第21話
「兄さん。いってらっしゃい」
「お兄ちゃん、今日も孤軍奮闘、そして無事に家へと帰ってくるのだぞ!! 」
「あ、ああ。お兄ちゃんは今日も一人で頑張ってくる……」
今日の送り出しはこんなにも鮮明に記憶された。
妹達の笑顔がこんなにも眩いものだったとは、とハルトは改めて目を細める。
ハルトはゆっくりと踵を返し、妹達の視線を背中で受けながら学園へと歩いていく。
今日は階級事のクラス分けが行われる日。
二年全生徒にすれば、ここが一つの登竜門と言ってもいい。
登校道の空気がピリピリと痛いのはきっと気のせいではないのだろう。
そんな中、一人全く緊張感を出さないハルト。
ゆっくりとした歩調で門をくぐり、学園校舎の前までやってきた。
二年校舎へ向かう昇降口の壁にはD級からS級までで区別されている白い貼り出しが見える。
「邪魔だな……」
ハルトの前には緊張で顔を上げられない生徒達も多数。
ここで頭を垂れる生徒達は皆、貼り出しまで進めたのだろうが、これからのイフが決まる瞬間、つまり見る決心がつかないのだろう。
一方でハルトは首を柔らかくして視線を上げる。
「お、おい嘘だろ……見ろよあれ」
「ああ? って、マ、マジかよ」
今この場には緊張感とはまた違う、動揺しているような空気が流れていた。
そして、その懐疑な視線達がD級クラスの貼り出しへ向いている。
D級クラスの貼り出しを見れば、しっかりハルト・ヴェルグと書かれていた。
「良かった……これでやっと……」
と、安堵した瞬間、ハルトは目を疑った。
「……はあ? 」
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ハルトはそのままD級クラスの教室へと向かう。
校舎は五回建てとなっており、五回から階級の高いS級教室、そして一階がD級の教室となっている。
きっとどの世界でも最上階こそが上に立つ者の決まりだろうが、ハルトは違う。
登り降りが疲れる階段、皆と顔を合わせなくていいと言う安心感、これはこれでかなり良い立地だと歓喜していた。
「にしても……」
先程からハルトの表情が浮かない。
黙々と思考し、いつしかハルトの足はD級の教室へ。
生徒達の声で騒々しかった空気も今や、足音さえも鮮明に聞こえる程に静か。
ハルトは扉に手をかけ、ゆっくりと開けていく。
「ハルトくんおはよっ!! 今日から同じクラスだね!! 」
ハルトの姿を見て、カレンが駆け足で走ってくる。
どうやら一足先にカレンがこの教室に来ていたようだ。
「おはよ。はぁ……なんて清々しい朝なんだ。いつもならもう数発は食らっているのに」
「だね。私も朝から机が綺麗なままなんて初めてだよ。それにいつもならもう頭がびしょびしょだし。今日は屋上で乾かさなくて済むよ」
「……お互い辛かったな」
深く同情しながら、ハルトは軽く教室を見渡した。
「どうしたの? 」
「なんでも……まだ、来てないのか……いや、やっぱりあれは何かの間違――」
「……朝から扉の前で突っ立ってるんじゃないわよ……邪魔ね」
「へ? 」
死神のような声に一瞬でハルトの背筋が凍る。
振り返ると、生気が全く感じられない瞳と視線があってしまった。
無造作に跳ねる尾花栗毛の毛先。
頬を茶色く窶れ、目の下には真っ黒なクマが出来ている。
「リ、リーネさん!? 」
ひょこっとハルトの腰から覗いたカレンがあり得ないと言わんばかりに体を震わせた。
「やっぱりあれは本当なのか……」
「どどどど、どういうことなのハルトくん? どうして万年S級のリーネさんがD級のクラスに!? もしかしてここってS級の教室!? マズイよハルトくん!! 早くここから出ないと私達また――」
「落ち着けカレン……と言うかお前ちゃんと貼り出しを見たのか? 」
「えっと……私とハルトくんの名前が見えたからもういいやってなっちゃった。えへへ」
ハルトはだだっ広い天井をゆっくりと仰ぐ。
「はぁ……と言うか……俺も何でD級クラスの教室にリーネがいるのか分からないんだが……」
ハルトが困惑の視線を向けると、リーネはグッと眉をせぼませる。
そして、リーネから返ってきた言葉は予想していないものだった。
「……貴方、つい前まで私の事リーネさんって呼んでたわよね……私達ってそんなに距離が縮まってたかしら……」
今日という一日が歓喜深いせいか、つい素面で対応してしまったハルト。
とは言っても、ハルトはもうD級が確定している為、いちいち弱者を演じなくてもいい。
しかし、何故だろうか。
結局いつものハルトに戻ってしまった。
「ああ、いや……ごめん。まさかリーネさんが本当にここに来るなんて思っていなかったからつい」
「私だってここに来るつもりなんてからっきしなかったわよ……まさか体調不良のせいで知能、魔法共にD階級になるなんて……」
ガクンと頭を落とすその哀愁姿、どうやらまだ本領とはいってないようだ。
「水晶は一つも光らないし、知能検査は誰が見るも無残……昨日だけでどれだけお母様とお父様に怒られたか……」
「へ、へぇ……体調不良になるとそんな事も起きるんだ……」
だが、体調不良と言っても彼女は誰もが知っているS級で名のしれているリーネだ。
教員も流石に何一つ光らないなんてのはありえない考え、水晶を変えながら何度か試してみたが、結果は変わらなかった。
そしてふと思い返せばリーネは学園では魔法の使用をあまり行っていない。
一年は魔法の授業よりも知識を養うものが多くて、教員が生徒達の魔法発動を実際に見るのは稀に行われていた魔法の基礎訓練だけなのだ。
して、そんな数少ない魔法訓練を、基礎なんてつまらないから、なんて言ってサボっていたリーネ。
つまり、誰一人としてリーネが魔法を使った所を見た教員がいないのである。
となれば、少なからずリーネには疑いの目が向けられるのは当たり前だった。
「でもでも、リーネさんがS級の力を持っている事にはかわらないよね? 」
カレンの言う通り、リーネがS級の魔法階級を持っている事は入学当初の仮階級検査で実証済み。
だが、もはやそれだけの立証では説得力があまりにも乏しい。
入学当初が良くても一年経てば階級が下がるなんてのはよくある事。
それも踏まえ、教員達はリーネを苦渋の決断でD級へと落としたのだ。
だが、もし数人の教員や多数の生徒達がリーネの魔法発動を見ていたのなら、証拠十分となって少なくともD級までは落ちなかったはず。
つまり、ここにきて授業のサボりが足枷となってしまったのだ。
もちろんハルトはそんな風評もあると想定していたので、学園では普段から魔法発動は抑えていた。
昨日は我を忘れ、力を使用してしまったが、今日の結果を見ればそれも過度な心配だった。
それに、こうでもしないときっとD級という最下位級にはなれなかった。
いわば、今までのハルトの頑張りが報われたという事である。
「そりゃそうだろうが、リーネさんは高貴で有名なハートレー家の娘だぞ……能ある鷹は爪を隠すなんてその立場じゃ許されないって」
「そ、そっか。つまり、ちょっとした汚点もリーネさんには許されないって事だね……世知辛そうで可哀相……」
カレンが同情の視線をリーネに向けた。
「そうなのよ……私って本当に可哀相な人間だと思うわ……何をするにもハートレーなんて言う名が影となって付き纏ってくるんだから……まぁそれはただのいい文句として、それもこれもアイツのせいよ……」
フラッシュバックしてきたハルトの顔が、リーネのこめかみをしかめる。
少しだけ頬が赤いのは気のせいだろうか。
「アイツ? もしかして今までの体調不良その人のせい? 」
「そうよ……私はソイツに会ってから波乱万丈な生活を送っているの……何をしててもあの顔が見える……ご飯の時も、お風呂の時も、就寝の時も……」
「そ、それってストーカーじゃないのかな? ほら、リーネさんって学園の華みたいな所あるし。寄って集る男の人なんて一杯いそうだよね」
「ストーカーか……それは分かるにしても、リーネさんの力があれば、一捻りで一蹴出来ると思うんだが……」
ハルトの発言にリーネはシクシクと顔を覆った。
「駄目なのよ……私の力を持っても消えないのよソイツ……」
「つまり、リーネさんより強いのかそのストーカーは……」
因みにハルトは、リーネの言うそのストーカーが自分だと言う事に、全く感づいていない。
何とも食い違いの激しい会話だ。
「ふーん……何か物理的に危害を食われられた事は? 」
「ないわ……だってあれから一回も会えてないんだもん……」
「……は? ちょっと待って、会えてないのに顔が見えるってどう言う事? 」
「そのままじゃない……会ってないけど顔が見えるのよ……」
「何その理不尽なオウム返し……」
「わ、分かった!! きっとリーネさんが言うストーカーは幽霊なんだよ!! 」
「んなバカな……」
カレンとハルトの掛け合いを不思議そうに見つめるリーネ。
その万全でない脳内思考でも、明らかに分かる事がある。
(彼……本当にあのいじめられっ子なのかしら……随分と雰囲気が違うじゃないの……にしても少し似てるわね……あの付き人に)
ただあのハルトとは性格が丸で違うし、前髪だって伸ばしている。
「んー……」
ほんの少しリーネはハルトの前髪の奥にある瞳を妄想させる。
(まさかね……だって彼とこのいじめられっ子じゃあアンデッドとプリンス……って何言ってるの私は!? か、彼がプリンスとか……ああああ!! 私ってばっかじゃないの!! )
無造作にも見えるリーネの毛先が更にうねりを増す。
(そもそも私はアイツのせいで苦しめられているの!! あの有害モンスターがプリンスとか絶対にあり得ないわ!! ……いやでも有害って程でもないかしら……悪いヤツではないし……でも苦しめられているのは事実だから、無害って訳でもないし……ああもう!! またアイツのせいで私は!! )
「……なぁ、アレ何やってんだ? 」
「わ、私に聞かないでくれると助かるかな……」
「だってカレンと同じ女の子だろ? 同性ならあの喜怒哀楽も理解できるんじゃない? 」
「無茶苦茶だよ……」
なんてやり取りをしている時、ドアからしかめっ面でやって来た先生が、リーネの高揚激しい表情を心配そうに見つめていた。
まさかリーネがこの教室へ来る事になるなんて、予想外だったのだろう。
授業中もハルトやカレンに視線は行かず、ただ机に突っ伏しているリーネを傍観していた。
そして、学園二年生のD級生徒はハルト、カレン、リーネ、と言うメンバーで決定したのだった。
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