1-8 渇望

 闇の支配する時刻。ガス灯と蝋燭と、贅の限りを尽くして昼間のように明るく照らしだした寝室、そのベッドの上で、男女は寄り添っていた。男の肉体は精悍さのピークをとうの昔に迎えており、がたがきた左半身は機械に挿げ替えていた。生身の右側で抱くのは、真っ赤な長髪を流しうっとりとしている彼の愛人だった。

 男はベッドの天蓋に、軋む左腕を持ち上げ、ぎらつく五指をゆっくりと握りしめた。

 同様にして開く。いうことはきくものの、意図するよりも反応が鈍い。

 エネルギー源のマナが枯渇してきている証拠だ。忌々しい、偽りの体め。


運命の翼は四枚あわせ

空の翼は魔女が持ち

地の翼を夢追い人に託さん


天空城は魔女のもの

魔女の見初めた人のみが

魔法の調べを耳にせん


地上の翼得し人は

その翼もて空に発たぬ

魔女の歌を継ぎし人

すべての願いをかなえにけり


 男がほとんど無意識に諳んじた古い詩を、女が笑った。


「チャリオット様も飽きないのね。この詩、モルフェシアともケルムとも、フォルトゥーネとも言っていないのに」


 男は目を細めて、小馬鹿にしてくる女の頭を右手で撫でた。皺だらけになってしまった手のひらだとしても、温かさや触感を伝えてくれる。だがこれが、もっと若々しければどうだろう。

 少年の、まだ大人になりきれぬ柔肌で触れたならば。


「アイナ。お前はモルフェシアの生まれでないから、ラ・フォリアの天女信仰が無いだけだ。この詩は紛れもなくフォルトゥーネ様とモルフェシアを歌ったもの。誰一人として、見たことがない。ただ、それだけだ」


 アイナと呼ばれた女は甘えるようにして男の胸に頬を寄せた。


「他の女の名前なんか呼ばないで。あたくしがいるのに。あなたの子どもだって産んだ」


「フォルトゥーネ様は運命の魔女で、モルフェシアの女神だが、女ではない。女とは――」


 チャリオットはアイナを仰向けに組み敷くと、くつくつと笑った。

 そして、愛人の厚ぼったいくちびるに吸いついた。


「こうするものだ」


 彼女は少女のようにくすくすと喜んだ。戯れのキスを何度も返す。


「でも、嫌なものは、嫌」


 まるで父親に我がままを聞いてもらおうとする駄々っ子のように、女はねっとりと甘える。


「だから、あなたの言うとおりにする。地上の翼を見つけて、あたくしが次のフォルトゥーネになるわ。そうすれば、あなたはどちらにしてもあたくしのことを呼ぶことになる。あなたの美女ベラドンナとして永遠に咲いてみせるわ」


 チャリオットはさも嬉しそうに顔を緩めた。そうしてみせれば、この女は喜ぶのだ。

 そして今、手に入れている地位をより高くするという夢を、チャリオットの黒々とした瞳の奥に見ている。男も男で、愛人のアトロパ・ベラドンナという仮初の名に夢を見ているのだが。運命の糸を断ち切る美しい女。


「夢追い人に差はないな」


 男の黒髪には、白いものが混じりはじめている。髭もそうだ。地位も肩書きも無くし明らかに朽ちはじめている己の運命の灯火は、自らが守りつづけるほかない。

 そうして元モルフェシア公は再び愛人の体に没頭した。

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