第16話

「おうお兄ちゃん!! ただいまだぁ!! お疲れ様だなぁ!! 


 ハルトの帰りを玄関で待っていたルナは、一目見ると満面の笑みで立ち上がった。

 その仁王立ちは小さい魔王のようなだ。


「ただいまじゃくておかえりな。またここで待っててくれたのか? 」


「もちろん!! 私はここでお兄ちゃんの無事を祈ることが日課だぁ!! お兄ちゃんも家に帰って直に私を見れば、疲れも一気に吹っ飛ぶだろぉ? 」


「確かに……なんてお兄ちゃん想いな妹だ……」


 ルナのこの可愛い健気さは、ハルトの重かった体を一気に軽くする。


 だが、ルナのこの日課も決して楽な事じゃない。

 すきま風が吹く玄関でハルトの帰りを待ち続けるのはまだ耐えられるが、ハルトの帰宅姿を見るまで眠りにつけないのがつらい。

 ハルトが無事である事をその目で確認と心が耐えられないのだ。

 もし帰ってこなかったら、死んでしまっていたら、ハルトがいなくなったら、などと嫌な不安に駆られてしまう。

 

 だから今日も無事である事に安堵してこのように満面の笑顔になるのだ。

 ハルトもルナ達がいつも自分の事を想ってくれているのは分かっている。

 いつも唇を真一文字に結んで見送ってくれているから。

 

「サンキューな……でもここでずっと待ってたら風邪ひいちゃうだろ。妹を看病するのは好きだが、いつも笑顔なルナの弱っている姿は見たくない。これからはちゃんと向こうで待っててくれ」


「にゅふふ……」


 靴を脱ぎ、仁王立ちしているルナの頭を優しく撫でるハルト。

 猫顔になってとても嬉しそうな表情をしている。


(……にしても今日一段と機嫌が良くないか? )


「何かいい事でもあったか? 」


「おう!? さ、流石はお兄ちゃんだな!! やっぱり、いつも学園の女の子を観察しているだけあると言う事か!! お兄ちゃんの女たらっしめぇ!! 」


「お兄ちゃんを困らせる事を言うのはこの口か!! 」


 ハルトはルナのプニプニのほっぺを指でつまみ、クニクニと回す。


「はふぅ!? や、やっひゃなおにひゃん!! しょっちがそうくるにゃらこっちもおかえひだぁ!! 」


「ほふ!? かまいたちにもまゃけにゃいそのしゅんびんなこうどうひょく……おぬし、にゃかにゃかやりおるにゃ!! 」


「おにひゃんこそ、わたしのじゃくてんがほっぺだとみぬいたひょのみきり……しゃしゅがだぁ」


 ルナとハルトは頬を伸ばされた状態でお互い見つめあう。

 頬が伸び切って一反もめんになっているハルトとは違い、ルナはどれだけ頬を伸び縮みされてもその可愛いさが揺る事は決してない。

 つまり、ハルトの方が不利な状況である。


「くしょ……なじぇおまえはしょんなにかわいいんだよぉ!! このてんしめぇ!! 」


「お、おにひゃんこそどうしてしょんなにあたしたひぃおもいにゃんだぁ!! こにょさいこうにょおにひゃんめぇ!!」


「しょんなにょおまえひゃちがかわいくてかわいくてしかひゃないからだりょうが!! 」


「こっひだっておにひゃんのことがだいしゅきなんだぁ!! 」


「うれしいことょをいってくれたにゃぁ!! 」


「おにひゃんこしょ!! 」


「何やってするんですか二人共……」


 ヒートアップしていたハルト達の前に、冷たい視線向けるユキハがいた。

 そしてハルトとルナはお互いにゆっくりの頬から手を離す。


「ただいまユキハ」


「お、おかえりなさい……」


 ユキハは何故か頭を下げ、そして途端に指をモジモジさせた。

 ハルトが懐疑深い目で見ている中、ルナの大きな瞳がユキハを見てキラッと怪しく光る。

 

「おやおや!? どうしたんだユキハぁ!? 何か物足りような表情をしているがぁ? 」


「な、何を言って!! べ、別に物足りなくなんてありませんから!! 私は兄さんが無事に帰って来てくれるだけでもう満足なんです!! 変な事言わないでください!! 」


 背筋を伸ばしたユキハはプイっと視線を斜めに投げる。

 して、ルナの悪商売人のようの笑みをまだ消えない。


「……あっれぇ? ユキハさっきお鍋持ってなかったかぁ? 」


「――っ!!」

 

 ユキハの表情が明らかに引き攣った。

 しかい、まだユキハのムスッとしたその表情は崩れない。


「鍋? 」


「そうだぁ。実はここで私とお兄ちゃんが戦っていた時、ユキハが一回ここを通ったのだぁ。その時は確かに両手に鍋が握られていたぁ」


「食事をするリビングはここを通らないといけないし、別におかしい事じゃないよな」


 この家は玄関を真っ直ぐ通って一番奥にキッチンがあるので、その間にあるリビングへ行こうとすればちゃんと玄関から見えるようになっている。

 ハルトの思考通り、何もおかしい事はない。


 なのに、ルナは更に怪しさを増した視線をユキハに向ける。

 ユキハの方は真一文字に結んでいた口がピクピクしていた。

 

「でもよく考えてみろお兄ちゃん。どうせ声をかけるなら今じゃなくて、その時でもいいと思わないか? 」


「……確かに。と言う事はわざわざ鍋をリビングに置いてから来たって事か……」


「うっ……」


「ユキハぁ〜? どうしてだぁ? 一声だけならその時でもいいよなぁ〜? わざわざ鍋を置いてくる意味あったのかぁ? 」


 ハルトもルナの言いたい事が何となく理解できたが、何せからかわれているユキハはマジで可愛いのだ。

 わざわざ今それを止めるなんて、そんな選択肢などハルトにはない。

 

「そ、それは鍋が重くて腕が――」


「ほんとぉ〜? もしかしてユキハも一緒にしたかったんじゃないのかぁ〜? 」


「そそそ、そんな事あるわけないじゃないですか!! 私はもう兄さん離れするんですから!! 」


 必死に反論するユキハの姿をハルトとルナは分かったような表情で見つめていた。

 結局ユキハはそのニヤニヤ視線に耐えられず、一人リビングへと行ってしまった。

 

「……私も混ざりたいなんて……そんなの言える訳ないじゃないですか……。はぁ……何で私は素直になれないのでしょう……本当はずっと兄さん達と側にいたいのに……」


「――とかなんとか思ってるぞぉ!! 一人で!!」


「ううっ!! ば、バレてる……」


「全く……可愛いなぁ俺の妹達は」


「くっ……悔しいです……」


 ユキハが無念の表情で食卓に腰を下ろしいる所に、ハルトとルナがやってきた。

 ニヤニヤが止まらないハルト達はユキハに向かい合うように座った。

 そして箸を持ち皆で手を合わせる。


「いただきます」


「いただきまーす」


「いただくぞぉ!! 」


 ハルト達は机に置かれている鍋を突き合い、胃に流し込んでいく。

 鍋の中身は野菜と魚と肉が全部放り込まれている簡単なものだが、味をとにかく絶品。

 それぞれ旨味は喧嘩せず、それでいて美味しいところを消さないように上手いこと出汁がとれている。

 これもユキハの腕が合ってのもの。

 きっと質の高い具材があれば、そこらへんの料理人など軽く一蹴してしまうだろう。  

 

 そうして、そんな幸せな時間が終わると、徐にユキハが立ち上がり、そして何かを手にもってハルトの前へとやってきた。

 

「兄さんこれ……」


 恐る恐る手渡されたのは赤色の布袋で包まれた御守だった。


 これはもちろんお昼から二人で探しにいったドロミスである。

 前面には健康第一と書かれており、字を見ても分かる通りちゃんと手作りで出来ていた。

 きっと手芸もこなすユキハが時間をかけて作ってくれたのだろう。

 

「わざわざ手作りだなんて……ありがとうユキハ」


 ハルトはユキハの頭をよしよしと撫でる。

 さっきは意地を張って自分を貫いたが、この時だけはユキハも笑顔が止まらない。


「中には煎じたドロミスの花が入っています。これからも兄さんが無事に帰ってこられるように」


 ドロミスはリリーの花と同等のレア種で、商店では高値で売られている事が多く、界隈では身に着けると厄を祓うなんて噂のある花だ。

 そしてユキハ達が昼間に汗水垂らしてドルミスの花を探していてくれた事を聞かされて、ハルトの目頭がブアッと熱くなる。


「これ、ルナも手伝ってくれたんですよ。この紐づけとかルナ一人でやってくれました」


 見れば、ルナがとびっきりの笑顔でピースサインしている。

 ルナもハルトを想って一生懸命裁縫していた。


 そして、これでハルトは合点がいく。


「なるほど……だから今日はルナの機嫌が良かったのか」


「これでお兄ちゃんは私達の作った御守によって死なないですむからな!! 感謝するんだぞぉ!! 」


「ああ、大事にする。ありがとう二人とも」


 実を言えばハルトはこういうプレゼントは意外と初めてだったりする。

 こう言う気持ちのこもったプレゼントはかなり歓喜深い。

 もう一生離す事のない宝物だな、とハルトは決心した。


「……えい」


「ふぇ? 」


 そんな中、ハルトが恍惚な視線を御守に向けていると、ふと頬に人肌を感じた。

 して、その正体は頬を赤くし見つめていたユキハの小さな指達だった。


「……ルナだけズルいです……文句ありますか……? 」


 まだ先程の事を根に持っていたらしいユキハ。

 瞳を恥ずかしさで揺らし、くっと口元に力を入れて見つめるユキハに文句があるなんて、そんなのはお天道様が許さないだろう。

 そしてハルトは赤く染まっているユキハの頬を摘む。

 

「……くっしょぉぉ!! おれのいもうとがかわいしゅぎるぅぅぅ!! 」

 

「ひょ!? こへがでかひでひゅよ!? しじゅかにしてくだひゃい!! 」


「おい!! 二人だけズルいぞぉ!! 私も混ぜろぉ!! 」


 そしてこれから一時間も頬のつねり合いが続くなんて、この三人はまだ予想していなかったのだった。

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