第193話 砂糖

「ん、んん。紅茶じゃないか」


 飲んでから初めて気が付くダメな俺であった。

 対するエリーはにこやかに微笑み、応じる。

 

「はい。公国から仕入れた紅茶になります。行商人とも取引をはじめましたので、是非にと少しだけ頂いたものです」

「好意でというのはありがたい。次からはお金を出して購入してもらえるか?」

「承知いたしました。私の行いがよろしくなかったのでしょうか……」

「いや。好意というものはありがたいものだから、プレゼントを受け取るのは悪いことじゃないよ」

「よ、よかったです」

「うん。だけど行き過ぎないようにってことなんだ。俺の立場は一応この国のトップじゃないか。だからこそ、ちゃんとお金を払って示したい。辺境国は商人にとっても広く開かれた国なんだって」

「はい!」


 そうだった。貨幣経済を開始してから、碌に街へ繰り出していない。

 空からチラッと見た感じ、俺の思い描いた広場の様子になってきている……と思う。

 露店が立ち並びはじめ、たぶん大通り沿いを歩くと食べ物のいい匂いが漂っていたりするはず。

 そうだなあ。待ち時間もあることだし、街へと繰り出すのもいいな。

 なんて思っていたら、突然エリーが立ち上がる。さああっと血の気が引いた彼女は手を口に当て、ぶるりと首を振った。

 一体どうした? 敵襲……ってことはないよな。

 この反応は猛獣が来た時のものじゃないと思う。危機が迫った時の彼女の顔は引き締まり凛々しくなるんだ。

 巨大カタツムリの時、そうだったもの。

 

 どうしたのかなあ、こちらから声をかけるかと口を開いた時、突如エリーがガバッと頭を下げた。

 余りの勢いに長い艶やかな黒髪もばさーっと動く。

 

「ヨシュア様! 申し訳ありません!」

「一体どうしたんだ、まずは説明してくれないか?」

「も、申し訳ありません。動転しており」

「ゆっくりでいい。命にかかわるようなことじゃないんだよな?」

「はい」

「だったら、まず深呼吸だ。胸に手をあて、ほら」


 自分の胸に手をあて、大きく息を吸いこみゆっくりと吐き出す。

 するとエリーも俺の真似をして胸に手を当て、力一杯息を吸いこみ、一気にふううと息を吹き出した。

 力が入り過ぎだろ。胸に当てた手が沈み込んでいるし。息を吐くのが早すぎだ。

 落ち着けえとばかりに、両手でどうどうとするが、余計に彼女を焦らせてしまった様子。


「大丈夫だ。危険が及ぶものじゃなかったら、別に謝るようなことじゃない。な」

「お、お手を……」

「あ、ごめん。つい。子供っぽい扱いをしてしまって、すまん」

「いえ……ご褒美です。私、大きなミスをしたというのに……」


 人を落ち着かせる、と考えて頭を撫でるか抱きしめるしか思いつかない俺は、小さな子供をあやすくらいしかできないだろうな……。

 ルンベルクやバルトロ……いや、ここは仮面の紳士リッチモンドに尋ねてみようかな。

 年の功もあるし、いろいろ人生経験が豊富そうだもの。ルンベルクもよいんだけど、固すぎて俺には参考にならないかもしれないからね。

 バルトロは連日空の上だから、今はそっとしておいてやりたい。

 

「落ち着いたか?」

「え……は、はい」


 彼女の頭から手を離す。じーっと俺の手を目で追うエリーにたははと苦笑してしまう。

 よし、先ほどまでの青ざめた顔がなりを潜め、頬が紅潮しているし、すっかり落ち着いたようだな。

 やり方は彼女にとって良くなかったかもしれないけど、落ち着けたので良しとしてくれ。


「話してもらえるか?」

「は、はい。お砂糖をお持ちするのを忘れたのです」

「そ、そんなことで。でも、ガーデルマン領の商人がわざわざ砂糖を持ってきてくれたのか」

「い、いえ。そうではありません」


 はて。砂糖は公国内じゃ生産していない。

 公国の気候はサトウキビを育成するのに向いていないからだ。

 砂糖の産地は遥か遠く、帝国の西にある都市国家連合になる。レーベンストックの一部でも栽培しているとか聞いたこともあるけど。

 ん、パタパタと机の上に登ったペンギンが何やらアピールしている。


「ヨシュアくん。砂糖はここで作った……いや、育成したものだよ」

「へ?」

 

 あ、ああああああ!

 まさか。成功したのか?

 砂糖イナゴだよ。養殖しようと砂糖イナゴとレーベンストックから協力者まで来てもらってここで研究していた。

 辺境国からも興味ある人を募って、鍛冶場の近くに実験棟を用意したところまでは把握していたのだけど……その後どうなったのか見に来ていなかったな。

 そうか、砂糖イナゴを増やすことができたのか。

 

「まだ成功したとは言い難いとヴァンさんが」

「砂糖があるってことは、一応、砂糖イナゴが増えたんだよな?」


 補足してくれたエリーに向け問いかける。

 彼女は一呼吸置いてから、目だけを上に動かした後、コクリと頷きを返す。

 迷うような彼女の仕草を考えると、何とか一世代目を二世代目に移行させることができたってところかも。

 でも、死滅させることなく次世代に繋ぐことができたんだとしたら、素晴らしいことじゃないか。

 

「ヴァンたちは頑張ってくれているんだな。一度挨拶くらい行きたい」

「多少増えはしたものの、大きな籠の中に草を植え、天敵に食べられないように見張ってやっと、とおっしゃっていました」

「なるほどな。養殖というにはちょっと、というところか。だけど、それでも増えたんだ。喜ばしいことだよ」

「はい! すぐに砂糖をお持ちします。カンパーランドシロップもございます」


 パタパタと部屋から出て行ったエリーはお盆に砂糖、カンパーランドシロップ、クッキー、紅茶ポットを乗せて戻って来る。

 小麦、大麦も収穫できるようになっているし、お茶も栽培を始めたと聞いた。

 といってもキャッサバがメインであることには変わりない。辺境国のカロリーを支えるのはキャッサバなのだ。

 キャッサバパンは辺境国のソウルフードになっていくだろう。

 でもクッキーなら小麦だよ、うん。

 

 ポリポリ、うん。メープルがほんのり甘くておいしい。

 さて、砂糖だが。

 ほうほう。黒砂糖みたいな琥珀色といえばいいのか。

 指に少し付着させて舐めてみる。


「お、甘い。砂糖そのものだなこれ」

「はい。風味も味もサトウキビそっくりです」

「だよな。レーベンストックでご馳走になった時も同じような感想を抱いたよ。すごいな。辺境国でも同じものが」

「はい! ヴァンさんらの努力の賜物です」


 二人で顔を見合わせ微笑み合う。

 その横でペンギンがバリバリと嘴でクッキーを砕き、ぼろぼろこぼしていた。

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