1-2 探偵と契約(1)
探偵パーシィ・グウェンドソンはその日、人が背中だけで怒りを表せることを知った。
二七年の人生ではじめてのことだ。年の離れた妹にさえされたことがない。
魔女の息子セシルは彼を無視するような愚かな真似をしなかったが、その代わりに前日から言葉や行動の全てをいちいち刺々しくした。
昏く寂しい一夜を経た誰しもが癒される朝食の後でさえ、輝く亜麻色の髪を翻して振り向く少年の顔は険しかった。まるで歩く薔薇のようだ。そう褒めたら喜ぶだろうか。事実、彼の髪はあかがね色よりも薄い亜麻色だ。陽に透けると花びらのように鮮やかな色を見せる。
それとそっくりの色をしたかつらをしっかりヘアピンで留めて、少年は家を出た。
少女に扮した彼を今日もナズレがエルジェ・アカデミーまで送る。彼の運転する自動車がエンジンをふかして去っていくのを見送るのも、パーシィの日課だった。
だが、見送ってすぐに執事の車が戻ってきた。
出迎えられた彼は黒い瞳を丸め、次の瞬間にはたっぷりとした笑顔を浮かべた。
「どこか、おかしかったか?」
「なにも。私めがドアを開けるのをずっとお待ちになられていたのですか、殿下?」
笑い声を立てずに笑うことができるナズレは、執事の中の執事だった。
けれどもその笑顔の意味がまだ理解できない。
訝しむついでに小首を傾げると、右耳の飾りがしゃらりと涼しい音を立てた。
微かな金属音だったが、気持ちをほんの少し和らげるのに役立った。
「いや、そうではない。と思う」
「でしょうね」
ナズレが訳知り顔で開けた扉をくぐると、今度はバーバラに出くわし、驚かれた。
彼女は私服で、二つのお団子髪を下ろしていた。つまり大学に向かうところだ。
「あれ? 今日は殿下もご一緒にセシル様を送ってきたんですか?」
ふいにどきりとする。ついでに、腹のあたりにちくちくした不快感が生じた。
「いや。そうではないんだ、けれども……」
少女は不可解そうにぱちくりと棗色の瞳を瞬きさせながら主人の顔をまじまじと見つめてきた。が、ほどなくして廊下に建てつけられた柱時計の鐘の音を聞くなり、慌てて頭を下げた。
「あっ、すみません! 行ってまいりますね!」
パーシィは駆けだしたメイドの女学生をぼんやりと見送った。バーバラが焦って去ったのはわかる。第一限に遅刻しそうだからだ。八つの鐘の音がそれを物語っている。けれどもなぜ、パーシィが使用人たちから驚かれているのかは未だ不明だった。わからない。思わず鼻が鳴る。
頭をひねりながら居間に戻ると、お茶の支度をしていたフィリナがあっけらかんと言った。
「あら、殿下。そのご様子ですと、セシル様にちゃんと謝れなかったんですね」
今度は、さすがのナズレもくすりとした。
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