4・週末_異変

 彼女と付き合い始めて一週間がたった。平日の登校日は本当に幸福の絶頂であった。今日、明日はクラブチームの練習試合がある。どんなに監督や父親に罵声を浴びせられようとも彼女のために耐え抜くつもりだ。

 朝6時、日もまだ上りきっていない頃に目を覚まし、ユニフォームに着替え、父の車でグラウンドに向かう。車中での会話でこんなことを言われた。「頼むから今日は打ってくれよ。俺にも面子ってものがあんだからよ。」グチグチと続きそうであったので、リュックからイヤホンとipodを取り出し、父の話が聞こえないよう大音量で音楽を聴く。僕が話を聞いてないことに気づくと、どうでもいいやという風に口を閉じた。僕はあえて父の方は向かずに外の風景を眺める。野球部の同級生達がグラウンドへ徒歩で向かっていた。その顔は自分とは違って笑顔。仲良く喋りながら歩いていた。僕は父に野球部の連中と関わることは禁じられている。野球部の連中の殆どは小学校の頃の野球部のメンバーだあった。小学6年の冬、父は現在僕が入部しているソフトボールチームへの勧誘を始めた。そして、そのことがさぞかし気に食わなかった一人の父親と喧嘩となった。そこで、ソフトボールチーム側と中学野球部入部側で親同士の派閥が別れるということがあり、それが今も尾を引いているのだ。本当は野球部に入って皆と仲良くしていきたかった。あの頃みたいな純粋な笑顔を見せて生きていきたい。なんだかんだ考えているうちにグラウンドについたみたいだ。父は1人車を降り、煙草を吸いに向かった。微かに滲んだように見える世界を拭い去ってチームメイトが集う場所へと向かう。

  僕が最後に集合したようで、即座にウォーミングアップを始める。友人と柔軟をしている際に他のメンバー二人の会話が聞こえた。「真田ってさあ、副キャプテンのくせに集合最後とか自覚ないよな、自覚がっ。」その声をかき消す様に声を荒げて号令を続ける。その様子を察したのか二人はため息を吐いて無言で取り組み始めた。僕が運転してるわけじゃないのに、いつも僕が一番に練習やら試合のときにグラウンドに着いて道具の準備を一人でしてるのに一回遅かったらこの言いよう。田舎の低能共は思考がずれてる。一刻も早くこんなチームを辞めたかった。

 なんだかんだで練習が終わり、試合が始まる。僕は五番打者の一塁手である。相手は長崎のチームだ。先発投手は相手のチームの投手陣では実力的に二番手の投手だ。一回の表、一、ニ番打者が凡退。三、四番打者のヒットでツーアウト一、ニ塁で打席が僕に回ってくる。四球で出塁したが、その後の打者が三振。無得点で相手の攻撃に移る。

 結局この試合では三打席回ってきたうち、一四球、一安打、凡打と悪くはない成績ではあった。しかし、チームはキャプテンの投手が三回に捕まって三対一で敗れた。試合後の監督とのミーティングがあった。そこで監督から問われる。「おい、真田、お前は今日の敗因は何だと思う?」「三回裏に投手が捕まってしまったその後の気持ちを全員で上向きにできなかったことだと思います。」「違う、そうじゃない!」僕の脳内ではインタロゲーションマークが浮かぶ。これ以上の要因が思い浮かばない。監督が何というのかそのまま聞いてみた。「今日負けたのはお前のせいでなんだよ真田。副キャプテンの気合が足りないから負けたんだよ。まず、今日の一打席目、四球なんか選びやがって。二打席目のヒットなんかツーストライクから粘ってチェンジアップを打つとかコマいことしやがって。そして最後は凡退?そして何なんだ。また打ち方をいじって。お前はな、敵と戦ってないんだよ。自分の中でどうこう考えてちょくちょくバッティング変えて、いい加減に目を覚ませ!お前が努力しようがどうしようが結局は実力なんだからな。もうお前なんか要らん。」自分の中で何かが壊れる音とプチッという音の二つが聞こえた。四球選んだのもチームのため、相手の投手の配給の癖を読んで狙って打ったチェンジアップ。少しでも打てない現状を変えるために試行錯誤したフォーム。最後にはその努力さえも否定された。頬を伝う涙。強く歯ぎしりをしたがために砕けた奥歯。次の瞬間には立ち上がり、監督の胸ぐらを掴んで叫ぶ様に訴える。「自分は少しでも打てるように観察し、試行して結果も出したのに負けたのを全部僕のせいにして何なんだよっ。口を開いたら精神論と矛盾ばかり、僕の方からこんなチーム願い下げだ!」監督を突き飛ばして一発蹴りを入れる。

 その後は乱暴に自分の道具をリュックに押し込み、グラウンドを出る。帰りはバスに乗るつもりだ。ぼろい木材と錆びた金属で作られたバス停の小屋のようなものの椅子に座る。古びた雰囲気は僕の心情にとても優しく感じる。僕は大声で喚き、大粒の涙を流して泣いた。やり場のない怒り、悲しみ、絶望。もう上なんて見ることができない。こんな世界になど生きていたくない。もう厭だ、厭だ。頭に渦巻く"死にたい"の言葉。ふと脳裏に彼女の、宵坂の笑顔が浮かぶ。彼女のために耐え抜くと誓った。これでもう生きていけると、そう思っていた。もうそれは勘違いであることが理解できた。彼女の存在というものは僕を救うものではなく、この世に僕を縛り付ける鎖であったのだ。煩わしい、苛立たしい、邪魔くさい。やっと幻想から目を覚ますことができたのだ。僕はイカロスの様にならないか心配であったが、僕はイカロス等ではなかった。街灯にたかる虫どもであったのだ。暗闇の中、少しの光を見出すとそこに一直線に飛んでゆく。そしてその身体は灼かれて落ちていく。もう宵坂との関係を終わらせて、すべてを無へと帰そう。古びたバスに揺られながら僕は思った。

 

 先程までの曇天は雨模様となり、水たまりを走るタイヤの音、車体に打ち付ける雨粒の音、濡れゆく車窓の様子は、僕の心を濡らし、手酷く蝕んで行くのであった。

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