我儘を。

「なにか思ってることがあるなら言いなよ!」

 彼女が声を荒げたのは、ふいにであった。左目の端が血走っていた、黒目がちのくっきりとした目である。肩までもが弾みだすと、どろりと溶け出すように雫が垂れた。

「私は別になにも……」

「そんなことないから言ってるんだよ!……いっつもどこか遠いような目で、いっつも遠いような位置から、あたしのすることにただ微笑み返してるだけじゃん!」

「私は君が幸せそうなのを見るのが幸せなんだ……」

「だったらさ、ちゃんと言わなきゃだめだよ……どう見えてるかって、どう可愛いのかって、どう好きなのかってさあ……!」

「申し訳ない……私は酷く不器用だから……。独りで幸せになることは容易いというのにね、全く、他人と幸せになるというのは、全く、わからない……」

「もっとさ、素直になってよ、思ってること、もっと口にしてよ……なんでそんなに疑り深いの?……なんでそんなに考えてからじゃないと物が言えないの?……なんでそんな我儘ひとつも言えないの?……」

「我儘……?……してはならないと、教えられたからね。一縷の綻びもあってはならないと、そう教えられたからね」

「あたしだって君の我儘を聞いてあげたい!……君のためになりたいのに……」

「君は十分に私のためになっているよ。私を孤独から救い出して、見える世界を色づけてくれたではないか。私は、我儘だよ。私みたいに他人を楽しませるようなものを碌に身に着けてこなかった人間に寄り添って、大仰に笑んでくれるのだからね」

 彼女はその場で蹲ると、しとどになった睫毛があたかも瞳の見開かれたようであって、一抹の強かさが感じられた。

 とっぷりとした夕闇に湿気た風が、香水の中に生臭さを引っ掛けて、私へと流れ込んでくるのであった。


 胸の底が、しゅるしゅると音を立てて綻んでしまうようであった。

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