第5話 雷と雨、青空に太陽
8月にしては過ごしやすい気温のせいか、
正確には俺ともうひとりで。
「それでどうだった?」
「ふん、どうもこうもないわよ。戸籍は元のままだし親権も宙ぶらりん、実際どこに住んでてもわかんないレベルよ。極端な話死んでても誰も気づかないってこと」
「マジか……」
「あんたねぇ、引き取るならちゃんと面倒みなさいよ!中途半端なことしたらブタ箱に放り込むからね!」
「ああ、分かってる」
「……ふんっ!」
「いてぇっ!!何すんだよ!」
「何でもないわよ。じゃあね」
「サンキューな」
「……別にあんたの為じゃないわよ、バカ」
カランカランと喫茶店のドアが閉まる。
テーブルには杏子が調べてくれた
口は悪いが頼りになるやつでもあるし、俺とは持ちつ持たれつの関係が続いている。一時期男女の関係になったこともあったが、今ではいい友人といったところだ。
おっと、今はそれより青空のことだ。
両親を亡くしてから親戚中をたらい回しにされた挙句、家出してそのまま。
まだ幸いなのは、暴力を振るわれていた形跡がなかったことくらいか。
いてもいなくても同じみたいな扱いだったみたいだが、それでよくあんないい子に育ったと思う。
こないだも調べてはいたが、やはりきちんと確認しとかないと気になって仕方ない。
パラパラと資料を読み終え、ため息ひとつサンドイッチをコーヒーで流し込み俺は喫茶店を後にした。
…………
家に帰ると青空はまだ夢の中の様だった。
時間的にはまだ朝の9時だから無理もないのか?
俺はさっきの資料をシュレッダーにかけてソファに座り煙草に火をつける。
換気扇に吸い込まれていく紫煙をぼんやりと眺め、隣室で眠っている青空のことを考えた。
カチャ。
「……おはようございま……ふ。千景ひゃん」
「ああ、おはよう。洗面室はあっちだぞ」
「ふぁい……」
半開きの目をこすりながら、ふらふらと洗面室に消える青空。
一緒に暮らしていて発見したのだが、青空は朝が異常に弱い。
せっかくの綺麗な黒髪もバッサバサで寝癖がひどく、顔には枕の跡かよだれのあとが大体ついている。
まぁ寝室からピシッとした格好で出てこられても困るのだが……
ぺたぺたと素足の音がして青空がソファの俺の隣に座るのだか、まだ眠たいのか、うつらうつらしている。
先日買ってきたピンクのパジャマの前がはだけて白い肌が露わになっているのを横目で見ていると、俺の方を向いた青空と目があう。
「……千景さんのえっち」
「そう思うなら少しは隠せよ」
「見たいなら言ってくれればいくらでも見せますよ〜」
「今度にしとくよ」
「せっかくこないだ買ったえっちぃやつ着てるのにぃ」
青空がうちに来てから10日ほど経つが、俺の理性はまだ大丈夫なようだ。
時間の問題なような気もしないではないが、まぁそれはそれで仕方ない。
「目、覚めたか?」
「はぁい」
「よし、じゃあ今日はモーニング食べに行ってから『雪』に行くぞ」
「モーニングは分かりますけど、朝からあのお店に行くんですか?お昼ごはんもしてるんですか?」
「うん?ああ、そうじゃなくてな。まぁ後で説明するよ」
「分かりました」
そう言って青空は部屋に着替えをしに行く。
俺は2回目の朝食になるが、青空のお腹が可愛らしく鳴っていたので付き合おうじゃないか。
『雪』にはひとりで行ってもいい、というか俺だけの方がいいのだろうが青空を置いていくのも何となく気が引けるし、あの店の常連客に青空が俺の連れだと認識してもらう方が何かと都合がいい。
それに今日は李さんの依頼もある。
先日、仕事帰りに寄って概要は
『常連客で興味のあるやつに話を回してほしい』と。
『雪』の常連客の多くは資金に余裕がある人間が多い。
会社の社長であったり会長であったり、地元の名士であったりだ。
だが、物が物だけに手を出そうと思う人間は限られてくるだろう。
俺の頭の中には数人の男女が浮かんでいるが、果たして如何程の値をつけてくれるのか、純粋に楽しみだ。
そんな事を朝食がてら、かいつまんで青空に話して聞かせる。
「千景さんのお仕事のお手伝いですね!」
「そんな大層なもんじゃないから、変に気合入れる必要はないぞ」
ふんすっと鼻息荒く両拳を握る青空はそれはそれで可愛くもある。
口元が食後のデザートでクリームだらけなのはご愛敬ということで。
「でもいいんですか?わたしが一緒で」
「うん?何がだ?」
「だって千景さんのお仕事って、えと……すごい額のお金が……じゃないですか。わたしただのアルバイトですし、あのお店も敷居が高いって言うか……」
「ははは、そんな事気にしてたのか?」
「だって……」
青空は少し不安そうに尋ねる。
「青空は
「そう?ですか?」
「ああ、それに……」
「それに、何ですか?」
「それに……まぁ何かのときに役に立つからな。あの店の常連に顔を売っとけば」
事実何かあった時のためにというのもあるが、俺としては青空を紹介しておきたいと思ったのが大部分だ。
俺は今まで『雪』にプライベートで女性を連れて行ったことは一度もない。
どうして先日青空を連れて行ったのかも俺自身分からない。
さすがにこの歳になるまで付き合った女性がいないなんてことはなく、金回りがいいこともあって不自由したことはない。
それでも俺が『雪』にパートナーを連れて行くことはなかった。
「どうかしました?」
「いいや、何でもない」
キョトンとした青空に笑いかけ俺はふと尋ねてみた。
「青空は彼氏とかはいなかったのか?」
「えっ!?な、な、何ですか?急に!」
「いや、青空ははっきり言って可愛いだろ。だからどうだったのかなって思ってな」
「可愛いって……面と向かって言われると困りますよ……」
「そうか?可愛いと思うけどなぁ」
「もうっ!わざとでしょ!千景さんっ!」
「ははは、で?どうなんだ?」
「いませんっ!お付き合いしたこともありません!」
「そうなのか?」
「……だって学校もあんまり行ってませんし、その……告白されたりはしましたけど、何か違うって言うか……」
そう言えば青空は高校2年になってすぐくらいに学校を辞めたんだったか。
「悪い、嫌なこと思い出させたな」
「いえ、いいんです。もう昔のことですから」
少し寂しそうな青空に申し訳なく、俺は務めて明るく言う。
「まぁ、ほら、今は俺がいるからいいんじゃないか?な?」
「……はい。千景さんがいるからいいです」
「お、おぅ、確かに面と向かって言われるとくるものがあるな」
「へへっ仕返しです」
ぺろっ舌を出して笑う青空にしてやられたな、と思いつつ満更でもないと思う自分がいることに少し驚いた。
朝食を摂った後、街をぶらついてから『雪』に向かう。
昼間のこの時間はまだ営業していないが、駐車場には何台かの見慣れた車が停まっている。
コンコン。
「お疲れさん、差し入れだ」
「え?雨宮さん?あ、ありがとうございます」
車で待機している奴らに缶コーヒーを差し入れてから俺は青空を伴ってのれんをくぐり、前回とは違う正面入口から店内に入る。
「ほわぁ……」
「どうだ?こっちが本店の『雪』だ」
「すごいです……」
先代、つまり月子さん姉妹の父親が拘り抜いて作ったロビーは木の暖かさ溢れる空間だ。
桐や樫を贅沢に使い熟練の職人が精魂込めて造ったエントランスに、小さいながらも侘寂を感じさせる庭が風情を醸し出している。
初めて訪れる客の大半がここだけで満足してしまうと言われているくらいだ。
かく云う俺も感動してしばらく立ち尽くしたものだ。
青空も口をぽかんと開けて固まっている。
「いらっしゃいませ、雨宮さん。それに青空さんでよろしかったかしら?」
「ああ、耀子さん。お邪魔します」
奥から出て来たのは月子さんの双子の妹、耀子さんだ。
月子さんが名前の通り月の光だとすると、耀子さんは尺詰太陽といったところか、同じ和服姿でも若干明るめの色を好んで着ている。
ただあちらにいる時は耀子さんも落ち着いた色調の和服を着ていたりするので、よく間違う客がいるのを楽しんでいたりする。
「……えと?あれ?あの……藍澤 青空です?」
「ははは、彼女は
「はいっ!ホントにそっくりなんですね!驚きました」
「うふふ。皆様そう仰っいますけど、本人達はそれ程似てるとは思ってないんですよ」
青空がちょっとテンパってるのが見ていて可愛らしい。本当に表情豊かな子だ。
簡単な自己紹介を済ませ、俺達はカウンター席に座る。
本店にはこのカウンター席12席とボックス席が4つ、それに個室が15部屋ある。
「ふふっ」
「ん?どうかしましたか?」
御品書きと難しい顔でにらめっこしている青空に説明をしてやっていると、耀子さんが付け合わせを出してくれながら笑う。
「いえ、雨宮さんが女性の方をお連れになるとは思いませんでしたので」
「俺もそう思ってますよ、何故なんでしょうね?ははは」
「さぁ?
「月子さんが?」
「ええ、だって姉は……ふふふ」
耀子さんはそう言って含み笑いをし厨房へと戻っていった。
月子さんがね……そういえばそんな事もあったか……
「千景さんっ!さっぱり読めません!これ日本語ですか?」
「くくくっ、歴とした日本語だぞ。まぁ達筆すぎて青空には読めんわな」
「……むぅぅ、勉強します」
どうやら青空は御品書きに夢中で先程の耀子さんとの会話は耳に入らなかったみたいだ。
俺は何となく胸を撫で下ろし、今日来た本題に入るべく耀子さんが厨房から戻るのを待つことにした。
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