第266話 華麗なる回避
「ふう。凌いだ。凌いだ」
数々のアプローチをかわしきった俺は安堵の息を吐きながら風呂に浸かっていた。いやあ、レーベンストックにも風呂があるなんて嬉しい驚きだ。
セコイアの邪魔も入らず、ペンギンと二人でゆったりとした時間を過ごしている。飲み物を持ち込んで一杯やってもいいかな、なんてね。
ペンギンはといえば、のぼせたのか岩風呂の淵に立ち顔を上にあげてボーッとしている。
俺も真似して背中を岩にあずけ、空を見上げた。
屋根がない浴室はキラキラ瞬く満点の星空を余すことなく楽しめる。
都会の喧騒から離れ……少し違うか。バーデンバルデンはこの世界基準で言えば十分な都市部だ。ネオンの光が溢れる日本の町と一緒にしてはいけない。
どうもペンギンといると、日本のことを思い出す。あれからもう20年以上。俺が死んだ後の日本は……いや、家族はどうなったんだろう。
家族の顔を思い浮かべたら、珍しく強い望郷の念が胸を満たす。
両親は健康に過ごせているだろうか、大学生だった妹はもう結婚して子供が小学校や中学校に通っていたりして……。
「あああ、いかん」
死んだ者が生きている人を偲ぶなんておかしな話だよ。
ペンギンのボタンのような目がつうっと動き、嘴をパガンと開く。
「珍しい顔をしているね。故郷のことでも思い出したのかね」
ドキリとした。全て見透かされているようで。だけど、悪い気はしない。
上を向いたまま、額に手をやり汗を拭う。
「いや、俺の故郷はローゼンハイムだから。最近行ったばかりだし、ネラックの方が好みだな」
「ふむ。私はね、ヨシュアくん。不思議と残してきた日本の家族のことは思い出してもこれといった感情は湧かないんだ」
「これといった……というのは会いたいとか、そういうやつ?」
顔を正面に向け、可動域が広い首をブンブンと縦に振るペンギン。
「何故なのかは分からない。私は死の直前まで確かに妻と息子、娘を愛していた。家族も私のことを嫌っていたわけでもなく、爪弾きにされていたということもない。仕事を引退し、悠々自適の生活を送っていたさ」
「俺もそうなりたい……」
「ははは。ヨシュアくんにはまだまだ先の話だね。死が私と家族を分ち、もう二度と彼らに会うこともない。だが、それでいいと思っている」
「俺もだよ。地球の俺はもう生きてはいない。何故か記憶だけ持っているけど、この体はこの世界の人間と呼ばれる種族のもので生物学的にも地球の人類とは異なるし」
「何かと理屈をつけるところが君らしい。少しは気が紛れたかね」
パチリと片目をつぶり、右のフリッパーを半ばで折って上にあげるペンギンに向け、頷きを返す。
前世の家族のことは納得しているつもりだ。きっとこの先も思い出すこともあるだろう。
それでいい。それが俺だ。
スッキリしたところで、別のことが気になってきたぞ。
地球とこの世界の人間の見た目は酷似している。だが、確実に別種のはず。遺伝情報を調べればハッキリ分かるのだが、地球側のサンプルもなければDNAの検査手法なんぞどうやるのか皆目検討もつかない。
「調べることは不可能だな」
「調べられますか?」
「エ、エイルさん!」
「何度かお呼びしたのですが、反応が無く、もしかしたら……と申し訳ありません」
いつの間にかペンギンの真後ろにいたエイルの姿にビックリした。桜色のワンピースを着た彼女はいつも通りなのだけど、湯船に浸かるこちらはもちろん全裸だ。 ペンギンはどこでも全裸なので変化はない。
「湯船のある風呂がバーデンバルデンでは珍しいのでしょうか」
「はい。中には寝てしまって溺れる方もいらっしゃると聞いていたもので」
風呂で溺れるとか、そこまで俺はお間抜けじゃないぜ。気絶したことはあった気がする。だけど、湯船の中じゃない……と思う。
「ありえないっしょー」なんて心の中で首を横に振っていたら、両手を太ももの間に挟んだエイルが何やらモジモジして頬を桜色に染めていた。
トイレかな?
できる俺はさりげなく彼女へ退出を促す。
「ペンギンさんもついていますし。万が一にも溺れません。ご安心下さい」
「そ、そうですよね。あ、あの、ですね」
言葉遣いがいつものエイルらしくない。余程焦っているのか上品な感じではなく、気さくな言葉遣いになっていた。
なんだろうと続きを待っていると触覚をくたっとさせた彼女が続きを話す。
「そ、それで。あの。調べ、ますか……?」
「調べる……え、えっと」
「つ、つい。勢いで口走ってしまいました。決して嫌ではないのですが、いざとなると気恥ずかしいといいますか」
「何を調べさせてくださるつもりだったのですか……?」
「人間との違い……をとかおっしゃってませんでしたか? 私の触覚と翅をと思ったのですが」
「興味が無いわけではありませんが、お、お気遣いなく……」
どこをどうやったらうまれる勘違いなのか、激しく問い詰めたいけど、紳士な俺は引きつった笑みを浮かべることでこの場を濁す。
種族も国も異なる人相手だと、時に思ってもみない勘違いがうまれたりするのだ。
平和的な事柄なら笑って済ませれるが、不穏なものだとそうはいかない。
改めて異種族、異国の恐ろしさを痛感する俺であった。
「確かに興味深い。ペンギンの私が言うのもなんだが。どうも人間を見るような目で人を見てしまう。ヨシュアくんもそうではないかね?」
「まあ、そうだな。こればっかりは仕方ない。俺が人間だからどうしても人間としての色眼鏡になる」
可愛いとかカッコいいなんてことはともかく、一番戸惑ったことは年齢だよ。
今となっては誰が何歳だと聞いても、ふうん程度なのだけど、最初はそうじゃなかった。
平均寿命だって人間と他の種族じゃ大きく異なる。
エイルは人間基準で言えば15歳には届かないくらい。だけど、彼女はアールヴ族の族長という立場なのだから、成人済みなんじゃないかと思う。
涎にしろゲ=ララにしろ、どれだけ生きているのか分からない。
「人間から見ると、私たちアールヴ族はいかがですか?」
「え、えっと。どなたも可愛らしい、といった感じです」
突然のエイルからの投げ込みに素で応じてしまった。
「可愛らしい、褒めていただきありがとうございます。人間から見ると私たちは幼く見えるのでしょうか」
「若々しく見えます」
苦しい。今の言い方は苦しい。
攻守交替。今度は俺が戸惑う番になった。
エイルから見ると、俺は逞しい方らしい。自分で言うのもなんだけど、俺のひょろさは一級品だぞ。
アールヴ族は女性のみの種族で、子供が生まれると女子ならアールヴ族に。男子なら結婚相手の種族になるんだって。
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