第19話

 ハルトの中にあったストッパーが怒りで解放されてしまった。

 ゆらゆらと不気味に揺れる前髪の奥ではハルトの黒瞳が殺気を持ってかっ開いている。

 

「はぁ? D級のお前この俺を殺すだと? お前自分が何を言っているのかわか――」


 そう言いかけた刹那、レンは頬に唐突な衝撃を受けて勢い良くぶっ飛ばされた。

 その一撃は周囲が言葉を失ったほどのである。


 イフリートベアーの件でもそうだが、ハルトは元より身体能力が他の人間とは違い秀でてる。

 つまり、ハルトは体術の戦闘にはめっぽう強い。 

 そして、ハルトの魔法無効の力は必然と体術に持ち込まれ、こうなるともうハルトが断然有利な状況になる。

 つまり、ハルトを倒すには自力がよほど強くないと駄目なのだ。


 そしてそんな有利な状況にあるハルトはゆっくりと横たわるレンへ近づいていく。


「くっ……くそっ……」


「……」


「ひっ……」


 レンは無様に近づいてくるハルトは睨んで威嚇するつもりだった。

 なのに、ハルトを目にした瞬間、今まで感じた事のない感情がレンの心に宿った。

 その瞬間、レンは無意識にこう思ってしまった。


 ――俺はコイツには勝てないと。


 そして途端に震えだす体。

 それは身の毛がよだつほどの恐怖――死の恐怖のせいだった。

   

 きっと今のハルトには間違いなく秩序などない。

 レンは今のハルトを見て察したのだ。

 今のハルトは人を殺す事を躊躇わないと。


 その瞬間、たった一文字の言葉がレンの脳内を一気に蝕んでいく。

 恐怖で呼吸が浅くなっていく事を自覚し、四肢は全く言うことを聞いてくれない。


 ――いやだ、死にたくない!! 


「はぁ……はぁ……」


「お前……これからすぐに死ぬけど最後に言いたいことはあるか……? 」  


 凍てつくような冷たい声にレンはようやく言葉を紡ぎ始める。


「す、済まない……許してくれ……」


 発声もままならない身体状態で懸命に振り絞った言葉はハルトの怒りを更に高めるものだった。

 

「……言いたい事はそれだけか」


「た、頼む……全部俺が悪かった……俺が間違っていた……」


「……俺は、一言だけだと言ったはずだが……」


「お願いだっ……俺はまだ死にたくない……」


 ハルトはそんな戯言に視線を細めると恐怖に駆られるレンの胸ぐらを掴み、力強く自分の方へ引っ張っり寄せた。

 

「お前、さっき俺に偉そうな事言ってなかったか。死なんて怖くないじゃないのか? 誰もお前を殺させないないんじゃないのか? それともさっきの威勢はただのおままごとか? 」


「ひっ……」


 顔と顔が至近距離に寄り、初めてお目にかかったハルトの鋭い瞳。

 

 今はもう優しい瞳をしてたハルトではない。

 涙で歪むハルトの表情、レンはそんな状況でもふと悟った。

 

 ――今から殺される!!


 メラメラと燃えさかるハルトの視線は正しく、殺意。

 

「何故何も言わない? 威勢がいいのは口だけか? お前はそんなしょうもないプライドで俺の大切な物を奪ったのか? 」


「ひっ……す、すみません……」


「くっ!! 」


 ――許さない。


 目の前で情けなく尻を着けるこの男だけは何があっても許さない。

 

 そして怒りに任せたまま渾身の右ストレートをレンの頬を叩きつけた。


 レンの陳家な傲慢のせいで、ハルトは大切な物を失った。

 ハルトと妹達の形で見せる絆が、そんなしょうもない感情で壊されてしまった。

 もう躊躇う必要はない。

 

「な、なんて力だ……」


「私もああやって殺させるの……いやだ」


「怖い……怖い……怖い」


 今この場は閻魔大王さえ怯みかねない殺伐な地獄と化している。

 そして死に近づいていると悟った他の生徒達もまたレンと同じような恐怖を感じていた。


 そして、灰色の砂煙が舞う中、横たわるレンのシルエットがゆらゆらと映る。

 微かに見えたレンの顔は綺麗な鮮血で染まっていた。


「たった一発だぞ……まだまだこれから本番だ……」


「っ……頼むっ……許してくれっ……まだ死にたくないんだ……」


「この後に及んでまだ命乞いするか……随分と都合のいい男だ」


 レンの泣き言はハルトの心を一切動かさない。

 して、ハルトは近くに落ちていたレンの剣見つけるとゆっくりと拾い上げる。 

 そして剣先をレンの首元に添え。


「嫌だっ……お願いだ……これからはお前の言う事きく……もうお前に危害は加えない。だから命だけは……」


「……」


 しょうもない懺悔なんか気にも止めず、ハルトは剣に力を入れ――


「何をしている少年」


 背後からどこで聞いたことがあるような声がハルトの耳に届く。

 振り返れば赤黒髪が左右に揺れている一人の女生徒が剣を握るハルトの手を掴んでいた。

 その正体はシオンだった。


 して、シオンはがっしりとハルトの右腕を拘束し、一切動けないようにした。

 

「この剣はじゃれあいで使っていいものではない。それとも君はこれから大罪人にでもなるつもりなのか? そんな事をすれば周りの者達が悲しむぞ」

 

 シオンの吸い込まれそうな瞳がハルトの平静を取り戻していく。

 そしてその紫の瞳にはハルトが溺愛している二人の妹が映った。


「何があったのかは知らないが、仮にも彼は君と同じ生徒だ。罪を犯す前にもう一度冷静に考えろ。でないと、君もあの男の二の舞なってしまうぞ」


「っ……」  


「君なら分かるはずだ。感情に身を任せて、間違った過ちを犯せば悲しい気持ちになる人がいるってことを。考えろ少年。今少年が一番大切にしているものはなんだ? 」

 

 そう言われてハルトは悔しいそうに唇を噛み、右腕から力を失くしていく。

 もちろん一番大切なのは妹達だ。

 

 もしこのままレン達を殺していれば、もう妹達とは二度と会えなかったかもしれない。

 危うく兄は殺人犯だというレッテルを妹達に貼り付けるところだった。


「ふむ。聞き分け良くて助かる。流石は少年だ」


 そう言ってシオンはゆっくりとハルトの前へと立ち、尻をつけて震えるレンを見つめる。

 シオンの甲斐もあってか、レン達も安堵の表情を浮かべていた。

 だが、その瞬間レンはビクビクと震える指先てハルトを指さして。


「シ、シオン先輩も見てましたよね!? コイツが本気で俺を殺そうしたところを!! これは殺人未遂だ!! 即刻学園長へ報告するべきだ!! 」


 シオンが来てくれた事を好都合だと考えたレンはハルトを指さしてとんでもない事を言い出した。

 その瞬間、シオンの視線は見つめるから一瞥へ。

 

「なるほど。君はそう言う人間か。ならば、この私が君に有難き言の葉をくれてやろう」


 シオンは尻もちを着いているレンへと近づき耳に口を添え、声を出す。

 ハルトには聞こえない声で。


「もし、これからもハルト君の邪魔すると言うのなら、私がハルト君に代わって卑劣な殺人犯になってやろう……その時はこの世で一番と言っていい苦痛を君に与えてやろうじゃないか……」


「ひぃっ!! 」


 シオンが何を言ったのかハルトには分からなかったがレンの顔色はみるみるうちに青白くなっていた。

 そしてシオンの今の表情は殺人犯の様相となんら変わりない。


「君の人生がここでグチャグチャにならない為にも、今すぐここを去った方がいい……こう見えてもお姉さんはこうと決めたら手が早い……」


「あ……あ……」


 丸で壊れたロボットのような動きを見せるレン。

 して、気づけばレン以外の他の生徒達は皆すきをついてこの場から逃げ出していた。


「ご、ごめんなさい!! 」


 そして瞬時に腰を上げたレンは逃げ足でこの場から走り去っていった。

 中腰になっていたシオンは背筋を立たせてハルトに向き直る。


「君にはもう危害が及ばないよう脅しはかけておいたよ。これで君の学園生活は安泰だ。感謝するんだな少年」


「は、はぁ」


 もう完全に素面へと戻っているハルトはそう言って胸を張るシオンを見つめる。

 付き人の時と全く態度が変わらないマイペースな女子生徒。

 それでいて圧倒的な風格も持ち合わせる。

 

「おやどうした少年? もしかしてお姉さんのふかふかなおっぱいが気になるのか? 」


「気になりません……」


 本当に何も変わらない。


「はっはっは。私は気付いているよ。私が中腰になっていた時、君の淫らな視線がお姉さん太ももに吸い付いていたのを」 


「な、何を言って――」


「ふぅー」


「ひゃぁぁ!! 」

 

 シオンは一瞬の隙をついてハルトの耳に息を吹きかける。

 その瞬間にハルトの脳内に嫌な思い出がフラッシュバック。

 

「お姉さんの興も十分満足したし、私はもう行くよ」


 シオンはハルトの肩をポンポンと叩いて何処かへ言ってしまった。

 

「頑張れよ少年」

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