第13話
「おはようっ!! 」
次の日の朝。
二日連続平穏な朝を迎えられたという現実に、ハルトはとても清々しい気持ちに浸っていた。
そんな中で、あともう少しで行われる階級検査の事で内心ウキウキして考えていた時、耳元からバカでかいおはようを貰ってしまう。
「おはよう……誰……? 」
「ちょ!? 流石にひどいよ!! 折角ハルトくんを振り向かせようと頑張ったのに~!! 」
その女の子はそう言って瞳に一杯の涙を浮かべると、そのまま勢いよくハルトの机に突っ伏してしまった。
紺色のショートボブに透き通る碧眼。
目鼻立ちはとても整っており、涙を浮かべる表情もまた一つの長所になっていた。
と、言ってもハルトはこのような美少女は記憶にない。
「人違いじゃないかな……?」
「いやハルトくんだよね!? 」
「そうだけど……なんで俺の名前を……」
この学園において言えば、ハルトという名前は別に認知されていてもおかしくはない。
だが、初対面なのに嫌味なく距離を詰めてきた生徒は今までいなかった。
これは変わった男を趣味をしているストーカーだろうか。
そう思うと、自然と体がこの女の子から離れてしまう。
「何でそこで身を引くの!? 私怪しい人じゃないから!! ううっ!! ううっ!! 」
「えっ……!? 」
目の前で訳も分からず泣き出してしまう女の子。
しかし、ハルトは基本この学園では一匹狼。
言えば友達なんていないので、他生徒に関する情報網は一切皆無だ。
つまり、ハルトは本当にこの女子生徒を知らないのだ。
とは言え、とりあえずこの女子生徒を落ち着かせないと、傍からみればハルトが女の子を泣かしたように見えてしまう。
まぁこの教室には二人しかいないのだが。
「ごめんね……で、でも本当にわからないんだ……俺達知り合いだったっけ……?」
「昨日、もう手は出させない、って言ってくれたの、あれは嘘だったの? 」
「昨日……?」
ハルトは上目遣いの女の子を見つめながら考えてみる。
確かその臭い発言は、カレンを落ち着かせようと咄嗟に出てしまったもの。
今考えても黒歴史レベルで恥ずかしい。
「まさか……カレンさん……?」
「や、やっと気づいてくれた!! うわーんハルトくーん!! 」
「ちょ……!? なんで急に抱きつくの……!? 」
ハルトの胸元へ躊躇なく抱きついたカレンの甘い匂いがふわぁっと鼻腔を通る。
妹以外にこうして懐に入られたのは初めてだ。
「い、いいから離れて……!! 」
「で、でもここには多分私達だけしか来ないよ? 」
「それだと余計にマズイでしょ……!! こんな所先生に見られたらきっと不純やらなんやら言われて昼休みまで説教だよ……!!」
「うう……確かにあの先生もう三十路間近なのに男の一人もいないからこういう事には厳しそう……はぁ折角の二人きりなのに……でもハルトくんがそう言うなら……嫌われたくないし」
カレンは腑におちない表情を浮かべているが、ハルトの方は妹達と違う女の子の匂いに当てられて撃沈寸前である。
(これは妹達には秘密だな。きっと妹達が知ればウギィーーっ!! と嫉妬に狂ってしまう……多分。してくれるよな? )
ハルトは勝手に妹達の怒り狂う姿を妄想し、カレンの方はゆっくりと隣の席へ腰を下ろす。
「えっと……怪我は大丈夫……? 」
「うん。それなら心配ないよ。昨日、ちゃんと病院に行って、パパっと魔法で治してもらったから」
「それはよかったね……にしてもカレンさんがこんな可愛いかったなんて……ちょっと驚きだよ……」
「か、かわいい!? ああ、え、えと……う、うん……うん!! 」
そう言ってクネクネと動く腕で赤く染まる頬を隠すカレン。
確かに誰が見ても美少女と言える容姿だが、カレンといえばあの包帯グルグルの印象があまりにも強いのでそれを素直に受け止められないと言うのがハルトの本心だった。
それにカレンのアイデンティティーが無くなったような気がしてハルトはすこし寂しい気持ちになる。
「そうか……昨日直ぐに帰った理由はそれだったんだ……」
「うん。あ、あと美容院にもいったよ。髪の毛が魔法でバシバシだったからね。だからついでに整えてもらったんだーどうかな? 」
カレンは指でウェーブのかかっている毛先をハルトに見せつけた。
「うん……似合ってると思うよ……。それよりも、その……大丈夫? 」
この大丈夫は恐らく怪我の事ではなく、精神的な事を意味している。
だが、カレンはそんな問いにも嫌に表情を歪めず、柔和な笑顔を浮かべた。
「うん大丈夫。そもそもあういうのは昨日に限った事じゃなかったし。でも私をここまで元気にしてくれたのはハルトくんのおかげだよ」
「そう……それはよかったよ……」
「……やっぱり聞かないんだね」
カレンが思っているのは恐らく何故あのような暴力を受けていたのか、だろう。
でも、暴力ならハルトも毎朝受けていて、同じ境遇なのだと思えば特に知りたい話でもない。
ただ、きっとハルトよりもその理由は深刻なはずだ。
「うん……。少なくとも今は聞かないよ。これはカレンさんだけじゃなくて俺の問題でもあるから」
「……そっか」
カレンもその淡々とした返答に、それ以上聞き返す事は無かった。
して、学園に響くチャイムが授業の始まりを告げる。
カレンは笑顔で手を振り、自分の席へと走っていった。
結局今日もこの教室にはこの二人しか来なかった。
「……」
今、ハルトにとって何も参考にならないようなD級学生向け授業が淡々と行われている。
そんな中で、カレンは昨日とは違い、ひたすらに黒板へ意識を集中させていた。
(にしても……何で俺見たいな気味の悪い奴に対しても、あんな気さくに来れるんだ)
実際、この外見で気さくに話しかけてくれるのは、この世界では実情を知っているユキハとルナだけだとハルトは思っている。
いや思っていた。
(……変わってんなほんと。まぁ同じD級ってのも一因かもな。他のD級生徒が来てない今、カレンにしてれみば同じ境遇なのは俺だけだし)
と、考えている内に、ハルトの体に極上の睡魔がお迎えだ。
視界はボンヤリと滲み、頭がフワフワとして気持ちいい。
(すげー……授業中に寝れるのって今までで初めてだ……)
そしてハルトは深い深い闇へと落ちていった。
「嘘……ハルトくんってこんなにカッコいいの……ヤバイよ……こんなの余計に好きになっちゃうよぉ……」
授業が終わって昼休みの刻。
ハルトが無防備で机へと突っ伏して寝ている為か、前髪が横に流れ普段隠してる目元が露わになっていた。
恐らくこうして素顔を見られたのはこの学園では初めてだ。
しかし、そんな事になっているとは知らずハルトはまだ眠り続けていた。
「はぁ……ハルトくん……私の心はもう昨日からずっとハルトくんで一杯だよ……思い切ってイメチェンしてみたけど、ハルトくんはどう思ってくれてるのかな……」
「うっ……」
「は!? 何やってるの私!? 」
ハルトの素顔を見ている内に、気付けばお互いの唇がほんの数センチまで接近していた。
カレンは咄嗟に後ろへ飛び退き、落ち着こうと深く呼吸をしている。
「んっ……」
(ああ、やばい……つい寝ちまった……これ怒られるかな……)
「ご、ごめんなさい……」
ハルトは寝ぼけながら机に引っ付いていた額を引き剥がし、目の前に教員がいると思い込んで謝罪を口直しする。
「うそ……今のかわい過ぎるよハルトくん……もう一回……ってそうじゃないでしょ私!? 」
「……え? 」
まだ重たい瞼を開けて眠気眼に映るのは、至近距離で映るカレンの姿。
気づけばカレンはまた無意識に顔をハルトに接近させていた。
「……うわっ!! 」
「お、おはよう!? も、もう授業終わったよ!? 」
脳より先に身体が反応すると言うのは、実際に体現すればこういう事になる。
ハルトは背中を大きく反らし、カレンと距離を取った。
「びっくりした……心臓がここで活動停止するところだった……」
「そ、それは私が可愛すぎてかな!? 」
そう言ってカレンはパチパチと瞬きを繰り返し、上目遣いでハルトを見つめる。
実際、このような痛女みたいな発言をするつもりなんてなかった。
ハルトの唐突な起床に思考が思うように動かなかったのだ。
「……カレンさんってそんなキャラだったの? 」
「え!? いや、うーん……ち、違うかな? で、でもこっちのほうがハルトくんが喜ぶと思って!! 」
(な、何でこんなに取り乱しているんだ? )
「えっと……まぁ俺も男だしあながち間違いじゃないかな……でもそれと引き換えに寿命が縮んでは俺の立場がないよね……」
「――!? そ、それって今の私を見て可愛いって思ったって事!? 」
「まぁ実際カレンさんは可愛いし……今さら言うまでも無いと思うけど……」
「ほぇ!? 」
カレンのクリックリの瞳がグルグルと回り、そしてしどろもどろな両腕はそっと太ももへとしまわれた。
「ど、どうしたの……? 」
「う、うんうん……あ!! そ、それよりお昼食べようよ!! もうお昼休みだよ!! 」
カレンは机に置いてあった弁当箱を持ち上げ、ゆらゆらと空中で揺らす。
「えっと……俺ちょっと用があって……」
「……女? 」
「……え? 」
さっきまで茹でダコ状態だったカレンが、瞬く間に雰囲気を変えた。
ただ、ハルトは一人校舎裏でゆっくりとご飯が食べたいだけなのだが。
「いや、その……」
「やっぱり女なんだね……」
カレンはショートボブの髪の毛を化け物のように滴らせる。
(怖い……怖すぎるんだけど)
「ま、待って……カレンさんってそんなおっかないキャラじゃないよね? 」
「うーんどうだろう……いや、もしかしたらそうなのかも……ほら、こっちのほうがハルトくん喜んでくれると思って……」
「そ、そうでしたか……」
結局、ハルトはカレンの圧に耐え負け、教室で昼休憩を取る事になってしまった。
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