1章

第1話 困惑

 ——気が付くと深い霧の中にいた。

 薄っすらと光が届くものの、まるで深海にでもいるようだ。加えて生き物の気配が一切しない。全てが死んでいるような、深い穴の奥底を彷彿とさせる。

 苔でも生えているのか、冷たく湿った深緑の地面。そこに横向きで倒れていた。

 くらくらと、バス酔いでもしたような頭を抱えて、重い身体をゆっくりと起こす。


「何だよ、ここ……」


 ついさっきまで下校中だったじゃないか。

 担任との話が終わって、やっと帰れると思って、道端と一緒に帰って……そうだ交差点だ。あそこで急に道端に突き飛ばされて、軽トラが僕の方に向かって突っ込んで来てて!? それで……


 あまりの事に右手で頭を支える。

 理解ができない、状況が分からないで若干パニックを起こしている。もしや死後の世界か、と頭をよぎった時ある事を思い出した。


「そういえば、道端となんか話した気がするな……」


 さっきの帰り道、何か、どうでもいい話題で。


 ……もしかして異世界転生?


 その話をした直後にこれだ。噂をすれば何とやらとはいうが、これは流石にないだろ……ジョークにしても笑えない。

 そもそも、異世界なんか行きたくないと言ったんだ。

 言葉が分からないかもしれない・職もないかもしれない・天涯孤独かもしれない。そんな可能性を秘めてるんだ切実に——今、帰りたい。たとえ転生先の記憶があったとしても。

 というかこの場所見る限り文明の「ぶ」の字もないし、実は白亜紀とかに時間移動したとか?


 そんな事を考えていたら、とにかく自分の姿がどうなっているか知りたくなった。

 スマホで確認を、と思ったのだが——スマホのガラスはひび割れていた。電源も点かず御臨終である。

 また1つ心痛める状況を目の当たりにしたが、悲しんで止まっている場合じゃない。

 薄暗さに慣れてきたのか、すぐ横に大きな水溜りが出来ていたのが見えた。これを使えば確認できるかと思い至り、膝を曲げ、顔がしっかりと水面に反射するように近づけた。


「……転生はしてないっぽいな」


 水面に映る自分の顔は毎朝鏡の前で見るものと同じだった。

 日向野絆ひがのつなぐ、そのまま。

 少しぐらいはイケメンにでも変わってくれれば、なんて軽口も出たが、恐怖の誤魔化しだ。

 取り敢えず、転生ではない。転生したなら新しい人間に生まれ変わっているだろうから、当然容姿も別人になっている。そもそも、転生後の記憶もないしこの線はなさそうだ。


 あっても転移か死後の世界ってところか。白亜紀は信じたくないので無視する。ヤバい恐竜がいたら終わりだ。

 動物の声一つ聞こえないけど。


 てか道端は? 何であいついないんだ!?

 もしあの瞬間に転移してしまったのなら、あいつだって横にいるもんじゃないか?


 異世界転移転生系なら、割と事故で死んだりして別世界に行く。最近はそういうのがテンプレ化している。

 もしかして、自分も道端も例に漏れず死んでしまった……?

 それって元の世界に戻れるのか? 戻り方があったとしても、向こうで死んだら帰還不可なんて可能性も考えられる。

 そもそもここに来た意味って何なんだ? 何をしたらいいんだ?


 …………一体全体どうなるんだ。


 目が慣れたお陰でここが森の中である事がわかった。

 このまま立ち尽くしていても解決に向かわない。もしかしたら近くに道端がいて合流できるかもしれないと望みを抱いて、先の見えない世界を警戒しながら歩いてみる。




 歩くほどに自分がループしてるんじゃないかと感じてしまう。

 森の中は何処まで進んでも先を見通せない霧の濃さで、右左どころか見上げた空までも霧の終わりが見えない。“ヘンゼルとグレーテル”のように何か目印でも置ければよかったが、パンの代わりは持ち合わせていなかった。

 そもそもカバンも消えていたし、仮にはさみなんかで傷を付けて進んだとしても霧が濃すぎて今は目印も役に立ちそうもない。


 根っこに脚を取られる事も多く、一旦木の下に腰を下ろした。相変わらず頭はクラクラするしで現状長くは動けなかった。


 歩いた限りでは道端はいなかった。勿論、この視界状況で見落とした可能性もあるが、名前を呼んでみても返事はしなかった。影も形もないとはこの事で、この状況がまた自分を困惑させた。


 正直海外よりもキツいと思う。海外に行ったことなくても想像に難く無い。このまま誰にも出会う事もなく、人知れず終わるんだろうか?

 1人で薄気味悪い空間におよそ数時間いるせいで、どんどんマイナス思考が膨れあがってしまう。

 せめて、明かりの一つでも……と心が嘆いたとき、視界の左端にゆらゆらと灯りのようなものが映り込んだ。


 霧でうまく見えないけど、あれは焚き火か何かか? もしそうだとしたら誰かいるかもしれない。今度こそあいつがいるかもしれないし!


 まるで、蛍光灯に集まる昆虫のように、その揺れる灯りに吸い寄せられた。頭の中では友人に再会する合流場所のように思えて、心が明るくなった。


 灯りは確かに焚き火であったがその場に人影などなく、火を維持し続ける薪になるものも見当たらない。近くにあるのは、まるで座布団がわりに敷いたような大きめの樹皮1枚だけだった。


 何だか振り出しに戻った気分だ。

 誰かいる事は確実なんだろう。ただその人物に会えない。友人かどうかも分からないし、もしかしたら現地民の危険なやつかもしれない。

 この世界の常識がいったいどのようなものなのか不明だけれど、少なくとも今の自分には悪い事をした覚えはないのだし、背後から斬りかかられるとかは本当になしにしてほしい。

 膝を抱えて腰を樹脂に下ろし、優しく燃え続ける灯火を眺める。


 ……アニメとかはこういうとき、華々しい世界に「うわ〜!」ってリアクションしたり、街並み見てこれぞ正に異世界だって反応をするもんだ。仮に死後の世界だったとしても、神様とか天使とか出てきて展開があったりするもんじゃないのか?

 誰か状況説明してくれ。


 気がつけば頬をつたう心の叫びが、ズボンのブレザーに滴っていた。


 それでもズボンが濡れても消えない火を見て、なんとか平静に戻ろうとする。ここで人生諦めるのはまだ早い。

 兎に角、ここで焚き火をしていた人を捜す事にしよう。お腹も減ったし、何か持っていたら分けて貰うとかできるかもしれない。


 不安な世界と時間感覚も分からない状況によって、お腹が減っている事には気が付かなかった。

 ぐうぅ〜っとお腹が凄い声で鳴いた。


「ハハ、緊張感ミジンもないじゃんか」


 なんて軽口が出た瞬間、真後ろから——「ぺキッ」っと枝を踏んだ音。

 腕に止まった蚊を叩く手のような速度で身体を捻る。

 目に映ったのは碧色の頭巾をかぶった女の子。霧のせいで顔はよく見えないが、薄い色の金髪が見える。

 ——が、実はじっくり見ているどころではない、彼女は両手で折れ木を、まるで棍棒を持つかの如く構え、今にも振り下ろさんするタイミングだったーー


「ッうわ!?」


 避けることが脳に浮かばず、両手を盾にして頭を隠す。

 情けない声も出た。

 ——ここの人間はもしや危険な奴らしかいないんだろうか。







 ………………?


 何故か攻撃が来ない。腕の間から相手を覗き見る。

 相手は掴んでいた木を落として、安堵のように吐息を漏らした。

 かと思えば何か言葉を投げかけてきた。英語ではないし中国、韓国でもない。トーンからして威嚇とかじゃなさそうだった。表情込みなら警戒心より親しみやすさを前面に出している気がする。

 女の子はとぼとぼと僕に近寄ってくるのだった。


 晴れる気配の無い水蒸気の中、見知らぬ女の子と2人ぼっちになったのだ。

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