第267話 無理です。死んでしまいます

 最後はドタバタした風呂タイムも終わり、さっぱりしたところで寝る……のはまだ先だ。

 大公ってやつは朝から晩までお仕事があるのだよ。勤務時間って何?ってやつだ。

 公人でもプライベートタイムをきっちり定めたい。それを言ったらエリーたちだって俺が寝た後でも仕事をしていることがある。

 彼女らに働かせておいて俺だけが休むわけには……分かってるさ。この考えこそが悪なのだと。定められた時間は休む、緊急事態は別にして、とキッチリ決めて、俺自身が実行せねば何も変わらん。部下だと命令すれば強制的に変えることもできなくはないが、俺に上司はいないのだ。ち、ちくしょう。今に見てろよ。


 そんなわけで、お仕事に行ってもらっていたルンベルクの到着を待つ。事前に伝えていたこともあり、この部屋は広過ぎなくてよい。

 ちゃんと応接できるよう、テーブルとカウチ、ソファーが準備されているのも高評価である。


「ヨシュア様」


 こんこんと扉を叩く音がして、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。ルンベルクの低く渋い声ではなく、凛とした落ち着いた声……エリーだな。

 「どうぞ」と応じると、エリーが扉口で深々と礼をする。


「ルンベルクから何か聞いてきた?」

「はい。『お待たせして申し訳ありません』とアルルを通じて伝言がございました」

「分かった。こっちは待ってるだけだ。特に用事があるわけでもない、と言ってもルンベルクに伝えに行かせるのも気が引ける」

「ご安心を。ルンベルク様の所在は申し受けております」

「同じ街の中だ。迷子になるわけでもないし、特にエリーからは動かなくてもいいよ」


 柔らかな声でそう言うと、エリーの眉がピクリと上がった。

 今度は扉ではなく窓からバンバンという音が。


「アルル!」

「えへへ。エリーが報告、するって。でも、心配で」

「俺が?」

「ううん。ヨシュア様はエリーが、護る。わたしはどーんと」

「アルル!」


 エリーがアルルの名を呼び、彼女の声を遮る。

 まあまあと二人の間に割って入ると、アルルが俺の腕の裾を掴み、潤んだ目で見上げてきた。

 そんな顔をされたら、聞かないわけにはいかないじゃないか。チラリとエリーを見やると、頬を染めて俺から顔をそらしてしまう。

 な、何事……。


「一体どうしたんだ?」

「方向は分かってる、の。アルルが感知できるから」

「ルンベルクのことだな」

「うん。でも……」


 アルルがエリーに顔を向け、口を結ぶ。彼女のことを気遣っているのだな。


「何をしようとしていたのかは聞かないよ。ルンベルクへの伝言はいらないから」

「はい! アルル、目がくるくるしちゃうから」


 言ってるやんけ!

 聞かないと言った意味が無くなってしまったあ。いや、ここでこの先を突っ込まねば誤魔化せるか。何となくエリーとアルルが何をしようとしていたのか察しがついた。

 ここで話は終わりだよ、とアルルの頭をポンとしてにこやかに微笑む。

 正直、喉元まで出かかったものをあえて飲み込むのは酷だ。だけど、ここはエリーの名誉のため、紳士的に振る舞おうじゃないか。


「お待ちの間、飲み物をお持ちいたしましょうか」


 妙な間があった後、エリーが冷や汗を流しつつ普段のように振る舞う。


「そうだな。ありものですぐ用意できるものを頼む」

「畏まりました」


 パタリと扉が閉まり、残されたのは俺とアルルの二人だけ。

 俺の中の悪魔が囁いた。今なら聞ける、と。


「つかぬことを尋ねるが」

「つかぬ?」

「あ、いや。アルルはどうやってルンベルクの元へ行こうとしていたんだ」

「あっち」


 窓の外を指さすアルルにハテナマークが浮かぶ。何のことやらまるで想像がつかん。

 ん、待てよ。


「まさか空を飛んで?」

「うん」

「エリーは魔法も達人なんだな」

「ううん。エリーは魔法、使えないよ」

「はて……アルルは空を。エリーは?」

「投げる」

「……聞かなかったことにしてくれ」


 まさかの物理。一体どれくらい投げ飛ばすのか。猫族のアルルなら、高いところから落ちてきても華麗に着地できる……よな。

 俺だと潰れたトマトになる。ベチャっとな。

 戦慄する俺に対しアルルは平静そのものだ。むしろ、蒼白になった俺を不思議がっている節まである。


「ヨシュア様も?」

「無理です。死んでしまいます」

「アルル護るよ。ヨシュア様は死なせない」

「お、おう。ありがとう」


 ガチャリ。

 その時丁度扉が開く。エリーが戻って来たああ。

 聞かれてないよね? 驚きの移動方法にヨシュアさん、さっきから股間がキュッとして。


「ヨシュア様を投げるなんてとんでもございません!」

「そ、そうか。ご、ごめん」


 しっかり聞こえていたらしい。悪いことをしたな。

 無表情でコトンコトンとカップを三個置くエリー。ちゃんと自分達の分も持ってきているのは俺が日頃から頼んでいる賜物である。

 最初はメイドが、なんて言っていたのだけど、何度もお願いするうちに何も言わずとも持ってくるようになってくれた。

 

「ま、まあ。座ろうか」


 さっきからチラッチラッとアルルがこちらを見ては視線を戻すことを繰り返している。

 ここは俺がちゃんと言っておかないと、後でアルルがエリーに怒られちゃうかもしれないか。

 

「エリー」

「は、はいい!」


 エリーが何故かびくっと肩をあげる。急にうつむき、ぶしゅうと頭から湯気が出そうな雰囲気だった。

 一体彼女の中で何が……。戸惑っていると彼女からボソボソと喋り始める。

 

「そ、その、ヨシュア様ならば、私が、そ、その、ちゃんと、だ、抱きしめて、跳躍しますうう」

「ルビコン川を渡った時みたいに?」

「そ、そうです! ヨシュア様のためなら、いつでも、何でも飛び越えてみせます!」

「あ、ありがとう」


 ルビコン川の時は驚いた。急な浮遊感とエリーの細腕に現実感がなく、あっという間に向こう岸だったものな。

 それから1時間たたないうちに、ルンベルクが部屋を訪れる。

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