第1話 part6

「生き残り、ですか…」


 報告を聞き、ティオバルトの口から出た言葉はそれがやっとだった。


 ティオバルトは今、小さな部屋にいる。恐ろしく簡素な作りであり、壁は病的なまでに白い。ティオバルトはこの白い部屋が好きではなかった。

 通常清潔のイメージを抱かせる白色がここでは潔癖へと変貌し、こちらへ無言の圧力を放っている様で気が滅入る。それでいて、部屋の作りも気に入らない。中央に応接用の机と椅子以外には何もなく、他にはこちらを圧迫する白しかない。


 対し、ティオバルトの事を気にもせずに、一人の女性が机をはさんだ向かいに座っている。


 ヴァレリヤ・ヴァシリーというこの女性はこの収容施設の職員である。


 部屋の白にとけ込む様なプラチナブロンドの髪には白髪の様に見える色が所々に存在し、その髪に下には、整ってはいるが疲れが出た顔を覗かせている。


「通信書に書いてあったろう。中央からそういった内容のものが送られたんだから多分本当のことさ。グレリオは予てから衝動的に街の女、それも若い娘を手に掛けては他の街へと逃げるように移動することを繰り返していた。そして、奴はあのバスタ村で起きていた連続殺人の犯人、何の罪も無い娘達をその手に掛け続けた殺人嗜好持ちの異常者ってことさ」


 その言葉を聞きながらティオバルトは手元の報告書に再び目を落とした。

 内容はグレリオの経歴が事細かに書かれ、加えて彼が犯した罪状が判明している限りで羅列していた。

 

 報告によると、グレリオは元々聖都近郊に住んでいたらしい。聖都内に存在する図書施設にて、聖書を訳し、世間の人々が内容を理解できる様に整えるのを生業としていたようだ。

 また、彼には元々妻と娘がいた。


 あの騒動の後、クラリアをどうしたのかと捕らえた男をひたすら問いつめたのだが、固くなに口を割らず結果として多くの時間を浪費しただけであった。埒が明かないので男を気絶させた後、村人達に事態を告げた後、村総出で二人の捜索を開始した。


 捜索の結果が出たのは夜が明けた後の事であった。クラリアは発見できず、そして墓地に面した森の奥に村人達さえも知らぬ洞窟の前に、グレリオが異様な姿で発見された。両腕、両足が腐り落ちたような欠落をしており、その上で腹部を中心に身体全体が風船のごとく膨れ上がっていたのだ。

 その顔には意思疎通の可能性が欠片もなく、神父は口から家族なのか、女性のものに聞こえる名をぶつぶつと漏らし続けていた。その名が何であるのかを後で調べたのだが。

「殺した被害者達の名、か」


 目をつぶり、天を仰ぎながらヴァレリヤはそう呟いた。


「ええ、そしてもっとも良くでた名は、クラリアさんでした」


 その名を口にした時の神父の顔が忘れられない。その瞬間、顔が恐怖に引きつり、うつろな目がどこか一点を捕らえ、まるでこの世ならざる者を見ているかの様であった。その上、グレリオは予想だにしない言葉を吐いたのだ。




——————イブリム




 大半はクラリアに関連する様な口ぶりであったが、彼はその中で確かにそう言ったのだ。


「そのクラリアだが、面白いモノを発見したよ」


 そう言ってヴァレリヤが何らかの資料とおぼしき一束を手渡してきた。ティオバルトはそれを受け取り目を通し始めると、そこには予想だにしない、驚愕的な内容が書かれていた。


 その資料には、あの晩にティオバルトが捕らえた男の供述が事細かに記録されていた。彼も所属していたかの集団はここ最近増加する邪教徒達の中でも特に活発な一団だったらしく、あちこちの村や街に出現しては、多くの男女を取り込み、脅威的な速さで大きくなっていったようだ。


 さらには、資料を読むにその勧誘の仕方が大変に興味深いものであった。


「これは…… 加わった人達は皆、教会関係の人間から何らかの危害を加えられていたと?」


「その様だな。あんたが捕らえたあの男も娘をあのグレリオに殺されたらしい。つまり、この集団の目的は復讐、イブリムを降臨させようとしたのもそのためらしい。ま、あの侵攻を行った存在だから当然の帰結かもな」


 軽い口調でヴァレリヤは言葉を述べていったが、ティオバルトにはそのどれもが重く受け止められた。その話が本当であれば、彼らの凶行は間接的に教会のせいであるということでもあるのだろう。


 結局、今回の件は邪教徒達の集団自殺ということで方がつき、グレリオを共に発見した村人達には村から他の土地へと移住することが強要され、今回の事についての公言を禁止した。


 隠蔽だ。イブリムが今回の件に本当に絡んでいたのかは定かではないが、それ以上に聖職者たる神父が殺しを行っていたのを何としてでも隠そうとしている様に思える。

 後になって分かった事だが、教会関係者の起こした不祥事をもみ消す動きは昔から行われていたらしい。教会に対するイメージが損われるのを阻止すべく罪を犯した者は権力で守られ、被害にあった者は邪教徒や悪魔の汚名を着せられ非業の死と共に闇に葬られた様だ。


 ともすれば、今回は何も手を打つ事ができなかったそんな被害者とその遺族によるせめてもの抵抗だったのであろうか。


 そう思った途端、ティオバルトで胸の内でいたたまれなくなった。それがわだかまりとなるのを感じつつ、己が内から吐き出す様に続きを促すよう口を開いた。


「そうなると、クラリアさんも…」


 ヴァレリヤは何も言わず資料の先を読むよう促した。資料をめくっていくとそこにはグレリオが過去起こしたであろう殺人の数々が記されていた。

 そのうちの一件に、一人の母親が娘の前で殺される事件が載っている。首都近郊にあるインジャードという比較的賑やかな街で起こり、被害者は生前、娘ともどもグレリオに食事を恵む等の世話をしていたらしい。

 ある晩、突如グレリオは凶器を持って娘の方に襲い掛かり、庇った母親を刺殺した後そのまま逃走を図ったようだ。


 身寄りのなくなった娘は街の孤児院に預けられ、シスターの道を歩むことを選んだが、途中で謎の失踪を遂げ行方知れずになったという。


「その娘がクラリア、本名アリア・イルスタンのようだ」


 吐息と共にヴァレリヤが答えた。


「どうやら、彼女は姿を消してまで何かを行いたかったようだな。確証はないが、ちょうどその頃邪教徒の中でも特に盛んな一派が誕生してな。関係者らしい者を捕らえて尋問した所、悪魔を降臨させるために一人の巫女を崇拝していたんだとさ。一方で、アリアは孤児院に入った頃から周囲を引き付け、人の輪を作るのが得意だったようだ。ここまで説明すれば何となく分かってくるだろう?」


 ティオバルトは戦慄した。


 そこまで、そこまでして彼女は復讐をしたかったのだろうか。身を滅ぼしかねん所業を行ってまで敵を討ちたかったのか。


 かつての彼女を思い出す。僅かな付き合いでしかなかったが、自分から見た彼女は本当に優しそうな人であった。彼女がその裏に何を抱えていたのかは計ることはできないが。

 やるせない思いが胸中に渦巻く。


「さて、頃合いも良さそうだからこの件はここまでかな」


 ヴァレリヤは立ち上がり、一度伸びをしてから襟を正した。


「これから見廻りなんでね。私はこの辺でお暇させていただくよ。ああ、ついでにグレリオの様子も見ておくよ」


 こちらの思惑でも読んだのか、あえてグレリオの名を口にしたように感じられる。そしてふと、気になることがあった。


「結局、どうしてグレリオさんは凶行に及び、そしてし続けたのどうしょうか?」


「知らないねえ。理由を本人から聞くしかないけど、あれじゃあ永遠に答えはないと思うよ。でも、一つだけわかることはある」

 

ヴァレリヤはそう言いながら両腕を広げた。それはまるでこの部屋、ひいてはこの施設全体を紹介するかの様な仕草であった。


「それは奴はここへ収容されるべき人間だったということさ。この意味、あんたはわかるだろう?」


 そう言われ、ティオバルトは一度目を見開き、ややあってゆっくりと頷いた。


 己が今この収容施設にいるだからだろうか、その言葉の意味は痛いほどわかってしまう。




———かつて、一人の悪魔が人類への侵攻を行った。


 その悪魔の驚異的な力に人類はなす術もなく、生ある者には決して逃れる事のない死が与えられ、死せし者には呪いによって生前とかけ離れたおぞましき怪物となり、悪魔の手先として蹂躙の限りを尽くした。


 抗う者には暴虐という無慈悲な鉄槌が下され、人々はただ恐怖に慄くしかなかった。


 破壊は留まることを知らず、終には教会の権威の象徴たる大聖堂を半壊せしめんとした所まで到達した。


 だが、イブリムの侵攻はそこまでであった。その時参上した英雄にイブリムは討たれ、この世から姿を消したのだという。




 イブリムに関するここまでの話は一般にも知れ渡っている事である。いつからなのかは判断できぬところだが。


 だが、普通の人々は決して知ることがないであろう。イブリムのもたらした災厄とはそれだけでなく、今も目の届かぬところでひっそりと起き続けている事を。

 その侵攻では多くの死者を出したが、生き残った者達もいた。しかし、その彼らにより当時の様子について聞くことができた事は一度としてない。


 それは何故か。どういう訳か、そこから生き抜いた者はもれなく気が狂い、挙句の果てには猟奇的事件を必ずといって良いほど起こしたのである。


 当然、教会としてはこの事実を公表することは決してなかった。生き残りを見つけては捕らえ、この「アガレスタ収容施設」」に隔離したのだ。世間には決して知られぬように、彼等が一生を終えるまで収容し続けるのである。


 施設に入れられた彼等がそのどうなっていくのかは部外者たるティオバルトの与り知る所ではない。ただヴァレリヤが言うには、実に様々であるそうだ。

 ずっと正気を保ち己の無実を訴え続けながら死んでいく者もあれば、こちらの想像通りに気を狂わせ自殺を図る者もいるらしい。いずれにせよ、破滅へと歩むだけなのは確かであろう。



「イブリムっての何なんだろうねえ。あんなにいかれた連中がここ数年後を絶たないなんて、あたしゃ時々訳分からなくて頭がおかしくなりそうになるよ」


 軽い笑みを交えたヴァレリヤの愚痴に、ティオバルトも笑顔で応える。


「物事には時々分からないでいた方が良い時もありますよ。さぞ大変なお勤めでしょうが、気を強く持てば大丈夫ですよ」


「……慰めと受け取ってあげるよ。あんたはこれからどうするんだい?」


「とりあえず教会へ今回の件について報告をしに行こうと思っていますが……」


「が、どうしたんだい?」


 ティオバルトは言うべきか一瞬迷ったが、相手はここで働いているヴァレリヤだ。話した方が良いのだろう。


「イブリムについて、もっと調べてみたいんです。実は今回の件で新たな手掛かりとなりそうな情報を得たもので」


「新たな情報だって!?」


 ヴァレリヤはその言葉と共に突如興奮したが、すぐに気を落ち着かせて話を促した。ティオバルトはそのままかのイアネラより聞き出した話を思い出せる限りヴァレリヤに聞かせた。


「赤い犬、ねえ。しかしそれだけだとイブリムに本当に関係しているのかもわからんな」


「やはりそう思いますか? 僕としてもどうすべきか悩むんですが」


 イブリムに関する情報は教会でもデリケートなところである。根拠の無いことを迂闊に口走ればそれだけでも何らかの罰を受ける羽目になってしまう。とはいえ、もしそれが今後重要になるとすればやはり報告しておくべきなのであるのだが。


「確証は持てないが、知ってそうな男はいるな」


「いるんですか!? この様な定かでない事を!?」


 突然の言葉にティオバルトは驚かざるを得なかった。己でも未だ定かであるのか疑い続けているにも関わらず、その様な事を知っているとははたしてどの様な人物であるのか。


「アウル・アルハザーダルという男がエルデュイスという街に住んでいるんだが、しってるか?」


 その名は聞いたことがある。というより、知っていて当然である。アルハザーダルは教会の下にて様々研究を行う錬金学者の一人で、怪物とまで言われる程の高度な技術や知識を多彩に生み出す稀代の天才である。

 彼が生み出したものはどれも現在の生活には欠かせないものになる程であり、彼によって世の中は僅かな間で数百年もの成長を遂げたであおうとも言われるほどだ。

 ヴァレリヤの言う通りその人物ならばあるいは手掛かりを授けてくれるかもしれない。


 だが、迷いもあった。アルハザーダルは輝かしい功績を数多く残したが、その一方では暗い噂がいくつもあるのだ。

 夜な夜な人目の着かぬ所にて得体の知れぬ神を崇めているだの、はては裏で多くの人間で醜悪な実験を繰り返しているだのと、数えればきりが無い。


「どうせ当てが無いんだろう? ならいっそそこへ向かってみるのもあたしゃありだと思うねえ」


 それもそうだろう。ならば、事を確かめるべくティオバルトも腰を上げた。


「行ってみるとします。何か分かったら、その時はまたヴァレリヤさんに相談してもよろしいですか?」


「そんなの持ち込まれても困るけどね。まあ、また来なよ」


 気楽なその一言を別れの言葉にして、ヴァレリヤは部屋を出て施設の奥へと歩を進めていく。ティオバルトも歩き出し、出口へと向かい始めた。





 外に出ると空気はとても新鮮に感じる。心の整理が着いたからだろうか。空を見るとやや暗い雲で空が覆われている。それはティオバルトの先に待ち受ける事を表しているのだろうか。当のティオバルトには分からない。


 だが、あえて進み確かめねばならない。進んだ先にあるモノをこの目で見なければならない。

 ティオバルトは感じていたのだ。今回の件を発端として何か強大な存在がその身を表すべく胎動していることを。

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