと、どうして思おうか。

 比べようもないんだぞ。

 ぼんやりしていると、セシルがこちらにむかって咎めるような視線を送っていた。


「パーシィ? 聞いてた?」


「ああ。無かった」


「そっか」


 答えて伏せたセシルの目元がまだ赤い。昨夜アカデミーの庭で炎に包まれたセシルを見つけたときの、あの心臓を鷲掴みにされたような感覚がまた襲ってきた。


「本当に火傷はしていなかったんだな? それとも、あとで医者を呼ぼうか?」


「いや。いいって、大丈夫」


 セシルは顔をしかめた。


「オレがあんなに頑張ったのに事件の真相がわからずじまいとか癪だから。あとずるいよね、パーシィって」


 青年は一つぎくりとした。


「なんの話だ?」


 しかし建前に熟れたくちびるは、無意識でも誤魔化しの言葉をするりと紡ぐ。

 セシルがねめつけてくる。


「オレの知らないところでこそこそやってたんでしょ。今日のお客さんはワイルダーさんだけじゃないよね。『彼女』も来る。そうでしょ?」


 鋭いのは視線だけではないようだ。

 と、パーシィが思ったそのとき扉を叩く音に続いて扉の間からナズレが顔を出した。


「旦那様。ワイルダー様がお越しになられました」


「先に入ってもらえ」


 探偵の助手は急いで新聞を畳んでとりまとめ、パーシィの隣に席を移した。

 そこへやつれた男子学生が入ってきた。一応シャワーを浴びてきたのか、いつもの脂っぽさがすっかりなくなっている。シャツもアイロンが当てられてぱりっとしている。小奇麗にしただけだが、印象が格段に上がった。パーシィはそう思った。


「どうぞ。かけたまえ」


 探偵が勧めると、ワイルダー氏は慣れた雰囲気でソファに腰掛けた。ただし、今日は応接間ではなく書斎だったので、壁一面に沿うようにびっしりと並んでいる書架をうっとりと物珍しそうに眺めていた。だがすぐ我に返って、照れくさそうに頭をかいた。


「本当に書物がお好きなようだ」


「す、すいません。こんなに立派な私設図書館をお持ちとは羨ましくて。その、好きが高じて図書館司書になりたくて。えっと、その試験も近くて」


 パーシィは眉を上げた。確かに、実際に人間と関わるよりも物言わぬ書物の管理をするほうがワイルダー氏には向いているだろう。探偵が納得に頷く隣で、セシルがぽつりと零した。


「そっか。夢がかかってる試験があったから、早く解決して欲しかったんだ……」


「そうなんです。それにしても、昨日の今日で、こうして探偵さんが呼んでくださるとは思わなかったんですがね」


 男子学生がぎこちなく微笑む。

 昨夜も眠れなかったのだろう、くたびれた顔が土気色をしている。

 そこへ音もなく執事が現れた。その手にはティーセットがある。見上げるセシルからわくわくした視線を浴びながら、ナズレは四脚のカップアンドソーサーを用意した。手はず通りだ。パーシィは執事に目で感謝を伝えた。


「やっぱりね」


 セシルはテーブルの上を見渡して、最終的に探偵の頬をじっと見つめた。

 左頬に刺さる視線も想定の範囲内である。君は本当に鋭いな、セシル。

 ポットを別のテーブルの上に置いたナズレが再び退出し、三度みたび戻ってきたときには中年女性を引きつれていた。くすんだ金髪を持ち、バッスルが張り出ている格子模様のアイボリー色のデイドレスを纏った彼女は、おずおずと膝を折った。

 ワイルダー氏が早合点するのをさえぎるため、パーシィは婦人の手を引きに席を立った。


「ワイルダーさん。こちら、ウィショー夫人」


 初対面の男女がそれぞれに手を取り形ばかりの挨拶を交わすと、探偵が引き継いだ。


「件の手紙を書かれた女性の妹君だ。ウィショー夫人。こちらが現在・・の三〇八号室に入居しているワイルダーさん」


 現在の、と言ったとき、セシルがはっとしてパーシィを見据えた。

 探偵は、つくづく賢い子だと思いながらウインクで返事をした。今にわかるさ。

 パーシィが紹介すると、夫人はそっと頭を下げた。


「ワイルダーさん。わたしが犯人です。――罪に問われるとすれば、ですが。この度はご迷惑を。申し訳ないことをしてしまって。わたしは姉の思い人に手紙を届けているつもりでした」


 女性が告白するのを聞いて、セシルが口を開いた。



「じゃあ、あの狐はウィショーさんのうちの子?」

「ええ」

 ウィショー夫人が申し訳なさそうに頬笑んだ。

 パーシィはその手を取って、椅子にエスコートした。彼女は慣れた様子で腰かけた。


「では、幽霊の仕業じゃあなかったんですね……!」


 依頼人は目に見えてほっとしていた。

 探偵が自分の席につくと、女装少年が彼の耳にかじりついた。


「てか、パーシィ!」


「なんだい?」


「ウィショーさんをどこで捕まえてきたのさ?」


「とんでもない。毎晩、決まった時間に仔犬と散歩をするご婦人がいると、守衛の男が言っていただろう。もしやと思って声をかけた。それがウィショー夫人だっただけだ」


「やっぱり、こそこそしてた。ずるい」


 大きなひそひそ話を引き継いだのは、貴婦人だった。


「探偵さんからお話を聞いてわたしがしてしまった事の大きさを知ったのです。幽霊や妖精の仕業と思わせてしまいどんどんと衰弱させてしまった。大切な夢を叶える時期と伺って……」


 夫人が男子学生に詫びている傍らで、パーシィはもう一つセシルに耳打ちをした。


「ウィショー夫人から話を聞いていたときに、君の歌が聴こえた」


 少年は訝しげに口を尖らせる。


「〈土のクラント〉は大地のリズムを呼び起こすから正確には歌じゃなくて音楽。でも、ちょっと。なんでパーシィが〈六つのマナの歌〉を聴けるのさ?」


「しっ。それはあとだ」


 パーシィは遮る。


「それでは、事の次第を最初から話していただけるだろうか、マダム?」


***


 セシルが速記用の筆記具を用意したのを認めると、女性は重たそうに口を開いた。


「わたくしにはスーザンという、仲のいい姉がおりました。学校は出ていなかったものの美しく器量よしの彼女は求婚者に苦労しませんでした。そうしてさる商家に嫁に行ってからは、ずっとばらばらに暮らしてまいりました。けれど彼女は長く子を授からなかった。そうしていつの間にか、愛人が大きな顔をしはじめ、ついには別荘へ追いやられてしまった。そのうちに病に侵され……」


 ウィショー夫人の声がだんだんとくぐもる。


「婚家の方々は、不自由なく暮らす分を用意してくださいました。けれども、延命処置まではできないと。なにせ世継ぎの母ではありませんでしたから。そうして姉は天へ召されました」


 妹はそれ以上語らず、たった一粒涙を零した。そして、深い深いため息を落とした。


「それから、遺品を整理しに別荘へ行くと、なにか引っかくような音がして」


 ウィショー夫人がそう言うなり、カリカリいう乾いた音が聞こえてきた。


「そう、こんな感じで。あなた、扉を開けてくださる?」


 彼女が執事に頼むと、ナズレは首をひねることなくそうした。すると、白い綿毛が扉の隙間から転がり込んできた。そしてそのまま、セシルの足元に腹をつけた。驚く魔少年の手前で、夫人がくすくす笑う。


「それである日、その子に出会いましたの」


「名前はなんていうんですか?」


 セシルが子狐を撫でながら問うと、貴婦人は首を振った。


「つけていませんの」


「どうして?」


「姉が用意していた子の名前をつけたかったのだけれど、それがわからなくて」


 書斎に静けさがたちこめる。それを覆うかのように、閉じた窓の向こうから飛空艇が飛び立つ轟音が聞こえてくる。車のエンジンが近づいては遠のき、子どものはしゃぐ声がそれに追随する。


「よければ、あなたが引き取ってくださいな、小さなレディ」


「えっ。でも――」


「どこからともなくやってきて、秘密の夜の散歩をした仲でしかないのです」


 セシルが遠慮がちにキツネを抱き上げると、キツネはセシルの隣で足を折り畳んだ。

 女性は目に見えてほっとしていた。


「その子が引っかいていたのは書きもの机でした。そこは空にしたばかりでしたから、不思議に思いながら開いたのです。引き出しを抜きだして覗き込むと、そこに隠し棚があるのがわかりました」


 ウィショー夫人の瞳が細められる。

 相貌には皺が目立ちはじめているが、それでも十分に美しかった。


「隠されていたのはしっかりと糸で束ねられた手紙でした。日に焼けて薄茶けて、黴臭ささえある手紙は姉の娘時代のものとわかりました。きっと恋文であるとも。上に重ねた紙に、エルジェ・アカデミーの三〇八号室宛てと記してありましたが、いったい誰に宛てて書いたのかはわからなくて――」


「アカデミーの名簿は出身者にしか見られないから。そうでしょう?」


 パーシィが口をはさんだのに、女性は頷いた。

 セシルだけが瞳を丸めていたが、探偵は夫人に紅茶のおかわりと話の続きを促した。


「あそこは名門で、学生さんとその関係者しか入れませんものね。ですから手紙も届けようがなくて。でもまさか署名まで無かっただなんて……」


「中をご覧には……。開かなかった、ということか」


 パーシィはちらと視線を落とし、セシルの手元を確認した。

 少し丸まった筆跡が段々と崩れつつあるが、読むのは難しくない程度だ。


「ええ。読んだことはありません。ですが知り合いの方が届けてくれればと思って。そのチビちゃんに託しました。わたくしの話はここまでです」


 夫人のアルトは終始穏やかだった。

 だから、語られる話もいつの間にか始まり、終わっていた。

 太陽が雲に覆われたのと同じく、部屋中もどこかどんよりとしたものに支配されていた。

 若くして世を去った家族の秘められた思いが籠もった手紙、それを開けたのが何の関係もない青年で、彼は姿かたちのない存在に怯えて。

 パーシィはやり場のない気持ちと視線を依頼人に向けた。


「ワイルダーさん。今日、その手紙はお持ちだろうか?」


「ありますが……。ご覧になりたいですか?」


 憑き物が落ちたように呆けていた学生の男は、皮鞄の中からあのクッキーの缶を取り出した。

 だが、しっかりと握りしめている。ウィショー夫人に手渡したくないようすだ。

 セシルがとっさに顎を上げたのを、パーシィは視界の端で認めた。代わりに尋ねてやる。


「どうなさいますか?」


「……やめておきます」


 夫人はどこか申し訳なさそうに頬笑んだ。


「みなさんの手前で泣くわけにはまいりませんから」


***


 正午を迎える前に、ウィショー夫人は送迎の自動車に乗って帰ってしまった。

 結局、彼女の姉スーザンの手紙は、サミュエル・ワイルダーの鞄の中に再び舞い戻った。

 彼もまた、すぐに帰ると言って玄関に向かった。それをセシルが引きとめていた。


「せっかく解決したんだし、お昼でもどうですか。アカデミーの先輩だし、お話聞きたい!」


 ワイルダーは乾いた笑い声を立てた。


「きっと素敵な昼食会になるでしょうね。でも、今は思いっきり泥のように眠りたい気分なんです」


 それこそ、体が溶けてベッドになってしまうくらいに。

 と、ワイルダーがジョークを飛ばしたのにセシルがくすりとする。

 パーシィは喜ぶべき場面とわかりながらも憮然としてしまっていた。

 それに気づかないまま、セシルは目の前のやり取りを楽しんでいる。


「そんなに言うほど、眠っていなかったんだ」


「まあ、そうですね」


 依頼人の晴れやかだった顔が、すうっと翳った。


「私が……いや、もういいね、君は魔女ではなく後輩だからね。が怖かった本当の理由は、この手紙を書いた人が、本当に本当にこの人を愛していたとわかったからなんだ。それがもし僕なら、とてもとてもこたえられないような、一途な愛なんだよ。もし、こんなふうに愛されることがあったら幸せだと思う。僕もこんなふうに誰かを愛する日が来るだろうかって考えたりすると、今日も眠れないかもしれない」


 かまいたちがグウェンドソン邸を駆ける。セシルの長い髪が巻きあげられ、風に噴水の水が波立ち、飛沫が舞う。その上を大きな影がぬらりと舐めていく。風の歌をかき消すほどの人工の轟音が、パーシィたちの耳を支配する。


「サミュエル!」


 パーシィは飛空艇の真下で思わず叫んだ。彼は声を上げてからそうしたことに気付いた。


「すべてを理解しただろう、君だけが!」


 学生は、虚を突かれたように目を剥いた。セシルも驚いている。


「パーシィ?」


「二〇年前に三〇八号室に住んでいた男の名はウィショー。ベンジャミン・ウィショーであると! エルジェ・アカデミーに籍を置き、図書館司書を目指す君のことだ。名簿を調べないはずがない!」


 飛空艇が遮っていた陽光が再びグウェンドソン邸に降り注ぐ。

 静かな前庭に、噴水とパーシィの喉がぜえぜえいう音だけが残った。


「そう。正解です。やっぱりすごいな。探偵さんって」


 サミュエルはパーシィに向かって、眩しそうに目をしばたたいた。


「そう。ベンジャミン・ウィショー。彼女の――スーザンの好きだった人は、僕と入れ替わりにあの部屋に住んでいた。セシルさんと違って僕は大人になってからアカデミーに入ったから。君が生まれたぐらいにはもうあそこにいたんだもの。名前がわかっても人となりはわからずじまい。でも、ウィショー夫人と聞いて確信したよ。スーザンが手紙を封印したその理由が」


 彼は大切な思い出を語るように、とつとつとつぶやいていた。

 もしかしたら、自分に言い聞かせているのかもしれない、と探偵は思った。


「パーシィさん。僕はあのとき迷ってました。手紙をウィショー夫人に見せるかどうか。でもやっぱり、スーザンのしたように彼女の気持ちを秘めたままにして良かった。これからも彼女の意思を尊重したいと思います」


 彼の目じりにうっすらと滲んだ涙の意味を、探偵は追求しなかった。


***


〈手紙を書く女〉事件は、セシル少年の心に濁りを残して終わった。

 夕餉も変わらず美味で、事件も解決した。そのはずなのに気持ちがもやもやする。

 気付けば、うっかり引き取った子狐の頭をわしゃわしゃと撫でまわしていた。

 セシルの真意を知らない狐は、嬉しそうに乱暴な愛撫を受け入れている。

 後は眠るだけの身だったが、セシルはベッドから跳ね起きてガス灯を消すと部屋を後にした。その後ろを子狐がとことことついてくる。廊下を室内履きの踵が鳴らないよう気をつけながらゆき、しばらくして扉の前に立った。深呼吸。ノックのために持ち上げた右手が一度はためらうも、次の瞬間には四つの乾いた音が鳴った。

 返事は無い。足首が冷える。

 セシルがあきらめて去ろうかとしたそのとき、扉が開いた。

 ガウン姿の青年が冴え冴えとした青い瞳でセシルをとらえた。

 少年はけだるげな彼の様子にうっすらと共感を覚えた。パーシィも、そうなんだ。


「いろいろ話したいことがあるんだけどさ」


「構わないよ」


 青年が招き入れてくれた寝室は、篝火の暖かな色に染められていた。子狐はめざとく暖炉の前に駆け寄って、ラグの上に体を投げ出した。ごろごろと転げまわるのが愛らしくて、セシルも思わず近寄って傍で膝を折った。確かにぽかぽかと日だまりのように優しい。

 その少年の背中に静かな足音が近づく。そのまま、話す。


「ねえ。この狐、本当に飼ってもいいの?」


「ああ」


「火を吐くよ? 妖精かもよ?」


「だから、魔女と一緒に保護する」


「なるほどね」


 パーシィは一人掛けのソファから毛布をとってセシルの肩にかけてくれると、自身はソファに腰を下ろした。だが、背もたれることなく前かがみになって、少年と一緒に狐が穏やかな寝息を立てるのを見ていた。セシルは毛並みに沿って撫でる。


「ウィショー夫人は知ってたのかな。この子が火を吐くこととか、お姉さんが好きだった相手が今のご主人だとか」


 パーシィが手にしていた一通をぴらりと見せた。


「さあ。知っていたら、こんな燃えやすい手紙なんて咥えさせないだろう。でも後者は……」


 知っていたかもしれない。

 最後まで聞きとれなかったけれど、セシルにはそう聞こえたような気がした。


「それは何?」


「これは最後の一通。あの日届けられた、スーザンの最後の手紙だ」


「なんでパーシィが持ってるのさ」


「サミュエルが、僕に持っていてほしいと」


「……読むの?」


「それは、紳士のやることじゃない、セシル。たった一人のために心を込めて綴られた手紙を横取りして読むほど、僕は野暮じゃないつもりだ」


 パーシィは、それを火にくべた。茶色く変色するほどに乾ききった紙に炎が宿り、ぱっと真っ赤に光りながら燃えて、一瞬で炭になった。あっという間だった。

 セシルはパーシィに詰め寄らなかった。そうしたかったが、もっと複雑な、いろんな考えが去来してすぐに行動ができなかった。暴れても良かったがやめておいた。

 ああ、そうか。だから大人は、口を使う。


「……オレ、ワイルダーさんは読みたかったと思うよ。その手紙」


「僕は、そうは思わない」


 静かな返答が憎らしくて、セシルは気付けば叫んでいた。


「なんで? だって、あんなに大事にスーザンの手紙を持ってた。持って帰った!」


「あれは、あの手紙こそが幽霊ゴーストなんだ。残された、今は亡き思いのかけら。永遠に誰にも届かない、幽霊からの手紙」


「……わかんない」


 パーシィの瞳は、微かな炎に燃えている。

 まるで、青空に火の手が上がったような空恐ろしさがあった。


「本を愛する男――スーザンの苦い恋心にあてられ取り憑かれたサミュエルが、最後の一通を読みたいだろうか。乙女が永遠に片思いを続ける美しい物語に、ピリオドを打ちたいと」


「そんなのわかんないよ……!」


 セシルの心と気持ち、考えがいっしょくたに膨れ上がって、頭が爆発しそうだった。

 知っている言葉の羅列なのに、ちっとも頭に入ってこない。理解を拒否している。

 この物悲しい事の韻末を受け入れたくないと、少年の心が苦しみもだえている。


「パーシィ、燃やした手紙に何を書いてあったか知らないだろ……。燃やしちゃったら、無くなるんだ。もう、誰も読めない。本当に誰にも伝わらない。無くなっちゃったから……!」


 はらりと、頬が濡れたのに気付いた。しかしもう遅かった。

 涙は止まらなくなって、言葉までも塞いでしまった。

 泣きじゃくるセシルの顔を、いつのまにか起きた子ギツネが舐める。

 少年の隣に、パーシィがそっとかがんだ。


「僕はスーザンがなんと書いたのか読まなくても解ったさ。もちろん、あのサミュエル・ワイルダーという優しい男だって気付いている。引き裂かれた恋の結末に贈られるべき言葉を」


 そして、細長い指でセシルの涙をそっと掬った。


「スーザンは恋文を書いた。けれど送らなかった。送れなかったんだ。理由はたった一つ。そのときには既に縁談が進んでいて婚約していたからだ。そうでなければきっと――」


 パーシィは右腕で、セシルの肩を優しく抱き寄せた。そしてその手で頭を撫でてくれた。


***


 少年の内から湧き出た涙は、なんだかよくわからない、釈然としない気持ちをすべて洗い流してくれた。後に残った寂しさにもきっと、次の朝には慣れるだろう。でも、今日は甘えてしまえ。そう思ったので、セシルはパーシィのベッドへ一足お先にもぐりこむことにした。


「最後に一つだけ」


 二人が寝そべってもまだ余裕があるベッドに、青年が体を滑り込ませる。


「今日は知りたがりだな」


「そういえばさ。どうして『グレインジャー探偵事務所』なの? パーシィの家名はグウェンドソンだろ?」


 彼は少し嬉しそうに答えた。


「ああ。それか。大好きな作曲家から拝借したんだ。偶然、名前が一緒だったから」


 いわゆる、満面の笑みがそこに花開いた。

 大好き。拝借。名前が一緒。どこか心に引っかかる。

 けれどセシルはそれを無視することにした。情けないけれど自分に嘘をつくのは得意だった。

 蝋燭を吹き消すと、焦げ臭い匂いと共に暗闇が訪れた。

 しばらくすると、隣から規則正しい寝息が聞こえはじめた。

 けれどもセシルの瞳は、窓の外にいる月のように爛々と冴えていた。

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