1-9 犯人確保

 まただ。また、調査どころではない気分になってしまった。

 これも全てリアのせいだ。今度は本当に他人のせいにしていい。全く腹立たしい。


「天空城、ヘオフォニア……」


 頭をいきなり殴られたような、それこそ夢のような話だ。作り話かもしれない。魔法使いの一族に生まれたセシルでも、天空に浮かぶ城の話など聞いたことがない。

 パーシィとは守衛所で別れた。

 どうやら彼は、犯人が逃げ出したときに捕まえる役を買って出てくれたようだ。

 犯人が人間なのか幽霊なのか、はたまた妖精なのかは未だに謎だが。


「見ていればわかる。後で合流しよう」


 と、言い残したパーシィの指示に従い、今セシルはメルヴィンと一緒にワイルダー氏の部屋、そのドアを廊下から見張っていた。ちょうどよいことにワイルダーの部屋は建物の角にあったので、その扉の前にある壁にぴったりと背中をつけて布を被って置きもののふりをすることができた。かくれんぼみたいで面白く、二人で寄り添っているので夜の寒さも紛れる。もちろん、監視のための穴を四つ開けてある。明るい昼間ならば幼稚な隠れ先としてすぐに見つけられるだろうが、今は夜だ。廊下に据え付けられた燭台は火事防止のために使われておらず、学生は移動のために自分のランプを持ち歩くし、なにより月光の差し込む窓のその下に陣取っているから、逆光になって見つかりにくい。つまり二人は夜闇に守られていた。


「はあ」


「セシル」


 ぴったりと肩と肩をくっつけあっている少年から咎められる。


「ごめん」


 セシルはもっと縮こまって、ぼそぼそと謝った。

 結局、当惑した頭では何を着ていいかわからなくなったので制服を着てきた。

 スカートの下にドロワーズを履いていても足元がすうすうするのは変わらない。

 並んでくっついて座っているのに黙っているというのは、なんだか気まずい。

 無言の隙間にメルヴィンの体温を意識してしまえば居心地も悪い。

 きっとメルヴィンは女の子と接近していると思っているに違いない。ごめん、細くて固くて。


「……セシル」


 隣の友人のことを考えた瞬間に名前を呼ばれたので、魔少年は体ごと驚いた。


「しいっ」


 今度はセシルが注意する番だった。けれどもメルヴィンは悪びれずに低く語りだした。


「一つだけ。グウェンドソンさんは、どうして君のパトロンに?」


 なんだ、それか。セシルはほっとしたあまり思わず笑ってしまった。


「ワタシのおばあちゃんがパーシィの命の恩人なんだって。だからワタシたち家族のサポートをしてくれるって」


「そっか。セシルには素晴らしいご家族がいるんだね。けれども本当にそれだけ? 親戚でもないんだろう? あの人に何のメリットがあって君の後見人を名乗り出たんだろう?」


 メルヴィンの顔が見えないので、表情は全く分からない。


「オ……ワタシの他にもバーバラさんにも学費出してるし、そういう趣味なんじゃないかな――」


「それは誰?」


「うちのメイドさん。エルジェの大学に通ってる」


「メイドにまで学費を? その人はグウェンドソンさんの恋人なのかい?」


「し、知らないよ!」


 温和な物言いでどんどんと重ねられる質問が遠慮なくて、セシルはどうしてかぞっとした。

 追い立てられている気持ちがする。


「僕から見れば、学生の身分の代わりに身柄を買われたようにしか見えない。ねえ、セシル。君の意思は、尊厳は、本当に尊重されているのかい?」


「それは……」


「理解した上で助けてくれると嬉しい。僕には君の力が必要だ」


 口籠ったセシルの脳裏に、パーシィの声がありありと蘇って心を貫いた。

 メルヴィンの言うとおりじゃないか?

 パーシィは結局、オレの体に流れる魔女の血と力を求めていただけじゃ。

 ぎゅっと膝を抱える手が、かじかんで痛い。つま先の感覚も気付けば冷えで無くなっていた。〈マナの柱〉を探せる魔女を捕まえられてお婆ちゃんの依頼も解消できて、一石二鳥だもんな。

 あれ? セシルはふと沈み込む考えの中で立ち止まった。

〈マナの柱〉を探すのがパーシィの仕事だとして、それを依頼したのはモルフェシア公だよな。

 どうして〈マナの柱〉を見つけなきゃいけないんだろう。

 機械に使うマナが足りないから。じゃあ、機械にマナを注ぎ込むのはいったい誰が――?


「セシル、あれだ!」


 メルヴィンの鋭い囁きが飛んできて、セシルは口を噤んだ。

 二人はまた、物言わぬオブジェとなるために黙りこくり、身じろぎを止めた。

 そのときだった。

 セシルの暗闇に慣れた瞳孔が、廊下の彼方に何か揺らめくものを捉えた。

 ふわふわと浮かんでいるようだ。不規則に動き、床の近くすれすれを漂っているそれは左右に揺れながらどんどんと大きくなる。こちらに近づいているのだ。動く松明のように白い煙のような軌跡をたなびかせてもいる。白い物体が近づくにつれ、一歩一歩廊下の床を叩く足音がだんだんと大きくなる。緊張に強張った喉で、ごくりと生唾を飲み込んでから、はたと思った。

 ん? 一歩一歩?

 セシルが疑問符を浮かべたその瞬間、正体不明のふわふわが月光の下に曝された。

 銀色に光る毛並みに、赤いリボンが一筋見える。耳はウサギのように大きくて、尻尾は顔をうずめたくなるほど豊かだ。

 とことこと可愛らしい足音を立ててやってきたのは、セシルが見たキツネだった。

 ただあの日と違うのは、白いキツネが紙きれを咥えている点だ。

 色々なものがセシルの頭の中で収束しつつあった。感動すらある。

 でも、今ここで声を上げてしまえば証拠にならない。だんまりを決め込む。

 隣のメルヴィンだって一緒に頑張ってくれているんだから。オレが台無しにしてどうする。

 キツネはワイルダー氏の部屋の前で立ち止まると、黒い鼻をくんくんさせた。

 ひとしきり匂いを嗅いで何かを確かめたあと、咥えていた紙を床に落とすとそれを鼻で押して、上手いことドアの下から部屋の中に忍ばせてしまった。

 器用だと感心する傍で、セシルは小さく指示を飛ばした。


「メルヴィンは、ワイルダーさんと一緒にいて」


「えっ」


 次の瞬間、魔少年は被っていた黒い布をはぎ取って、キツネの前に立ちはだかった。

 白い子ギツネは飛び上がると、きゅっと鳴く間も惜しんで駆け出した。

 これも予想の範囲内だ。セシルも後を追う。


「だめだ、セシル! 相手は妖精だ、危ないぞ!」


「大丈夫! 絶対に捕まえてやるって!」


 その背中に友だちの声がかかるが、振りかえらない。

 制止は振りきってもかつらはずれない。

 なぜなら、こんなこともあろうかと、いつもより二倍多いヘアピンで留めてきたのだ。

 多少頭皮が引き攣れるところもあるが、外れてしまうよりもましだ。

 足音も高らかに走るセシルの前でキツネが角を曲がった先の階段を身軽に飛び降りていった。

 段を刻む時間がもったいなくて、セシルは勢いよく手すりにまたがって滑り降りた。

 それでも追いつかない。羽が生えているみたいに速い。


「それ! あれ? やっぱり幽霊なのかしら?」


 そうして三階から一気に地上へ降り立つと、男子寮の玄関で寮母のマルガが網を振り回しているのを見つけた。キツネはぴょんぴょんと避けているだけだ。


「マルガさん! 大丈夫、キツネだから!」


「白いのに? きゃあっ!」


 セシルが援護に駆け寄ると、子ギツネは二人の足元をすすっとくぐりぬけて森に逃げた。


「……逃がしちゃった……」


 がっかりするマルガを置いて、セシルは玄関を飛び出した。

 時間は夜。場所は森。誰も見通せない暗闇が、セシルを守っている。

 だからこそ、勝算はあった。

 それにしても、運動不足が祟って息が上がっている。心臓もばくばくと今にも破裂しそうなほど稼働している。それで思い出した。使えるような気がした。

 土と根に支配されたこの庭ならば、大地のリズムを感じられるに違いない。

 しかし時間は限られている。満足に歌えないときには詩句のみで命令するほかない。

 大地よ歌え。我が求めに応えよ。おまえの歌で、白きものを縛せ。


「ドゥ・ユマラ・エータ。ドゥ・ユマラ・オ・マナ。ドゥ・フュマラ・ウュマ。ドゥ・コルト・ウィタヤ」


 この場に隠れているマナのかけらを拾い集めるつもりでセシルは走りながら根気強く唱えた。

 すると、少年の走るテンポに合わせて、足元の木の葉がざわざわと動きだした。

 にわかに近く遠く太鼓の音がしはじめる。少年の脈動と一致している。

 白樺やハルニレが清らかなラップを奏ではじめたのに合わせて、そこをねぐらにして眠っていた鳥やリスが一斉に起き出した。星が見下ろす世界に真昼の喧騒が突如として湧き上がった。

 森は今や、まるで指揮者不在のオーケストラのように、思い思いに体を奏でている。

 けれども、不思議とグルービングは一致していた。枯れた、あるいは土と同化しようとしていた落ち葉たちが真っ黒なさざ波を立てている。

 いつのまにか足を止めていたセシルの足首に打ち寄せるのは、土臭い乾いた海だ。

 大地は答えてくれた。セシルの奏でた土のクラントに。

 セシルが達成感にうち震えているとき、森の波が白いものを少年に向かって投げつけてきた。


「おっと」


 なにかはわからないまま抱きとめると、それは細いアイビーのつるに巻かれた白いまあるいものだった。暖かくてふわふわしていると思った瞬間、白い毬がきゅうんと鳴いた。


「キツネちゃんだ! 本当に捕まえてくれたんだ……! ありがとう、〈土のユール〉たち」


 セシルが宥めようとするが、白い子ギツネはじたばたと抵抗している。

 いやいやをする小さな体が小刻みに震えている。


「そう、だよね。怖いよね」


 得体の知れない大きな力で捕縛されてしまったキツネに、自分自身が重なって見えた。


「でも、お前のほうが偉いよ。自分から何かをやろうとしてたんだから」


 少年がそう呟いたときだった。

 子ギツネがおもむろに口を開けてなにかを吐きだした。


「うわあっ!」


 熱いと思ったときには、既に遅かった。

 気付けば、セシルのジャケットに火が付いていた。

 思わずキツネを放り出して、それを脱ぎ、足元で踏み消した。

 けれども火は舐めるように少年のかつらに燃え移っていた。人口の髪の毛は毛先に真っ赤な炎を宿し鼻につく匂いをあたりにたちこませ、もうもうと燃える。

 慌ててむしり取ろうとするも、いつもより多いヘアピンが仇となってなかなか取れない。

 このまま燃え続けて地毛にまで引火してしまえば、火傷どころではすまない。

 熱い。

 熱さに声を上げて助けを呼びたいのに、パニックがそれを許さない。


「……だ。やだ……!」


 無我夢中でかつらをひっぱっているセシルの瞳から涙が落ちた。


「助けて……!」


 それが悔しさなのか絶望なのか痛みのせいなのかはわからない。全部かもしれない。


「セシル!」


 すると突然、少年の体が後ろから押し倒された。

 肩のあたりになにかをかぶせられ、体中を叩かれる。

 そのうちに、あの絶望を呼びこんだ熱は消え、枯れ葉のベッドへうつ伏せになったセシルの鼻先に燻った髪の毛の塊が落とされた。ヘアピンもすべて一緒にむしり取られた。

 呆然とする少年は、何者かによってひっくり返された。

 木々の隙間から差し込む月光に、耳飾りがきらめいた。


「セシル、なんて、無茶を……!」


 息が上がっている長身痩躯の男を見て、セシルは顔をひくつかせた。


「……パーシィ……」


 泣き声よりも先に、涙がぼろぼろと溢れた。


「なんで……。なんで、ここだって、わかったんだよ……」


「わかったのさ」


 四つん這いになっているパーシィは仰向けになったセシルの首から肩まわりに、あたりに寄せ集まっている落ち葉をかけた。


「また、音楽が聞こえたから」


「それだけで、なんで助けて……!」


「犯人を前に君が頑張っているところへ駆けつけずして、何が探偵だ」


 探偵は羽飾りの豪奢な耳飾りを撫でて、くしゃりと笑った。

 それは、不安がほどけて今にも泣き出してしまいそうな顔だった。


「また魔法を使ったんだろう? 君は助手なんだ。独りで頑張らなくていいのに」


***


 パーシィはそのあと、セシルの消火が完全かどうか念入りに調べると、守衛の一人を呼んできて、事件のあった一帯に水を撒くのを手伝った。

 セシルが事の韻末を話して聞かせると、紳士は火元の原因が白いキツネとなるとまた騒ぎになるのを危ぶみ、今回は不審火を見つけた、という話にしてくれた。

 遅れて駆けつけてくれたメルヴィンとワイルダーも消火の後始末を手伝った。

 その間セシルはパーシィが着せてくれたコートを羽織り、頭にはマフラーをショールのように被っていた。いたく心配してくれた友人には、急に熱が上がったと話をでっちあげた。

 実際、腫れぼったい顔をしていたのでメルヴィンは眉を傾けてすぐに信じてくれた。

 白いキツネは、守衛に任せればすぐさま保健所に送られ、ゆくゆくは殺処分にされるということで、セシルのたっての願いでグウェンドソン邸に連れて帰ることにした。

 キツネはというと、お詫びのつもりなのかセシルの肩に乗って頬をぺろぺろと舐めてくれた。

 ざりざりと舌で削られるような感じがしたが、少し嬉しかった。

 急病人と不審火とで深夜のエルジェ・アカデミーがざわついたところに、自動車が到着した。

 運転手はもちろん執事のナズレだった。

 彼は流れるような手つきで探偵と助手を後部座席に乗せて、自分も運転席に戻った。


「ナズレ。彼女は?」


 探偵が問うのを、くたびれた耳で傾聴する。ああ、膝の上で丸まったキツネがあったかい。


「落ち着かれたご様子で。明日は必ずいらっしゃるそうです」


「そうか」


 そして探偵と助手は彼の運転で帰路についた。

 メイドの姉妹はぼろぼろのセシルを見るなり本当の姉のように心配してくれたし、料理人ニールがベッドサイドに蜂蜜入りのホットミルクを持ってきてくれれば、パーシィが様子を見に来てもくれた。


「やだな。オレ、赤ちゃんじゃないって」


 そして、一連の珍しい出来事の締めくくりはやはり、珍しいものだった。


「明日の新聞が楽しみですね、旦那様」


 ナズレの揶揄を聞いて、パーシィとセシルは顔を見合わせた。

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