第1話 「再誕」 part4

-----ああ! 私の心は今まさに暗黒に覆い尽くされようとしている!


 光が薄れ始め、闇の気配が現れ始める中、私は周囲を警戒しながら歩き続けていた。


 歩みは何処までも慎重に行われ、得物を持った右の手は何時までも力が入り続けている。


-----不安! 恐怖! あらゆる負の感情に心が押しつぶされそうだ!


 胸の鼓動が激しくなる。その一方で、心の中は氷の様に冷えていく。


-----逃げたい! 消し去りたい!



 私の脳裏にかつての悪夢の様な光景が蘇ってくる。


 立ちこめる死臭! 床に広がった血の海! 惨たらしく悲惨した大小様々の肉片!


 ああ! それがあの時まで愛していた女性だとは未だに信じたくは無い!


 それだけに留まらず、それに寄り添う彼女との間に儲けた娘の変わり果てた姿!


 未だに忘れ去ることはできない、夢幻であれと何度願ったか!



-----寄り添っていた? はたしてそれだけであったか?


 


ああ! 一刻も早く何とかしなければ! 




 夕刻、ティオバルトはイサメラ家が使用していたという屋敷の中にいた。

 

 理由は先程聞いたテドスの話が非常に気になったためである。


 人の居ない玄関ホールの床には埃が積もり、手入れの施されなくなった内装には窓から差し込む夕日の光だけが照らしている。


 昼間に行った調査によるとイサメラ家は元からこの村に居たわけではなく、4,5年前に大都市から引っ越してきたらしい。


 商いで成功を収めていた様で羽振りも良かったそうだ。既に何もない無人の館ではあるが、芸術的な屋敷の内装や計算された様に配置された調度品から当時の様子を感じ取れる。


 玄関ホールを抜け、テドスから教えられた通りの道を進んでいく。使用人達が使っていたという部屋の廊下を突き進むと、目指していた場所への扉を見つけた。

 

 そこは屋敷の奥にある裏庭への出入り口であった。いかにも寂れた感のある扉からはひゅうひゅうと風の通る音が聞こえてくる。


 ティオバルトは扉を開け、屋敷の裏庭へと出た。第一に目に入ってきた光景は裏庭全体を囲むようにうっそうと生い茂る深い森だ。


ここイサメラ家は教会に次いで村の奥地にあり、そのためか他の家屋はほとんどない。


屋敷同様、人の手が入らなくなった裏庭はそこら中に雑草が我が物顔で地に根を下ろしている。


そしてその荒れた庭の隅、ティオバルトから向かって左奥には屋敷同様寂れた納屋がぽつんと建っていた。


おそらくあれがテドスの言っていた場所に違いない。ここに来る前に聞いたテドスの話が脳裏にありありと思い出される。


『その日、私はイサメラの旦那さんに呼ばれ屋敷へと訪れていました。旦那さんが言うには亡くなったお嬢さんの遺品をいくつか教会へ寄付に出したいそうで、そのために物を見て欲しいということでした。その時の私は大事な子の遺品をわざわざ手放すことをいぶかしみはしましたが、旦那さんの殊勝な心がけに応えようと喜んで向かいました。』

ティオバルトは荒れ放題の庭に足を踏み出し、納屋の方へと足を進める。

 

『使用人に案内されながら私は屋敷内を見て回っていました。お嬢さんの遺品以外にも寄付用の物があるらしく、私は様々な部屋へと案内されたのです。あれは5つ目の部屋へ向かっていた時でしょうか。ふと、窓から屋敷の裏庭へと目をあらゆる向けたのです。するとそこには見るからにこの屋敷の者では無い、怪しげな人影が三つ裏庭の納屋へと入って行くのが目に飛び込んで来たのです。使用人は気付かないのかどんどん奥へと進んで行きますが、私は裏庭で起きている出来事が気になって仕方なくなっていました。そこで、私は使用人を置いてこっそり裏庭へと出たのです。道中誰にもすれ違うこと無く裏庭に出た私は、そのまま納屋へと向かいました。』


納屋へたどり着き、ぼろぼろの戸に手をかける。


『そして、待っていたかの様に彼らに捕まりました。私が納屋に辿り着くや否や突然扉が開き、中へ引きずり込まれたのです。そこでは、ああ、そこでは恐ろしい光景がありました。奇怪な格好をした男達が私を取り囲み、激しく責め立てたのです。やれ神父は日頃何処にいるのだの、何時に床に就くのだの、思い返せば神父様の事ばかり聞いていました。しかし、その時の私には何故神父様の事を聞くのかを考える事は出来ませんでした。ただその剣幕に命の危険を感じ、ひたすら聞かれた事に対して答え続けるしかなかったのです。そんな問答を繰り返した後、向こうの気が済んだの私は解放されることになりました。その時に男達の一人がこう言いました。お前は我々によく協力してくれた。後の然るべき時、然るべき場所にて我々の悲願の成就に立ち会わせる。だからお前はこの事は決して人に言ってはいけない、さもなくば神の意思をも超えた真なる裁きがお前に下るのだ、と。そして、私は手伝いも忘れて屋敷を抜け出し、家へと逃げ帰りました。それ以降、私は裁きとやらを恐れ、ずっと誰にも話さずに過ごしてきました。ですがもう限界なのです! あんな恐ろしいものを見たことを隠し続けるなどと! お願いします! どうか私を助けてください、 お願いしますお願いします…』


軋んだ音を立てながら戸は開かれた。

戸口から入ってきた夕陽の弱い光が納屋の内部を照らし出す。

「……」

ティオバルトは露わになった内部に目を走らせた。

そこは乱雑に隅に寄せられた道具類が山のように重なり、その間複数人のものと思われる足跡が列を成している。明らかな人の痕跡がそこには存在したのだ。

ティオバルトは次に床を這う足跡の隊列に着目した。まるで日の光を嫌う地虫が如く、ティオバルトの立つ戸口からあまり夕日の光が届かぬ奥へと列は続いて行く。それらの行く先を目で追いかける。最初は納屋の暗さに目が慣れずによくわからなかったが、驚くべきことにそこには雑ではあるものの、大人二人は入れそうな穴が床からぽっかりと口を開けていたのだ。




 食事も終わり、用意された部屋へ案内されたティオバルトは就寝の支度と共に翌日からの行動を考えていた。今日の調査の続きに加え、クラリアから頼まれた殺人の調査も行わねばなるまい。

 しかし、殺人などという非行は断じて止めるべきであろう。ならば、明日は殺人(断定はできぬが)を主として聞き回ってみるか。


 その様なことを考えていると、視界の端に光るものを捉えた。そこには例の報告書。より具体的には報告書の羊皮紙に巻かれた紐の端に付いた飾りであった。


 おそらくこの調査に関する用件で何か新たな用件が追加されたのだろう。羊皮紙を広げてみればそれを示す文字が書かれ、2,3秒後には、まるで何者かが透明なペンで書いたように内容が浮かび上がってくる。


 この不可思議な現象はしかし、教会のそれも中央に属する者ならば当然な事であった。教会の祝福により、ペンが無くとも指でなぞることで文字を書くことができ、相手が離れた所にいても同じ所作で事柄を伝えられることのできる魔術の類かとも思える代物である。

 教会に属する優秀な者による力の賜であるらしい。


 さて、そこに書かれているのは邪教徒の新たな情報か、それともこの村の願いがやっと聞き届けられその調査の依頼か。


 だが、そこにはティオバルトの予想をことごとく裏切る、信じがたい内容が書かれていたのだ。

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