第7話 こうして勇者は業を負った
救世の勇者たちは、平和になった異世界ロイヤリティを離れ、帰還した。
そして。再び“それ”と相対した。
―― 「勇者たちよ、よく務めを果たしてくれました。感謝します」
その感謝の辞は、朗々とその場に響き渡った。世界と世界の橋を渡し、世界と世界の理を司る“それ”は、どこまでも超然と、世界を救った帰還者たちを迎えた。
「ふざけないで!」
「何が務めだ! ずっと騙していた分際で!」
「……あなたが、事前に……魔王軍のこと……魔族のこと、教えてくれていたら……あんなことには……」
「…………」
勇者たちはその存在に激昂した。ただひとり、薄紅色の装飾を身につける、グリフィンの勇者を除いては。
聡明でも、潔白でもない、慈しみに溢れるわけでも、情熱に溢れるわけでもない。けれど、誰より勇敢な、勇者たちのリーダー。
勇気を司るグリフィンの勇者だけは、まっすぐ“それ”を見据えていた。
「……ねえ」
―― 「はい。なんでしょう、グリフィンの勇者」
「願い、叶えてくれるんだよね。そういう約束だったよね」
しかし、その声は怒りに震えていた。平静なようでいて、途方もない怒りを必死に押さえ込んでいるのだと、他の勇者たちは瞬時に理解した。
「光の世界ロイヤリティを救ったから、わたしたちのお願いを叶えてくれるんだよね?」
―― 「もちろんです。約束は果たします。あなたは何を望みますか? グリフィンの勇者」
「決まってるよ」
グリフィンの勇者の声は揺るがなかった。
「あの人たちを生き返らせて。幹部だけじゃない。全ての、あの世界の犠牲になった人を」
―― 「なるほど。しかし――」
「――イヤとは言わせない」
そしてその声は、どこまでも低く、暗く、その場を制圧した。
「もしも断るなら、わたしは多くの魔族を屠り、魔王を討ったこの剣で、あなたを斬る」
―― 「早まってはいけません、勇者よ。私は何も、断るつもりはありません。それ相応のリスクがあるということを告げているのです」
「どういう意味?」
―― 「まず、大前提として、死んだ者は生き返りません」
「…………」
―― 「剣を下ろしなさい、グリフィンの勇者。まだ話には続きがあります」
「もったいぶってないで、早く言って。時間稼ぎをしているのなら、やはりわたしはあなたを斬る」
―― 「あの世界でもう一度蘇る、ということはできません。それは世界の理をねじ曲げ、再び歪みを生みます。しかし、異世界ならば――あなたたちの住まう希望の世界ホーピッシュになら、転生させることは可能です」
「……そんな譲歩案でわたしが満足すると思ったの?」
「落ち着いて、ゆうき。あの様子だと、彼の力でも元の世界に生き返らせるのは本当に不可能なようだよ」
金色の装飾を身につけるレプリコーンの勇者がグリフィンの勇者の肩を掴む。
「このまま彼を斬って、それで溜飲は下がるかもしれない。しかし、それでは意味がない。そうだろう?」
「……そうだね。ありがとう、はじめ。ごめんね」
グリフィンの勇者は目は虚ろなままだったが、剣を下ろした。
「わたしの願いはそれだけ。間違いなく叶えてね? もしウソをついたり、約束を違えたら、わたしは世界だろうがなんだろうが飛び越えて、あなたを殺すためにまたここに来る」
普段は温厚で優しく、一行のムードメーカーでもあるグリフィンの勇者が、明確な殺意をにじませる。“それ”は一番怒らせてはならないものを怒らせてしまったのだ。
―― 「待ちなさい、グリフィンの勇者。リスクがあると言いました」
「それは、わたしたちの世界――ホーピッシュへの転生しかできない、ということだけではないんですか?」
ユニコーンの勇者が涼やかな声で尋ねる。普段は優しく朗らかで、少しとぼけたグリフィンの勇者の暗い声を、これ以上聞きたくなかったからだ。
―― 「一度失われた命が戻るということは、どんなに歪みを少なくしようとしても、世界は歪みます。その歪みが、あなたたちの世界ホーピッシュに降り注ぎます。それでも構いませんか?」
「歪み……?」
―― 「歪みは、あなたたちのよく知る、魔物という形でホーピッシュに現れるでしょう。それを浄化することによって、死んでいった者たちは人間としてホーピッシュに転生します」
「ああ、もういい」
グリフィンの勇者が言葉を遮った。瞬間、グリフィンの勇者が跳んだ。
ユニコーン、レプリコーン、そしてドラゴンの勇者が三人がかりで止めようとしたが、すでに遅かった。
―― 「私を殺しますか。グリフィンの勇者」
グリフィンの勇者は“それ”に肉薄し、その喉元に剣を押しつけていた。ギラリと光る刃が、“それ”の喉元に食い込んだ。
「あなたにあの異世界に召喚されたとき、わたしたちは世界を救うためにがんばろうって思った。あなたも必死だったから。力になってあげたいと思った。苦しんでいる人たちを守ってあげたいと思った。勇者になってがんばろうって思ったよ」
グリフィンの勇者の声は怒りと悲しみで震えていた。
「あの戦いで失われた命に、もう一度あんな苦しみを与えるの? わたしたちにもう一度彼らと戦えと言うの? どうしてそんなひどいことができるの? あなたは……」
こぼれる涙が、頬を伝い、落ちた。薄紅色の勇者は、震える手で、剣を下げた。
「ねえ、どうして最初から魔王軍のことを教えてくれなかったの? どうして、わたしたちに本当のことを教えてくれなかったの? あなたが最初からすべてを教えてくれていたら、わたしは……わたしたちは……!」
―― 「そうしていたら、あなたたちは戦えましたか?」
“それ”の声は揺るがない。
―― 「あなたは、戦えましたか? グリフィンの勇者よ」
「戦わなくてもいい道を選ぶことができたよ!」
―― 「それでは何も変わりません。光の世界ロイヤリティは歪んだまま闇に包まれ、やがてはあなたちの世界すら侵食し、歪ませ、壊していたでしょう。歪みは正さねばなりません。それが魔に属する者たちです。すべて倒されて然るべきでした。それが救世です。あなたたちはそれを成し遂げたのです」
「オマエは……ッ!」
グリフィンの勇者が剣を振りかぶった。
他の三人の勇者は、何もできなかった。止めることすらおこがましいと思えた。グリフィンの勇者の言葉を否定することはできない。なぜなら、三人ともが同じ想いだったからだ。ただ、目を背けるような裏切りだけは、犯さなかった。
轟音が響いた。
「…………」
―― 「懸命な判断です、グリフィンの勇者」
しかし、その切っ先は、“それ”のすぐ後ろの壁に穿たれただけだ。殺意を纏った視線だけが、“それ”を貫いていた。
「……いいよ。魔物だろうがなんだろうが、わたしの世界に現れたらいいよ。わたしが全部浄化する。そうすれば、すべての人を救えるんだよね?」
―― 「ええ。ただし、しっかりと浄化をしてくださいね。あなたは、自身のわがままで世界に歪みをもたらすということを忘れずに。あなたが願いが生み出す歪みを、魔物を、もれなくすべて浄化し、正してください。さもなくば、その歪みはあなた方の世界を侵食し、壊すでしょう。光の世界ロイヤリティが、闇に飲まれたように」
目の前で剣が振るわれようとも、何が破壊されようとも、どれほどの怒りを向けられようとも、“それ”は揺るがない。
―― 「ゆめゆめ忘れぬことです、グリフィンの勇者。あなたは光の世界ロイヤリティと同じ過ちを犯しているのです。ロイヤリティはあなたがた勇者に救われました。しかし、あなたがたの世界ホーピッシュが闇に飲まれても、助力は望めません。なぜなら、勇者はあなたたち四人であり、それ以外の何者でもないからです」
「あなたにそんなつもりはないのだろうけど」 レプリコーンの勇者が言う。「怒り心頭のゆうきをそれ以上煽らない方がいい。また剣をつきつけられたいのかい?」
―― 「そうですか。では、これ以上言いません」
“それ”はすでに背を向けているグリフィンの勇者以外に目を向けた。
―― 「では、あなたがたの願いを聞きましょうか。あなたがたは何を願いますか?」
「わたしは……」
最初に口を開いたのは、優しさを司るユニコーンの勇者だ。
「転生するすべての人々に、できる限りの幸せをあげてください。できれば、皆が望んでいた未来を、希望を、夢を、与えてあげてください」
―― 「ふむ。いいでしょう。できる限りのことは致しましょう。世界の理に反しない範囲で、ですが」
「ありがとうございます。お願いします」
グリフィンの勇者が“それ”に怒りをぶつけてくれたおかげだろう。ユニコーンの勇者は平静でいることができた。
「私は、魔王軍との戦いで傷ついたあの世界の人々を助けてあげてほしい」 愛を司るレプリコーンの勇者が言った。「あなたは世界の歪みを正すことにしか興味がないようだから。あの世界の人々をできる限り助けてあげてほしい」
―― 「いいでしょう。できる限りのことをあの世界の人々にしてあげましょう。世界の理が許す範囲で、ですが」
「……わたしたちの世界、異世界、そして、ここ」
情熱を司るドラゴンの勇者の小さな声には、未だに怒りがにじんでいた。
「自由に行き来する、力……わたしたち全員に、与える、こと。それが、わたしの願い……」
―― 「なるほど。ロイヤリティに友人もできたようですからね。いいでしょう。差し上げます」
「それだけ、じゃない……」
どの勇者よりも高い攻撃能力、殲滅能力を持つドラゴンの勇者が手をかざす。ゴウ、と突風が吹き荒れるほどの熱量が、その手の上に現れる。ドラゴンの勇者が持つ、何をも灰燼へと帰する最強の炎の力だ。
「あなたが約束を違えたと思ったとき。まだ隠し事をしていたとき。あなたを、灰にするため。だから、覚悟をしておいて……」
―― 「それを正直に言ってしまうあたり、そして私相手に脅しが通用すると思っているあたり、まだまだあなたは甘いと思いますよ、ドラゴンの勇者」
“それ”はそれだけ言うと、手をかざした。
―― 「では、世話になりましたね、勇者たち。あなたたちの未来に多くの幸があることを、願っていますよ」
“それ”はどこまでも役割を果たすだけだ。そして、勇者たちは瞬間的に消えた。元の世界、元の場所へ戻った。
―― 「……気は進みませんが、約束を果たしましょう」
“それ”は全知であり、世界の理に抵触しない範囲であれば、全能でもある。
それでも。
―― 「……さすがは、グリフィンの勇者ですね。私に傷をつけるとは」
ツー、と。喉元から血が滴る。
剣を押し当てられれば、キズを負うのだ。
“それ”は全能であれど、不死身ではない。
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