第1話 「再誕」 part2

 その頃、ティオバルトは村で人とすれ違う度にここ最近の事を聴き、家々を訪ねては何か不振な事はないかと質問した。

 当たり前ではあるが今の所手応えはない。

 教会から村の入り口付近へと足を進めながら、懐から羊皮紙を取り出した。横20cm縦30cm程の大きさ。そこには今回の調査についての指示が書かれていた。内容を軽く見返して再び懐に仕舞いながら、何の気無しに家々を眺める。


 このバスタ村は四方を森林に覆われた村である。木こりで栄えているようであり、先人達が材木を求めて森林の一部を少しずつ切り開いていき、段々人が集まると集落を時代とともに形成、発展させていったらしい。。

 村の家屋は煉瓦造りの教会を除き基本的に一階の木造建築であり、中央の広場を囲むようにして建てられている。

 その広場もここまで教会を訪ねる時とここまで来る時の2回横切ったが、そこでは様々露店が開かれていた。遠方から来た行商人らしき者達もちらほらいるが、大半は村付近でとれた物を売っているようであった。

 ある者は森林で発見した食物を、ある者は村からやや離れた畑で育てた作物を売り出しお互いを補う合うような形を取っている。


 先程グレリオ神父と話していた教会は広場から一番離れた場所に位置し、丁度村の一番西側にある。そこからもう少しだけ離れた所には墓地があり、村から遠ざけている印象を受ける。全体からみると入り口から民家、酒屋などの共同施設、そして教会を置いて墓地とあまり人の来ない場所を奥の方へと追いやっているような構成となっている。

 とはいえ、毎日礼拝に行くであろう教会が一番奥にあるのは少し妙な感じではある。墓地の直ぐ近くに教会がある方がこの村にとっては便利なのか、もしくはそれ以外の意味があるのか。

 そんな事を考えながら、とうとう村の入り口が見える所までやって来た。辺りに歩いている人もいないため、ティオバルトはそのまま付近の家々を訪ねることにした。

 まずは向かって右側の、一番入り口に近い家まで歩き、軽く戸を叩いた。


「…何だ」


 中から小柄の老人が、不振そうな顔をしながら出てきた。


「突然の訪問すみません。この村近辺の調査を行っているのですが、最近何か不審な物や人を見ませんでしたか」


 老人はティオバルトの服装をじろじろ見た後、素っ気ない返事をしただけであった。


「…知りませんな」


「そうですか。それでしたら他に心当たりのありそうな人はいませんか」


「そういえば、向いに住むイアネラばあさんが以前何か見たと言っていたな。話ならばあさんから聴くことですな。とはいえ、話せる状態ではないかもしれんが」


「…何故か、聴いてもよろしいでしょうか」


「ばあさん曰く悪魔の使いがどうたら、と言っていたような。それで自分は呪われている、もう外には出たくないとまで言い出す始末でしてな。まあ、行くだけ行ってみればよろしいかと」


「え、ええ、そうですね。それで、そのおばあさんのお家は向かいのどのあたりでしょうか?」


 くわしい住所を聞いてから、その家を後にした。突然厄介な話が飛び出したが、はたしてどうなるのやら。


 それにしても悪魔の使いとは。例え地方の田舎であっても悪魔の話を耳にしないものだ。それほどまでに悪魔の存在は人々の間では希薄なのである。その理由の一端として、教会の働きもある。

 以前起きたある悪魔の侵攻により、教会は悪魔の存在が人々に広まらぬようにしているのだ。邪教徒を出さぬためでもあり、何より人々が混乱しないためでもある。とはいえ、最近の事情を考えるとその効果も薄まっているといえよう。


 余計な考えだ、とティオバルトは思った。


 ティオバルトは軽く頭を振り、その考えを払拭した。ひとまずその老婆を訪ねてみよう。もしかすると邪教徒が無関係の人を巻き込むために何か行っているのかもしれない。やっとそれらしき情報が得られそうでもある。



 例の家は直ぐに見つけられた。他の家々に比べて窓という窓にはカーテンが閉まっており、人が生活している感じがない。それでも戸を叩いて人が出るのを待ってはみるが反応は無い。

 再び叩いても変化はないので、少し戸を開けてみた。先程の老人曰く外出はしていないようなのでひょっとすると居留守かもしれないと考えたためである。


 戸を開けるとはたして老婆はいた。家は玄関と居間が繋がっている造りになっており、居間は窓という窓に厚いカーテンが掛かっているために薄暗い。老婆はその薄暗い部屋の中央のテーブルに座ったまま虚ろな目を泳がせ、口元でぶつぶつと何やら呟き続けている。

 着替えていないのか身につけている服は薄汚れており、テーブルの上には汚れた食器や何だかわからぬ小物が散らばっていた。


 訪問者に気付いたのか、老婆の目がゆっくりとこちらを向いた。充血した目がティオバルトを捉える。それまで意味を持たない言葉をはき続けていた口が動き、神経質な色を帯びた疑問を出す。


「だ、だだ誰だい!?」


「イアネラさん、ですか。突然お邪魔してすみません。ある調査のために教会から来ました。よろしければ、いくつかお話させていただきたいのですが」


 そう言った途端、老婆は急に立ち上がり、部屋に響く程の大声で怒鳴り始めた。


「黙りな! 勝手に入ってくるんじゃないよ! さっさとここから出て行きな!」


 彼女の怒りは強引に訪問してきた者に対しては当然の反応であろう。

 しかしこの時、ティオバルトはこのみすぼらしい老婆の様子に妙な違和感を覚えた。彼女の態度と表情は明らかに怒りそのものなのだが、顔は引きつり動きはぎこちなかった。まるで何かに怯えていることを必死に誤魔化そうと努めているような、その様な印象を受けたのだ。


 ティオバルトは老婆の態度から調査の進展に役立つ情報を得られる可能性を感じ、なるべく刺激しないよう注意を払いながら会話を切り出した。


「無礼な訪問だった事にはお詫びします。ですが、近所の方から事情を少なからず伺いまして。もし、よろしければお話いただけませんか。私は教会の者でして、できる限りの力添えをお約束します」


 こちらの誠意がどれ程通じたかはわからない。しかし、老婆からの敵意を和らげることには成功したようだ。周囲を2,3度見回した後、おそるおそる口を開いた。


「ほ、ほんとに助けてくれるのかい?」


「ええ、必ず」

 安堵したのか、老婆はようやく自分の身に起こったことを話し始めた。

 


それは葬式が行われた日の晩だったという。その日埋葬された死者とは親しかったためか、何もする気が起こらずいつもより早く床に就いたそうだ。

 寝ている時にふと目を覚ますと、何者かの気配を感じたらしい。しかし、ベッドから出て部屋の中を見ても何も居らず、気のせいかと思いふと窓の外をみたら、あるモノが歩いて行くのを目撃してしまったらしい。



「何を見たのですか?」


 その途端、老婆は口をつぐんでしまった。その先を言うのがよほど恐ろしいのか、閉じた唇がわずかに震え、目を固く閉じ首を横に振っては先程のように小さな独り言を呟き始める。


「大丈夫ですかイアネラさん? 無理でしたなら今すぐでなくてもかまいません。話せる決心がつくまで待ちますから」


 目の前にいる老婆は、溜息を吐きながらではあるが先を話すことを承諾した。


「……いや、話すよ。黙っていても仕様がないしねぇ」


「そうですか。しかし、話すのがつらくなられましたら、止めて頂いても結構ですからね」


 老婆は続きを話し始めた。


「そのときに、あ、あ、あたしは… み、見ちまったのさ。…犬を」


「犬?」


 決心するかのように一呼吸置いてから、老婆は一気にまくし立てた。


「見たんだよ! 窓の外に! 全身が血の赤色をした犬をね! 赤かったのも当然さ! そいつは皮が無かったんだ! 皮が無くて全身の肉が丸見えの状態で平然と歩いていたのさ! しかも、しかもだよ! 最初は暗くてわからなかったけど、頭は肉すらなくて白い骨と眼ん玉だけだったんだ!! 」


 そこまで言うとそれまで押さえていたものがこみ上げてきたのか、老婆は口を手で押さえて椅子に座ってうずくまってしまった。


 老婆の予想外な告白に、ティオバルトはしばし呆然とした。数秒の混乱の後に再開はするものの、告白の内容をどの様に処理すれば良いのかさえもわからない。


 そもそも、赤い犬とは何だ? 邪教徒を目撃したのではなかったのか? いくら考えても納得のいく結論は得られず、ただ時間が過ぎていく。


 ひょっとすると、自分の知らぬ事がこの村に起きているのではないだろうか。数分の後に得た考えはただこれだけであった。





 日の沈む中、私は家路を急いでいた。


 沈んでいく陽と入れ替わるように家々の明かりが道を照らし始め、夜風に乗って食卓の香りが鼻を刺激する。

 それまでよりも一層歩を強める。今頃は家で私の妻も夕食の準備を行っていることだろう。そして、彼女の周りで私の娘が待ち遠しそうに纏わっているに違いない。

 彼女達のそんな姿を想像し、帰りを待つ家族がいるという幸せが心を満たす。仕事を終え、彼女等と共に食事を取るのが今の私の日々の楽しみであった。


 我が家が近くなると、私の体には何時しか空腹と疲労が出始めた。しかし、私はこの瞬間が心地よい。昼間の労働から解放され、家でのくつろぎが間もなく味わうことのできる喜びを全身で感じられるような気がするからだろう。

 そんな事を感じている内に目の前に我が家が見えてきた。そこから漏れる明かりは周りの家々に無い私の帰りを迎え入れてくれる明かりだ。

 その明かりを目指して私は歩き続ける。今晩は妻と娘に何を話そう。仕事で起こった事か、それとも今度家族で出かける予定についてまた話し合っておくのも良いかもしれない。


 家に着き玄関の戸のノブを掴んで開く。ただいま、と中に居る妻達に声を掛けて家に上がる。床の肉を踏みながら私は居間まで行こうとした。


 何か柔らかい感触がした。今私は何を踏んだのだ? 視線をゆっくりと足下に向けると、そこには私に踏みつけられた娘の死体があった。


「な!? え!?」


 足を上げた後娘の死体を抱きかかえ辺りを見回すと、奥にはずたずたにされた妻の死体がある。


「ケイリ!!」


 そのまま妻の元へ駆け寄るが、死体は突如液状化しドロドロの肉と内臓に埋もれた骨だけが残った。

 それに驚くのも束の間、腕の違和感に気付くと、先程まで何の以上もなかった娘の死体も同じ様なぐずぐずの肉と骨だけが私の腕に残っていただけであった。


「う、うわあああああああああああああ!!!!!!」


 あまりの出来事に身じろぐが、それだけで終わらなかった。少し後ずさった際にまた、先程の様な肉の感触が足裏に伝わったのだ。


 おそるおそる振り向くと私達の家など何処にも無く、あるのは無数の妻と娘の死体だけだった。足下の死体のような原型を留めていないのもあれば、まるで眠っているだけのような綺麗なのもあり、それらが幾重にも折り重なりどこまでも続いていた。

 目をそらし、前に向き直るもそこにも同じ光景が広がっており、私は身動きが一切とれなかった。


 その時、どこからか何かが腐ったような酷く不快な臭いが私の鼻を刺激した。臭いのする方に向いてみるとそこに、この地獄絵図でもはっきりと目立つ黒ずんだ何者かがいた。

 それはこちらに向かって少しずつ、少しずつ歩み寄って来るではないか。身の危険を察知したが、やはり足は動かない。当たり前だ。無数にあるとはいえ、誰が愛する妻と娘の死体を踏みつけて歩こうか。しかし、そんな私の思いをあざ笑うかのように、地獄の世界はより一層そのおぞましさを私に見せつけるのであった。


 まるで今までそこらに息を潜めていたのか、その黒き者は一体だけでなく、積み重なった死体をかき分けながら、2体、3体と次々に現れた。それらは始めに現れた一体目よりも素早く動き、死体を更にかき分けながらこちらに向かってきたのだ。

 もはやためらう事すらも許されない。私はそれらに背を向け、妻達の死体を踏みながら、力の限り走り始めた。一歩進むごとに罪悪感は募り、同時おぞましさに吐き気がこみ上げる。


 どれくらい走っただろうか。既に体力は限界を迎え、足が悲鳴を上げているが、後ろにはなおも追っ手が迫ってきている。体を引きずるように更に逃げようとしたところで死体の一体に躓いた。倒れるまでが酷くゆっくりと感じられた。だが、もうすぐ顔が地に達しようかというところで、私の周りには穴が広がりどこまであるのかもわからない深い闇へと吸い込まれていった。


 落ちている間に私の耳に誰かの声が入ってきた。一度たりとて忘れたことのない、にも係わらず誰であったのか思い出せない声であった。その私の疑問は直ぐに解決された。穴には底があったらしく、私は勢いよく叩き付けられた。そして、この穴の底に、先程の者達とは違う私以外の人間の気配を感じた。

 暗闇の中でその人間は静かに問い掛けてきた。


「パパ、大好き———」

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