第8話 サモナス――街中の生活
1ヶ月と半月。ここでの日常が始まってそれだけの時間が経過した。
壁一面の本棚に上から下まで本が詰まった資料室で本日の言語学習を終えた後、室内には道端と話をしていた。
実際、道端から聞いたように、この学習期間で日常会話が何となくできるようになった。
ずっと未知の言語漬けで頭の中がパンクするんじゃないか? と気が気でなかったけれど、生活する上での必要レベルを身に着けたのは確かで、精神的にはひとまずの安心を覚えたところだった。
「良かったな、これで俺からは離れていいんだろ?」
「ああ、これで……ようやくカナリヤ姫にアピールできる……」
好きな相手がそぐそこにという状況で、何もできないのはもどかしいもんだと思う。なんだか多大な迷惑をかけた。申し訳ない。
口にしたのが印象悪いと思ったのか、彼はフォローを入れてくる。
「いや、別にお前のせいでだとか、そういう話じゃ」
「――分かってるって。お前そんなタイプじゃないもん」
「……お前、ほんといいやつだなぁ」
「うっ、なんだよ急に」
「だってそっちからしたら『俺に付き合わせたせいなのかよ』って」
「思わないって。むしろ感謝してるし」
「感謝?」
「そりゃお前、わざわざ‟お勉強”の為に友人付き合わせたんだぞ? ありがとうも言いたくなるって」
「……日向野、やっぱりお前はいいやつだぁ」
何故か噛み締めたような口調で道端は言ってくれた。
実際にこの期間中は毎日、僕の授業に付き合ってくれた。姫様から命を受けてのことだったんだろうけど、それでも翻訳してくれる人がいるだけで不安は払拭される。
教員は「まさかこの歳の人間に短期間で2度教える羽目になるとは……」なんてセリフを漏らしていたし、実際大変だったろう。
何より僕たちは揃って勉強苦手なタイプ。ここまでできたことが人生経験上奇跡といっても過言ではないだろう。
それにしても道端、お前はこれをたった一人で過ごしたのか……右も左も分からない中、自分がどうなるのかも不透明なままに、好きになった人がいたからという理由を支えに。
本当に根性のある、なにより純粋な奴が友人で良かったとこちらも心の中で噛み締めたていた。
♢
「悪い、結局道案内させて」
「いやもうここまで来たら一緒だろ。一応街の地図は散在してるし迷ったらそれ見つけて宮殿に戻ればいいからさ」
「うん、ありがとう」
本当に会話ができるのか確かめたかったので宮殿の外、人通りの多い街を歩くことにした。実際外の人間の生活を垣間見るのは初めてのこと。異世界に来てからほぼ宮殿内の数部屋のことしか知らないし、気分的には目に見える生活変化ということもあって、少し身体がうずうすしているきらいがある。
服装は宮殿内ではかしこまったスーツに近いものを支給してもらっていた。だがその服は街を出歩くには不似合いというので、一般市民が着る服に着替えた。ごてごてしい粗さと若干の厚みを伴っている素材が固く、薄い小麦色の服は素直に着心地が悪い。
逆にズボンは薄く麻布地を思わせる。膝上ぐらいの長さで、腰部分を紐で止める構造になっている。風が抜けていく感覚があるのが、なんだかスカートのようだった――スカート履いたことないけど。
道端には見回りと一緒に案内もしてもらいつつ、この案内で完全に友人からの補助期間は終了。完全に個人としての活動に切り替わるわけだ。ただし、姫様の計らいで宮殿の空き客間に変わらず居てもよいということなので、少なくとも当分はそれに甘えさせてもらうことになるだろう。
「俺はまだ見廻りするけど、お前は?」
「こっちももう少し異世界の街、探索するよ。宮殿にいてもまだ見てない本にかじりつくだけだし。帰りは多分地図見て動くから問題ないと思う」
「分かった。まあ宮殿は街の中でも見えてるんだから迷うこたぁないわな」
この国の地形は坂道が多い。いわくドーム型に地面があるようでその頂に宮殿が建てられている。坂を上がるようにすれば迷子にはならないだろうからそこは親切だ。
こちらに背を向けて別れようとした道端が、ふと振り返ってこう言ってきた。
「あ、そうだ。西側にはあんまり入り込むなよ。あそこは危険だからな」
「危険?」
「ああ、危険なんだと」
言い出した本人もピンと来ていなさそうだった。
「俺、今からそこ見廻るんだけど、確かに雰囲気はヤバいからな」
「ギャング的な……?」
「そんな組織じみたものは見受けられないけどなぁ。分かりやすいのはホームレスとかが多かったりで、近い感覚で言うと路地裏で薬の売人がいそうな雰囲気って感じかなぁ……」
「今のお前そんな場所ウロウロできるのか……」
ひと月以上前の森の中、たった一人で魔獣を切り殺した腕があるのを目にしたのだ、本人にも何故ここまでできるのか不明らしいけれど、それだけの実力が彼にはあるわけで。
なんか、変わっちまったな……本当に高校生なのか怪しくなる。
♢
今日、外に出たのは気分転換と、日本に帰る方法を見つけ出すまでの生活のためだった。ようはすぐに見つかりっこないと思っている自分がいるので、衣食住の知識はあってしかるべきだろうと考えて街に出たわけだ。
街中は人がそこかしこにいたので絶えず会話が聞こえた。
もちろん行くなと釘をさされたところに向かうつもりもなく。海外観光地で危険地帯ですと聞いたなら、わざわざそこに出向く人はそうそうないわけで。僕も例にもれずそのタイプ。なんの力もないカタコト気味で話す異邦人なんかカモにされるのがオチだった。
灰色がかった石畳の道は歩き慣れないせいで足裏に負担をかけてくる。ところどころ聞こえるせせらぎが爽やかさと涼しさを感じさせる。街中には水路が見受けられるので、そこから鳴っているのだろう。気温はせせらぎを耳にすることもあってか、暑いわけではなく、春から夏にかけての快適な温度感だ。
異世界の民家は縦の長方形に三角の屋根が乗っているものや四角い形状だけで完結しているものが混在している。多くが窓の数からして2階建てだろうか。外見はドイツの写真なんかで見るような民家のイメージに近い。ドアを隔てた内側は——一般宅に上がったわけではなく、ちらっとドアが開くタイミングを目にしただけだが——奥に長めの造りになっている。家具は木製のテーブルや椅子が見え、数冊の薄い書物が置いてあるのが少し目に入った。
中には八百屋のように野菜販売をしたり家具販売をする家庭もあったりと、正にこの世界に生きている人々の暮らしを肌で感じることができた。宮殿で道端から言葉でしか聞いていなかったので、目にするのとではやっぱり印象が違う。
「ふぅ~……」
ため息が漏れる。それは一人になったからではなく、放浪するのはいいものの渡された所持金は少ないからという事情に息が漏れ出したわけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます