第1話 「再誕」 part3

「—————様、神父様! 大丈夫ですか!」


 その声で私は暖かな陽の差し込む部屋で目を覚ました。呼吸は乱れ、全身に不快な汗が伝っていた。


「大丈夫ですか神父様?」


 その私の顔を不安そうにのぞき込むシスターの顔があった。陶器のような白い肌とプラチナブロンドの髪が部屋の明かりでも輝くような程の美しい顔であった。


 彼女の名はクラリア。最近になって教会に勤めるようになった見習いのシスターである。慣れないながらも懸命に勤めようとする姿勢に多くの人が好感を抱く程のできた娘で、入ってからさほど月日が経っていないにもかかわらず今では教会の看板である(神職の者がこの様な表現をするのもいかがなものか、と我ながら思うが)。

 時々、何故彼女がこの教会にいるのか疑問に思う時がある。ある日、それを訪ねてみたところ、「神のお導きです!」と笑顔で返された。なんとも元気はつらつな娘である。


「…ああ、大丈夫。私は平気だよ」


 余計な心配をかけるわけにはいかなかったし、実際そうであったので言ったのだが、彼女はいぶかるような目で私を見つめ続けるのだった。


「そうは見えませんけどね。もし宜しければ神父様、懺悔でもしちゃいます?」


 今度は何処か意地悪そうな笑みを浮かべてそんな冗談めいたことを口にした。最近の彼女は懺悔室にて村の人々の悩みを聞くことが主な仕事になりつつある。その持ち前の明るさと周りからの信頼を見て役割を与えたのだ。結果としてかなり繁盛し、段々自分の神父の役割がなくなりつつあることに危機感を覚えつつあるこの頃である。


「いやいや、さっきから大丈夫だと言っているじゃないか。それよりも、神職たる者が休み過ぎたようだ。そろそろ勤めに戻らなくては」


「わかりました。そこまで仰るのであればわたしも何も言いません。ですが、神父様————」


 部屋を出ようした所で、その言葉に思わず振り向くと、そこに慈愛に満ちた聖母のような笑みを浮かべたシスターの姿があった。


「辛い時があれば、何でも相談してくださいね。神父様も人なんですから、村の人達の様に悩みを打ち明ける権利があるんですよ?」


 その笑顔は眩しかった。そして、その笑顔が愛おしいと感じていた。





 イアネラをなんとかなだめすかしたティオバルトは、ようやっとその家を後にすることができた。


 かの老婆の話は未だ頭に離れない程の奇妙なものであった。しかし、冷静になりつつある頭で考え直してみると、やはり信じがたい話である。この仕事に身を置いていると、わけのわからぬ話を聴かされる事自体は珍しくはない。

 だが、それにしては妙に真実味があった。それがより一層混乱に拍車を掛けている。



(……)



 今日の調査はこれまでにしておこう。気が付けば日も暮れ始めている。


 調査を続けるには己の状態は良くないと判断したティオバルトは、素直に教会へと戻ることにした。途中、三度目の広場に足を入れると昼間の時とは違った人々の喧噪が聞こえてきた。人だかりの奥に男と女の言い争うような声が聞こえてきたのである。


 とりあえず、外側にいる一人の男に話を伺ってみることにした。相手はこちらに驚きつつも説明はしてくれた。昨日、とある娘の葬儀があったのだが、その母親が先程に突然あたりに喚き始めたという。そして、そのまま家を飛び出し、慌てて追いかけた夫がこの広場で捕まえてそのまま口論となり、今に至るという。


「しかし、その母親に何があったのでしょうか」


「まあ、おそらく娘の死因でしょうな。何せその娘、姿が見えなくなったと思ったら変死体で発見されましたからね」


「変死体!?」


 こちらが大声をだしたのか、他の者がこちらをちらほら見た。


「ああ、失礼。ですが、そんなことが」


「ええ、ところで、服を見るに何やら一般の人ではなさそうですが」


 大事は部分に触れぬように簡単な自己紹介をすると、ならば、と無理矢理輪の中へと連れて行かれた。今後はもう少し情報を少なくした方が良いのかもしれない。

 輪の中心に近づくにつれ、問題の夫婦の言い争いは明確な形となって耳に入ってくる。


「どうしてあなたは落ち着いていられるんですか!? メリイが死んだ事に何も感じないんですか!?」


「だから落ち着きなさい!! ただ喚いていたってどうにもならんだろう!!」


「あの子は殺されたんですよ!? 落ち着いていられる母親がいますか!! あなたはあの子を愛していなかったんでしょう!?」


 その罵声を打ち消すような一つの音。夫が妻の頬を平手打ちした音だった。それから、夫は先程とは打って変わった様に諭すような口調で口を開いた。


「殺されたのかは定かじゃないんだ。余計な妄想はお前が苦しむだけだよ。今は耐えて待とう。そのうち真実を知る機会がきっと来るから」


 夫がそっと妻の肩を抱く。少し落ち着いたのか、妻はそれ以上喚かず夫の胸の中でただ涙を流し続けた。


 ここで話しかけるのに少しためらったが、ティオバルトは意を決して話しかけることにした。


「お取り込み中済みません。何かただならぬ事情がおありのようですが。…よろしければお話いただけませんか? 私は、教会の者です」


 そのティオバルトの言葉に、先程まで言い争っていた夫婦は顔を見合わせた。





 日もだいぶ落ち、ようやく教会へと戻ってきたティオバルトを迎えたのは一人のシスターだった。


「お帰りなさいませ。夕食の支度が済みましたので、ご一緒にいかがですか?」


「ありがとうございます。是非」


 初めて訪れた自分を迎えた時と同様、輝く様な髪と人なつこそうな笑顔が印象的である。

 このシスターは村で起きている事について何か知っているであろうか。その笑顔に問うことに少し後ろめたい思いがあるが、おずおずと聞いて見ることにした。


「あの、クレリア…」


「クラリアですよ。何ですか?」


 にこにこと、こちらの言葉を待っている。ティオバルトは半ば覚悟を決めて言った。


「シスター・クラリア。少し、この村についてお聞きしたいのです。先程、ある人達に会い、こう聞かされました。この村にて殺しが行われていると」


 途端、クラリアはそれまでと打って変わりひどく驚いた顔をした。


「…いったい、その話を誰から聞いたのですか?」


 話して良いのか一瞬思案したが、ここはきちんと話しておくべきだろう。ティオバルトはあの夫妻のやり取りをクラリアに話すことにした。

 話を聴き終わると、暫く思案したような後、くれぐれも内密に、とおいてから少しずつ語り始めた。かの夫婦が争うようなった理由を、この村で何が起こっているのかを。


「その夫婦の女の子、メリイさんだけじゃないんです。その、普通でない感じじゃなく、見つかった人は」


「となると、他にも似たような件があると?」


「はい、最初は三ヶ月くらい前だったと思います。その頃、村一番の木こりだったブラムスさんの家の女の子が同じ様な目に遭ってしまって。それで、その事が切っ掛けでこんな村には居られないとブラムスさん一家は村から出て行ってしまったんです」


 その他にも変死体で発見された者が続いたらしい。村の奥の方に住んでいるイサメラ家の娘、村の南にするケイネ家の娘とどうやら被害者は皆若い娘のようである。


「しかし、もう4人も出ています。普通なら教会から治安と調査の依頼を出しているべきでは?」


「とっくにお願いはしたんです。でも、なかなか調査が来なくて。てっきりあなたがその調査にいらした方だと思ったんですが」


 それは残念であったろう。ティオバルトは思わず心の中で詫びを言ってしまった。そんなティオバルトの内面など知らぬクラリアはどこかよそよそしい感じでこちらを見た

「あの、もしよろしければあなた様のお力でどうにかしていただけませんか? 村の皆の不安を一刻も早く取り除いてあげたいんです」


 ティオバルトはその言葉に調査の要請以上の意が含まれていることに気付きながらも承諾した。教会からの調査はこの上なく重要なことだ。しかし、目の前に起こっている悲劇をこれ以上出さないように努めねばなるまい。


 クラリアは申し訳なさそうな顔で詫びを入れた。


「すみません、食事前にこんな話をしてしまって」


「いいえ、こちらこそ辛い事を聴いてしまってすみませんでした」


 見計らったかのように神父が奥の方から顔を出した。


「シスター・クラリア、ここにいたんですか。ああ、ティオバルトさんもこちらに」


 急な言葉に何故か二人ともその場から飛び退いた。その様子を見て神父が笑い、つられて二人も笑った。和やかな雰囲気になったところで、三人は食堂へと向かった。




 明くる日、ティオバルトは町の広場にて道行く人を捕まえては件の殺人について聞いていた。

 

 前日の夫婦の争いに介入した事もあってか、碌な成果がなかった前日と打って変わった様に村の人々が協力的であり、この事件がいかに村にとって深刻であるかをティオバルトは改めて感じざるを得なかった。


 そんな彼等の協力を得ながら行った調査の結果であるが、現段階の時点である一つの事実が判明した。


 それは、どの被害者の遺族も事件後に間もなくこの村を去っていることである。


 前日クラリアが話していたブラムス一家は村に見切りをつけて去って行った様だが、不可解なことに大半の遺族は原因の分からぬ失踪を遂げているらしい。


 もちろんブラムス一家に倣って黙って村を出て行ったのも知れないが、ひょっとすると何らかの別の事件に巻き込まれている可能性も有り得る。だがしかし、村人の誰もが知らないという事実を知ってしまうと、そこには言葉に表せないような不気味な気配が漂って来る気がしてしまう。


 いずれにせよ、被害者の知り合いから当人達の事を察する事しか無いのがティオバルトの現状でしかなく、深く考えた所で大した成果など得られぬであろう。



 さて、様々な人の協力を得て進んだ調査であるが、その中で興味深い関係者と出会った。


 まず、ゴーシュという青年である。彼の事を知ったのは、広場で果物を売っていた初老の女性の話からであった。


 元来実直な青年であったゴーシュは被害にあったケイネ家の娘と親しく、彼女の両親とも懇意にしていたらしい。更に、彼女が亡くなる二ヶ月前からはいよいよ二人の間に新たな関係が芽生え始めた様子にさえなったそうだ。


 だがしかし、そんな睦まじい二人に待ち受けていたのはおぞましい悲劇であった。


 変わり果てた彼女を発見したのは何という運命の悪戯だろうか、他ならぬゴーシュだったのである。



「あの時は、自分が石にでもなった様だったさ」


 空ろな瞳の色を浮かべながら、ゴーシュはそうつぶやいていた。


 事件以来、激しい虚脱に襲われた彼はそれまでの仕事に一切手をつけずに起床から就寝までただ酒を飲み続ける毎日を送っていた。


 酒の量が増えるに連れて彼の心も荒んでいき、村の人々に何かと喧嘩を売り出す乱暴者にまで成り果て、その事情が事情である故に嗜める者があまりおらず、彼は次第に孤立していった。


 ティオバルトは果物売りの女性からその場所を聞き、孤独なゴーシュの酒の席に同伴していた。


「好き、だったんだ、あの娘が。最初は畑で顔を合わせるくらいだったんだけど、何時だったか、彼女が収穫したかぼちゃを運ぶのを手伝ったんだ。それからだったかな、段々仲良くなってきてさ。俺が畑仕事をしているとさ、時々弁当くれたりしたんだ」


 過去を懐かしむ様に語るゴーシュの姿は痛々しく、ティオバルトは掛ける言葉も発さずに、唯彼の話を聞き続けていた。


「いつか言おうと、ずっと、思ってたんだ。好きだって。ずっと一緒にいて欲しいって言いたかったんだ。でも、勇気が無くて、なかなか言えなくて、今日こそは今日こそはと思っても言えない自分に何度も腹を立てたりもしたさ。でも、それでもようやく言う決心が付いた日が来たんだ」


 ゴーシュは杯に力を込め、空の一点を見つめながら当時の心情を吐露した。


「その日は彼女が家になかなか帰って来なくて、手伝うよう頼まれたのもあって俺は彼女の親御さんと共に探しにいったんだ。それで日の暮れた中探しているうちにああ俺はもっとしっかりしなきゃ、彼女をちゃんと守れるようにならなきゃ、て強く思ったんだ。彼女を無事に見つけることができたら、その時こそって…」


 鎮痛な面持ちで語っていたが、とうとう堰を切った様に慟哭した。


「あああ、俺は見つけちまったんだ。地面の上に死んだアイーシャが、全く動かない、捨てられた人形みたいな彼女を俺は見つけちまったんだ! ちくしょう!何の恨みがあったんだよ! 暗くて灯りを近づけたらアイーシャが! アイーシャの顔がぐちゃぐちゃに! ぐぅ、ううう…」


 突然吐き気を堪えるためにうずくまったゴーシュに対し、ティオバルトは慌てて彼の背を擦りながら店主に水を持ってくるよう頼んだ。


「すみませんでしたゴーシュさん。どうか、どうか落ち着いて。ああすみませんマスター、水は其処にお願いします…」


 次第に落ち着いたゴーシュを見ながら、ティオバルトは哀れな青年に癒えることの無い深い傷と苦しみを与えた者に対し憤らずにはいられなかった。



 ゴーシュの話してくれた内容は大変貴重なものであった。彼の話から被害者の人物像が一つ、やっと知ることができたからである。


 その被害者の遺体状況であるが、ゴーシュを介抱した後、教会の手伝いとして村の冠婚葬祭に携わっている者の一人であるテドスという男から聞く事が出来た。

 

 本当ならば村人への聞き込み前に面会できれば良かったのだが、クラリア曰く先日の葬儀に関する雑事により忙しいらしく、仕方なく聞き込みと入れ替える形になってしまった。


 そのテドス当人によると遺体はどれも凄惨な状況だったという。何故なら、どの遺体も顔が原型を留めぬほど損壊しており、さらには後頭部に打撲による傷もあったという。


 どうやら、犯人は被害者を背後から殴打して動けなくした後でそのまま顔面の破壊を及んだようである。


 しかもその光景を目撃した人間が誰一人としておらず、それなりに計画を持って犯行に及んでいるのかもしれない。


 だがその一方で腑に落ちない点もある。人目に着かぬ所での計画的な犯行を行っていたとしたら、その後の凶行の説明が思いつかないのである。


 その場の勢いで行った様にも思えるが、しかし被害者全員に行われている事を聞くとはたして何らかの意図がある様にも思えてしまう。


 テドスにその事を訪ねてみたが、彼は慌ただしく首を横に振るだけだった。


 そのテドスの挙動を見て、ティオバルトの中で一つの疑念が浮かび上がる。どうもこのテドスという男、会った時からずっと挙動が怪しい。


 先程までの遺体の説明にしてもそうだ。話している最中しきりに辺りを伺っているし、発する声もぼそぼそと低い。


 あまりにも度を超しているため、さり気なく聞こうかと思い始めたが、その不安は相手から解消された。


 テドスは突如決意の眼差しをこちらへ向け、せきを切った様にまくしたてたのだ。


「し、神父様から貴方様が大層なご身分であることを聞いています! どの様な目的で来られていることも! 私め如きが貴方様に話を持ちかけることがどれだけおこがましい事であるかも勿論承知しています! ですがどうか、どうかこの哀れな子羊の悩みを聞いて頂けぬでしょうか!? 何卒! 何卒お願い致します!!」


 何事かとこちらが驚いている間にテドスは膝をつき、両手を組みつつ頭を垂れ懺悔をするかの様にとつとつと語り始めた。


あまりにも突然の出来事。だが話を聞いているうちに、ティオバルトには今起きている状況は何者かに仕組まれているようにも感じられる程の必然であった。

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