Iblim
沼モナカ
第1話 「再誕」 part1
神は人に人を愛せよと仰られる
だが、どのように愛すれば良いのかは仰ってはくれない
私はそれでは困るのだ
愛し方が分からねば人を愛するなど永遠にできぬではないか
ああ主よ、我に愛することを教えたもう———————————
このバスタ村には特徴と呼ぶべきものはない。世間に知られるような名物はなく、大勢の人間を呼べるような名所もない。どこにでもあるような光景が広がり、いたって普通の人々が日々を営むだけである。
晴れの日には村人は外で活発に働き、雨の日には家に静かに過ごす。それが一年通して繰り替えされ、次の一年、更に次の一年もそれを繰り返すのだろう。
今日の村には小雨が降り続く。それは村人の悲しみに空が感化されたのか、静かな雨音は村一帯に広がる。雨は家々を濡らし、広場を濡らし、無論私が今いるこの墓地も例外ではなかった。墓地は村の外れにあり、村に暮らしていた人達が大勢ここで永い眠りについている。
今、ここに新たに眠る人が加わる。歳は16で美しい栗色の髪が印象的な少女だった。親孝行で柔らかな物腰に村の誰もが好意を持ち、一時はあちこちから婚約の話が持ちかけられた程だ。
だが、そんな彼女を待っていたのは早すぎる死だった。生前の笑顔も軽やかな仕草も今となっては見ることは叶わない。
少女の棺桶を囲む人々は皆泣いていた。なぜ、どうしてと嘆かれる中で棺桶は静かに埋葬され始める。
棺桶の傍ら、聖職者たる私は聖書を手に取り、口を開いた。
「主は全ての魂を分け隔て無く天にお招きなさいます。この日、天に召される清らかなる魂は、必ずや主の身許へと辿り着かれるでしょう————————」
一際大きな泣き声が響く。彼女の母親のものだった。父親は娘の死を堪えるように母親の肩を強く抱いていた。
ゆっくりと棺桶は墓穴に降ろされ、周囲に見守られながら上から土が被せられていく。
私は両親に花を添えるように指示をした。無言で頷いた父親に連れられ、花を持った母親は弱々しい足取りで盛り土に花を添える。途端、母親が今までよりもひときわ大きな声を出して泣き崩れた。父親が協力して立たせるも、上手く足に力が入らないのか父親に肩を貸して貰う程であった。
人々の悲しみの中、葬式は終わりを迎える。私の後に続いて皆が聖歌を歌い終えた後ぽつり、ぽつりと参加者は去り始める。そんな中でも娘の両親はその場に残り続けた。その様子があまりにも不憫なため、私も両親に付き合った。小雨によってか、着ている服がずしりと重く感じる。その重さを感じながら、私は旅だった死者の生前の様子を思い浮かべた。思えば、あの娘はよく教会にかよっていたものだ。同年代の誰よりもお祈りに熱心であったし、暇になっている私を捕まえてはよく聖書に書かれた話についての質問を浴びせるなど、今思い出しても変わった娘であった。
ようやく落ち着きを取り戻し始めた母親がぽつり、と私に問い掛けた。
「神父様…… 何故、何故私達の娘がこんな目に遭わなければならなかったのでしょうか。あの子は誰よりも優しかったし、とても親孝行な娘でした。私達の娘にするにはそれはもったいない程のよくできた子でした。なのに、なのに何故! あの子が何をしたんですか! どうして殺されなければならなかったんですか! あの子は、あの子は……」
再び悲しみの波が訪れてしまったか、それ以上は喋らずにただ泣き続けた。私は彼女の肩にそっと触れ、なんとかなだめようと試みた。
「人の運命は常に私達の与り知らぬ所で動いています。彼女の死もまたそうです。誰にも予測できないことでした。ですが、お母さん。それでも一つだけあなたや私がわかることがあります」
母親は泣きはらした顔をこちらに向ける。
「彼女は確実に主の元に召されたことです。彼女は誰よりも祈りに熱心でした。きっと今頃は主の身許にて多くの者達に愛されていることでしょう。ですから、祈りましょう。彼女が永久に主の愛を受け続けられるように」
私は今の自分が無力であるように感じた。もっとこの母親の悲しみを癒すことのできる言葉があるのでは、と心の何処かに疑問が湧く。
小雨は降り続ける。まるで、彼女の死という残酷な事実をこの土地に染み込ませるかのように。
葬式の全てが終わり、私は手伝いに来た村人達に片付けの指示を出していた。
その最中、背後から泥を跳ねながら近付く気配があった。振り返ってみれば、教会の方で片付けを行っていた者の一人が小雨で濡れた髪から水をしたたらせ、やや急ぎの口調ですぐに教会へ戻ってほしいと報告した。なにやら、教会から使わされた人がやって来たそうで私との面会を望んでいるらしい。片付けが終わり急いで待ち合わせである村の教会にたどり着くと、村人達用の椅子に件の人物が座っていた。
「ああ、あなたがグレリオ神父さんですか?」
そう言ってこちらを向いたのは金髪碧眼の青年で、首から下を青い装飾の施された純白ローブで覆っている。その服装を見て、私は身を固くせざるを得なかった。その装飾は教会中央に所属する者の証であり、それに加えて握手を求めに差し出された腕には動きやすさを考慮された薄い篭手で覆われており、腰から剣の柄も見えている。それは少なからずとも荒事に向いた者と示唆しているものであったからだ。
その装備を目にし、私の頭に一つの事実が浮かび上がった。
中央からの調査員。それは教会にとって芳しくない物事に対処するために動く者達であり、最近では邪教徒の調査等で良く耳にする。だとすれば、この村にて何か良くない事が起こっていることの現れでもあり、歓迎できる者では無い。
そんな私の心を知って知らずか、目の前の彼は穏やかな顔で自らをティオバルド・バルツァーと名乗り、教会の中央から調査のために派遣されたことを告げ、人目に付かない所で話をしたいと申し出た。
彼を応接用の部屋に通して私は改めて話を伺うことにした。
「先程教会からの調査とおっしゃいましたね。何もないこの村に何のご用がおありですか?」
ティオバルトは一度間を置き、それから重々しく口を開いた。
「実は… この村近辺で邪教徒の一団が潜伏しているとの報告があったのです。今回はその確認、更に可能であるならば密会の場の把握が目的です。」
あまりに唐突な内容に、私は驚かざるを得なかった。
「じ、邪教徒ですって!?」
「はい、あなたもここ最近の邪教徒の増加は存じておいでかと思います。彼らは教会の教えに背き、人目につかぬ所に集まっては邪な儀式を行う人達です。これだけでも放っておけば人心を惑わし、最悪儀式と称し罪のない人が殺され続ける事もあります。しかし、今の教会にとっては些細な事になりつつあります。なぜならある邪教徒の一派により恐るべき事態が起こりつつあるからです」
「恐るべき事態とは?」
「イブリム…」
その言葉を告げた途端、彼は後悔するかのように溜息を吐いた。一方で、私は彼が何を言っているのか理解できず呆然としてしまった。
「今、何と?」
「イブリムですよ。彼らはイブリムを復活させるとわざわざ教会に対し宣言してきたのです」
「そ、そんな! 邪教徒どもは自分達が何をしようとしているのかわかっているのですか!? あれが世に出れば最後、人間が地上から完全に消えるまで破壊のかぎりを続けるとまで言われるほどではありませんか!」
「彼らはこうも言っていました。まもなく終末の時がやってくる、人々を誤った方向へと導くだけの愚かな教会は消え、教会の教えに従うだけであった人類は一人残らずイブリムにより死に絶えると。そして、人類を葬ったイブリムは神の摂理が無くなった地上に新たな王国を築き上げ彼を信仰し続けた人間を甦らせて永遠に終わる事のない宴を行い続けるのだと」
「……しかし、何故彼らはそのような凶行に走ってしまったのでしょう。そんなことをしても自分達が恩恵を得られるとは限らないのに」
少し落ち着きを取り戻した私に対してどこか遠くを見るような目をしながら語った。
「彼らにも掲げるに足る正義はありました。元々、教会内の不正について言及し、決して教会が腐敗せぬよう監視をしていくとの名目で組織されたのです。しかし、何があったのかいつしか悪質な終末思想に染まり出し、悪魔の教えを広める邪教の集団となってしまいました」
ティオバルトはやや真剣な眼差しをこちらに向ける。
「いずれにせよ、教会としては一刻も早く彼らの暴走を止めなくてはなりません。しかし同時に、これは一般の人達には決して知られてはいけない事でもあります。ですから、神父さんもあまり公言せぬようおねがいします」
そう言う彼は立ち上がり、部屋の戸に手を掛けた。
「これから町の人達の聞き込みに行こうと思います。目撃した人がいるかも知れませんからね。では、また後ほど」
彼が去った後、私はしばし物思いにふけっていた。“イブリム”、先程の会話からその言葉が頭の中から離れないでいる。
かつてあった話である。その悪魔は突如として聖都に姿を現し、人類に対しての侵攻を行った。たった一体にも係わらず、教会が誇る騎士達を破り、逃げ遅れた民間人を殺戮し、教会の力が集結した聖都を壊滅寸前にまで追い込んだ。死者の数が当時聖都にいた人口の4分の3で済んだのが奇跡とまで言われた程イブリムによる侵攻は苛烈を極め、この戦いから生き延びた者は一人残らず正気を保てなくなったという。
だが、イブリムにより人類が滅亡することはなかった。この強大な悪魔にそれでも戦いを挑んだ一人の騎士がいたのである。彼こそが後に聖騎士と讃えられるイェルクィヒ・ハルセフィードであり、その命と引き替えにイブリムを見事打ち倒したのだ。
彼の死後、教会は彼を聖騎士として祭り、彼の名を冠した聖堂を聖都に建てた。このイェルクィヒ聖堂は今日まで人々に慕われ続けている。
しかし、彼が命を掛けてまで得た平穏が今再び脅かされようとしている。それも暴走した邪教徒達の手によって。
私は邪教徒が嫌いだ。憎しみすら覚える。何故、彼らは平和を享受することができないのか。破滅しかないのにどうして邪悪を崇めるのか。おそらく永遠に理解することはないであろう。
「…少し休むか」
本来ならば私も何かすべきなのであるが、少し気持ちを落ち着かせる必要があった。寝室に移動してから何かあれば起こすようにと書いたメモをテーブルに置き、そのまま身を横たえた。そうしているとやがて睡魔が襲い、私はそのまま眠りについてしまった。
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