5・週明け_生徒会室にて

 日曜日の練習試合は休んだ。否、もうあのチームは辞めたのだ。意外にも父には何も咎められることはなかった。既に不出来な僕には何の関心もないのだろう。これで心置き無くこの"生"という名の牢獄から解き放たれるのだ。高笑いをしようとしたそのとき、一人の顔が浮かぶ。宵坂…。あの土曜日からずっとだ。ずっと写真のように切り取られた場面場面が僕の頭をいっぱいにする。もう終わらせようとしているのに、そう決意したはずなのに。邪魔をする。鎖の効果は切れていない。はあ…。一つ溜息をつく。なんだかんだ一人で考えているうちに時計の針は、七時半を指していた。まずい、学校に遅れる。サッと学ランを羽織り、いつもより重く感じる学生鞄を背負い、家を出る。急ぎ足で登校をする。なんとかいつも通りのペースに追いつき、遅刻は回避されそうだ。学校がようやく見えてきた。もう少しというところで手前の信号に引っかかった。ピチャン…「あ…」思わず声に出してしまった。気づけば大きな水溜りに右足の靴が下半分位まで塗らているではないか。「あっちゃぁ、昨日まで雨だったもんなあ。」慌てて足を水溜りから引き上げる。本日は晴天、昨日までの雨などとうに忘れていた。揺らめく水面には僕の顔が映っている。目は開いているのかどうかも分からないほどに閉じきり、魂の抜けた様な表情をしていた。「いけない、いけない。笑顔笑顔!」両頬をパンパンと軽く叩いて刺激、いつも通りの表情がやっと完成した。「ぷぅっ。信号に引っかかって良かった。あんな顔で教室に入ったらまずかっただろうな。」昇降口で靴を履き替え、二階へ上がり、教室の戸を開ける。「っ…おっおはよう!真田くんっ!」ビクッ…。驚いた。とても驚いた。驚かないわけがないだろう。戸を開けた瞬間に宵坂が目の前に、そして鼓膜が破れるのではないかという位の声量。「あっ、真田くん、ごめんつい…大丈夫?すみません!ほんっとにすみません!」何度も頭を下げる彼女を前に、つい表情が緩んでしまった。「いやいや、ちょっと驚いただけだよ。大したことない。で、僕が来るのをここで待ってたの?」「そ、そうなのよ。ちょっと話したいことがあって…」「話したいこと?」「うん、私達って付き合い始めてから一週間たったじゃない?だから、その…デッデートとかしたいなって思って…」だんだんと声が小さくなり、顔をかあっと紅くしてうつむく彼女。唐突に顔を上げる。「で!どう?真田くん。丁度明日は学校が休みだし。」「明日か…。予定は、空いてるよ!うん。」「良かったぁ。待ち合わせは一時くらいで、場所はどうしようか?」「迎えに行くよ。マンションの下にいたら大丈夫だから。」「家が遠いんじゃない?大丈夫?」「いやいや、どったことないよ。一緒に歩くのも楽しみだし。」「うん、ありがと。じゃあ明日の一時に私のマンション下っと。了解!」「そこぉ!朝からあんまりイチャイチャしないでよぉ!」クラスの女子から冷やかしが飛ぶ。「イチャイチャとかそんなんじゃないよぉ。」と彼女が返す。「どーだかね。」ふうっと息を吐いた冷やかし女子は席へと戻っていった。もうすぐHRが始まるということで、「じゃあ、そういうことでよろしくね。」「うん、了解!」それぞれの席につく。時計の針は八時十分。しまった、HRまでにすべきこと(宿題提出にはじまり、教科書の準備等)を一個もやっていない!あたふたしてるうちに担任の登場。「おはよう、みんなぁ。あれ?真田、準備終わってねぇじゃんかよ。珍しいなあ。」「これはこれは先生殿、おはようございます。いやぁちょっと昨日徹夜で塾の宿題してたら寝坊しちゃって…」「そうかそうか。体には気をつけろよ。」「気をつけます。すみませんでした!」うまく乗り切れた。宵坂があっちゃーという顔で両手を合わせて頭を下げている。僕は右手をひらひらと振り大丈夫だと伝える。後ろの棚に鞄を収め、席に着く。そこでハッとした。僕は宵坂との関係を断ち切るつもりだったのに。うっかりその場の空気でOKしてしまった。今から断っても悪いしなあ。頭を抱える。彼女には申し訳ないが、明日のデート終わりに告げよう。そう決め、授業モードへと切り替える。一日の長い授業が終わり、放課後との時間。

 今日は生徒会の集まりがある。ガラッと生徒会室の古びた扉を開ける。「お、きたきたリア充めが!」いきなり全員から総攻撃を受ける。「いきなり何だよぉ。」「さあっ、おいで真田。宵坂さんとどうなのか話してもらおうじゃないか。ほら、委員長共は失せな。なかなかこんなことに関しては真田は口が固いマンだからね。しっしっ!」僕に聴取を行おうとしているのは同じ生徒会の女子副会長、松葉 清香。彼女は他の生徒会メンバーを追い出し、二人っきりの空間を作る。「さあっ、邪魔者は消えた。ゆっくり話を聞こうじゃないか。」生徒会室に鍵をかけ、スタンドライトを机の上に置き、手前の椅子に僕を座らせる。この瞬間、生徒会室は取調室へと豹変した。対面して、二人同時に溜息を吐く。「実際、お前ら二人がどこまで進展したのか聞くつもりじゃあないよ。ハグしたキスしたなんて話聞いても面白くないしな。」「じゃあ、なんでわざわざこんな空間を作ったんだい?」僕は問う。「お前、今悩んでるだろ?どんだけ誤魔化しても私だけは分かるよ。何があったんだ、お前と私の仲じゃないか。」実際、彼女は数少ない"本当の"友人の一人だ。中学一年で出会い、思考が似ているということですぐに意気投合した。"お前と私の仲"、よく使われる言葉だが、うすっぺらな物が殆どだが、彼女は違う。実際、「頑張って生きなくてもいいんじゃない?」という言葉をくれたのは彼女一人だからだ「君には隠せないな。彼女が、宵坂が付き合ってくれと告白してきてくれて、とても嬉しかったんだよ。それは本当だ。でも、今は違うんだ。また生きるのが辛くなってきたんだよ。そこで彼女は僕を救ってくれた人という感覚から、この世界に僕を留めておくための鎖のように感じ始めてしまっている。今日も朝からデートのお誘いがあってね。勢いでOKしてしまったんだけどどうしようかなって。」「ははっ。やっぱりお前は面白いな。」「っ…面白いって何なんだよっ!」「人ってのはね、苦しみってもんから解放されることなんてないんだよ。毎日が楽しい楽しいって生きてる奴にも苦しいときはある。それでも何故楽しいままでいられるのかというと、苦しみから目を背けて踊っているからだよ。お前の望む様な人生なんて存在しないのさ。でもね、君はあの日踏み出したんだよ。今よりよっぽどマシな人生へと。君の中で彼女は家族よりも大事な存在だと気付いているじゃないか。彼女と踊りな。この腐りきった世の中を。きっと世界が色鮮やかに見えるようになるから。」「でも俺は…」「ふうっ、まだ自分の本当の気持ちに気づいていない様だね。なら、思い出してみてよ。あの告られた日からのことを。」目を閉じ、思い返す。あの日、昇降口で告白してきた彼女、夕日に照らされながら一緒に帰った。学校でも些細なことの会話が弾んだ。僕の脳には彼女の顔が焼き付いたまま離れない。涙が頬を伝うのを感じる。「生きていたいよ…宵坂と。死にたくっ、ない。」「うん、それが本音だよ。それに気づいたなら、私のカウンセリングは終わりかな。」「うん、ありがとう松葉。でも、どうしてここまでしてくれたんだい?」「は?わかるでしょ。いっいちいち女子にそんなこと言わせんなよ。お前は私の唯一の理解者だから、お前が凹んでるのだってみればわかつたんだよ。私だってお前に生きててほしいからさ。ここだけの話、このまま私に惚れさせようとも思ったんだけど、その様子じゃ無理ね。彼女の存在が大きすぎる。」「うん、もう彼女を自分から手放そうとはしないさ。本当にありがとう。」「お前はそうでなくっちゃな、真田。まあ、明日のデートとやらは頑張れよ!お先するよ!」バタンっ乱暴に閉められたドアの音が生徒会室に響く。ひとり残される部屋に優しい風が吹く。「ありがと、松葉…」ぼそっとひとりで呟く。「さぁて、僕も帰るかな。」不思議と軽い鞄と足どり、下校中の僕の表情はいつもは見せない程の純粋な笑顔であっただろう。

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死にたい僕と女神な彼女 矢澤 瑞華 @YAZAWAMIZUKA

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