第6話 こうして彼は惑う
彼が目覚めた部屋に戻ると、中の様子は様変わりしていた。
「なんだ、これは……」
家具や調度が、まるで最初からそこにあったかのように並んでいた。彼が目覚めたとき、部屋には何もなかったはずだ。
「まさか、デザイア様がやってくださったのか」
「そんなわけないだろう。女性の細腕ひとつじゃ不可能さ」
背後からそんな声が飛んだ。唐突なことだったが、彼はそれに驚くようなヤワな鍛え方はしていない。
「……ふん。相も変わらず、神出鬼没な奴だな、ダッシュー」
「だからその名前はもう使えないんだって。シュウって呼んでくれ」
振り返らずともわかる。姿は人間に変わっても、相も変わらず軽薄な笑みを浮かべる魔王軍幹部のひとりだ。
「この異世界に来ると、役目が与えられるんだ。その役目は、かつてぼくたちがなりたかったものに割り振られる。そして、そのための全てが手に入る。最低限だけどね。この『ひなカフェ』の下宿やここの家具類もそうさ。まるで最初からその場にあったかのように現れるんだ」
シュウの言葉で思い出す。
「ところで、君も名前を“思い出した”んだね。教えてくれよ」
「ふん。勝手にこれを見ろ」
彼は短く言って、例のカードを差しだした。
魔王軍として戦っていたとき、どうも反りが合わなかったのがこの男だ。卑怯な手段や狡猾な搦め手を好むこの男は、質実剛健猪突猛進正々堂々を信条とする彼とは真逆に位置する存在だ。
しかし、どうしたことだろう。
「へぇ。学校の先生ねぇ。ま、いいんじゃない? まじめで実直な君に合っているよ」
シュウは彼にカードを返すと、にこりと笑った。その笑みに、魔王軍にいたころのような嫌味さは見られない。爽やかで人好きのする気の良い笑顔のようにしか見えない。
「いや、しかし驚いたな。ぼくも来週からダイアナ学園で働くんだよ。そして、鈴蘭はダイアナ学園に転入するんだ。いやはや、家でも職場でも顔を合わせることになるとはね」
「何? 貴様も先生とやらになるのか?」
「ちがうちがう」 シュウは笑って手を振った。「ぼくは庭師兼主事さ。ものを教えるなんて大層なこと、ぼくにはできないよ」
シュウは本当に楽しそうに言う。
「やっと庭師になれるんだ。それも、ダイアナ学園の庭園すべての管理をぼくに任せるって言われてさ。もう今から楽しみで仕方ないよ」
嬉々としてそう語るシュウに、よっぽど「貴様は誰だ」と問いかけてやりたい気分だった。つきものが落ちたように清々しい顔をするシュウに、かつての魔王軍最高幹部ダッシューの面影はない。ありとあらゆる卑怯な手段で勇者たちと戦ってきた狡猾な男は、一体どこへ消えたのだろう。
(いや、しかし、これも恐らくデザイア様と同じく、人間たちを欺く演技なのだろう。学校とやらに潜入し、人間たちの信頼を集め、寝首をかく……。性根は気に入らんが、この世界の人間どもを掌握する作戦だとすれば、あっぱれだ)
彼は実直だ。だからこそ、その変貌をやはり好意的にとらえてしまう。
「ま、いいや。これからよろしくね、篤志。ふふ、学校では“郷田先生”って呼んだ方がいいんだろうね」
それだけ言うと、シュウはひらひらと手を振って、部屋を出て行った。シュウに対して油断なく身構えていた彼だが、シュウは特に何をするでもなく、本当にそんな話だけをして去って行った。
(……何なのだ、一体。私を相手に愛想をよくしても仕方ないだろうに。それとも、敵を欺くにはまず味方から、ということか)
何にせよ、あの卑怯で名を馳せていた魔王軍幹部の考えがわかるものではない。彼は気を取り直して、部屋に向き直った。ふと、窓際の机の上に、書類が置いてあることに気がついた。歩み寄り書類を手に取る。「履歴書」「契約書」「教員免許状」等々、厚みも大きさも様々な書類の束だ。そのどれも彼にとってなじみのないもののはずだが、なぜかすべてその役割が手に取るようにわかる。その不可解な感覚になれつつある彼は、違和感なくその書類の束を机の引き出しに丁寧にしまい込んだ。
「……これは潜入任務だ。魔王軍として勇者に敗れた私たちが、人間どもと勇者への雪辱を果たすために、この異世界の覇権を握り、この世界の凄まじい産業の力を乗っ取り、元の世界へ凱旋する、そのための潜入だ。そう。そうでなければ……」
そうでなければ、なんだというのだろう。
それ以上考えを深めてはいけないと分かった。
何かを思い出しそうで思い出せない。
それを思い出した瞬間、彼は彼でいられなくなると、分かった。
彼は椅子に座り、呻いた。
――『お願い、死なないで……。ゴーダーツ!』
(なぜ、貴様の顔がちらつくのだ……! なぜ貴様が私の名を呼び涙するのだ、ユニコーンの勇者!)
思い出せることは多くない。彼に思い出せるのは、魔王軍最高幹部としての記憶と、なぜか涙する勇者の顔だけだ。
「私は……」
コンコン、と。控えめにドアが叩かれた。
「む……」
「ちょっといい?」
開け放たれていたドアから顔を覗かせていたのは、健康的なめぐみとは対照的な、病的に血色が悪く、その割には身につける服装は黒々と暗い印象を与える少女、
「次から次へとやってくるな。貴様らはよほど暇なのか?」
彼やシュウと同じ、魔王軍元最高幹部ゴトー。魔王軍の誰より深い闇の力を持つ彼女は、魔王軍において屈指の魔法の使い手である。しかし、その性質は苛烈にして峻烈だ。感情の起伏が激しく、激情家で、勇者に敗北しては周囲に当たり散らす、ヒステリックで迷惑な魔族だった。
「名前を“思い出した”って聞いたから、心配してきてやったってのに、あんたはぁ……!」
そう。少し煽られただけで、まるで子どものようにヒステリーを起こす。いつものことだ。しかし、
「……まぁ、いいわ。記憶が戻りきってないあんたに言っても仕方ないもんね」
驚天動地だ。鈴蘭は発露しかけた怒りをぽいと自ら放り捨てたのだ。
「一体どうしたというのだ、ゴトー。貴様、体調でも悪いのか?」
「何がよ!? っていうか鬱陶しいからオロオロすんじゃないわよ! ……熱なんかないから額に手を当てるなぁ!」
ヒステリーはヒステリーだ。しかし、いくら人間の姿をしているからといって、頬を染めてまるで照れ隠しをするような顔でヒステリーを起こしても、それはゴトーのヒステリーではない。
「さっきも言ったけど、あたしはもうゴトーじゃないわ。後藤鈴蘭。鈴蘭って呼びなさいよ」
そして、ゴトーのヒステリーがこんなに早く収束するはずがない。彼は今度こそ、口に出してしまっていた。
「貴様は誰だ!? ゴトーではないな!?」
「だから鈴蘭だって言ってんでしょ!? あんたアホなの!?」
鈴蘭が困り果てたように言う。
「……もういいわ。今のあんたと話してると疲れるから。名前だけ教えて。そしたら行くから」
「む……」
彼はカードを鈴蘭に差し出した。それを見つめ、鈴蘭が目を丸くする。
「あんたもダイアナ学園で仕事をするのね。なんかうんざりするわ。こっちの世界でもあんたと顔をつきあわせる羽目になるなんて」
「それはお互い様だ。まぁ、致し方あるまい。潜入任務だ」
「……ああ、うん、まぁ」
鈴蘭はなぜか生暖かい表情を浮かべた。
「早く記憶戻るといいわね、“郷田センセ”」
そう言うと部屋から出て行った。
「記憶……。一体、デザイア様といいダッシューといいゴトーといい、何を言っているのだ」
彼は、意識的にソレから目を背けることに努めた。
己の記憶に欠落がある。
それは間違いない。そしてそれを思い出したとき、彼はきっと、魔王軍幹部ではいられなくなる。
「私は……」
問いかける相手はいない。
そもそも問いかける言葉を紡ぐことすら、できなかった。
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