第178話 閑話.ヨシュア追放後のルーデル公国 171日目 その1

 ――ルーデル公国 ローゼンハイム 公宮

 騎士団長と副長は硬く口を結び、公宮の回廊を進む。途中、文官とすれ違うが軽く会釈をするだけで、何も言葉を発しようとはしない。

 無骨な副長はともかく、気さくで人望厚い騎士団長は誰に対しても挨拶をするのが常だった。しかし、公宮に帰還した彼はいつもと様相が異なる。

 彼は時折立ち止まり血が出るほどに拳を握りしめ天を仰ぐ。

 ただらなぬ彼の様子にいつしか影から彼を見やる文官の数が増えていった。


 公宮の議場へ入った騎士団長と副官は横に並び敬礼する。

 二人の顔には鬼気迫るものがあった。


「騎士団長。騎士団の帰還に安堵しております。よくぞ、お戻りになりました」

「部下が数名やられました。大臣方はお揃いか?」


 唯一人を除き起立した大臣たちを代表してグラヌールが深く頷きを返し、引き続き騎士団長に応対する。


「はい。揃っております。枢機卿もおいでです」

「騎士団長、久方振りですな。聖教にできることがあれば協力する所存です」


 会釈するグラヌールに続き、枢機卿が指先でひし形を切った。

 対する騎士団長と副長も枢機卿のように指先を動かす。

 騎士団長は未だ着席したままのオジュロ伯を含め、集まった面々へ順に目を移す。

 ところが、彼の目には最重要人物といえる者が映らなかった。


「聖女様はまだおつきになられていないのでしょうか?」


 そう、騎士団長の疑問にある人――聖女が議場に姿を見せていない。


「聖女様は大聖堂から離れず、昨日より祈りを捧げられておられます。騎士団の帰還、領民の安息を願い」

「そうでしたか。痛み入ります」


 自分を含めた騎士団のために祈りを捧げていると聞いて、これ以上何も言えるわけがない。

 騎士団長は、そう返すしかなかった。

 聖女はあくまで聖女としての使命を全うしようとしている。彼女は神の巫女であり、俗世から切り離された存在なのだと彼は改めて思う。

 その在り様は尊い。

 しかし、人として現在公国が置かれた状況が気にならないのだろうか、とも彼は思った。

 詮なきことか……首を上にあげ元に戻した彼は厳かに口を開く。


「報告します。ザイフリーデン領全域はモンスターの楽園と化しています。領都まで決死の突入を致しましたが、領都前で引き返しました」

「それは、領都が魔物達に?」

「はい。領都の空に暗黒の飛竜が何体も舞っており、これ以上進むのは危険と判断しました」

「では、ザイフリーデン伯と領都の民は……」

「恐らくは……ですが、話はザイフリーデン領だけに留まりません。その前にザイフリーデン領の状況報告を」


 騎士団長は淡々と述べる。

 ザイフリーデン領に魔物が集まって来ていること。おぞましいことに空腹からか、魔物同士が喰いあい地獄のような光景を至る所で見たこと。

 領都に近づくにつれ、魔物の密度があがり奥地でしか見られないようなモンスターまでも闊歩していたこと。

 

「……伝説に聞く災厄の魔窟のようですね……」


 静かに語り終えた騎士団長に向け、バルデスがかすれた声で感想を漏らす。


「綿毛病の爪痕はまだ、公国に色濃く残っております。オジュロ伯のご活躍で難を逃れたものの、公都はともかく地方は未だ綿毛病に苦しむ者がいるというのに……」


 グラヌールが頭を抱える。

 神は公国にどれほどの苦難を与えるというのか。

 続いてガタリと両膝を付き、祈りを捧げる枢機卿が嘆く。

 

「おお。神よ。予言と神託はやはり成就するというのか」

「予言と神託ですか……ヨシュア様が辺境へ向かうことになったあの」

「安寧はここにはないと言う言葉の示すところは、魔窟のことだったのではと」

「……そうかもしれません……」


 枢機卿とグラヌールのやり取りに対し、騎士団長は目を細める。

 枢機卿は嘘を言ってはいない。自分の「嘘発見」のギフトがそう告げているのだから。

 彼は心から予言と神託の示す真実がザイフリーデン領の悲劇のことだと信じている様子。

 それならば何故、ヨシュア様を追放しなければならなかったのだ。

 ヨシュア様は既に辺境を繁栄に導いていると人づてで聞いた。正直、ヨシュア様ならばこの国難であっても易々と道を示してくださるに違いない。

 しかし、今更、我々がヨシュア様に戻って来て欲しいなどと言えるものか。

 かのお方は辺境で領民を抱えておられる。

 心中で嘆いた騎士団長は無意識に指先でひし形を切っていた。

 その仕草に彼はギリリと口惜しさから歯ぎしりする。

 神に助けを求めるとは、自らの道は自ら切り開かねばならん。オジュロ伯を見ろ。

 彼は神に縋ることなどなく、自らの力で綿毛病を解決して見せた。

 右手を握りしめ、血が滲む。

 

「致し方ありません。ザイフリーデン領に続く街道を閉鎖いたしませんか? 近隣の領民には危急を伝え、ローゼンハイムより南に避難させましょう」

「……閉鎖する地域はどの辺りを想定しておりますか?」


 バルデスが案を述べた騎士団長に問いかける。

 

「公国北東部を全て。まずは街道から。続いて、隙間を塞ぐように長壁を」

「な、なんとか費用と人員を選出できるように動きます。枢機卿にもお願いがございます」


 今度は経済担当のグラヌールが騎士団長に応じた。

 彼は片膝を付き枢機卿を仰ぎ見る。

 聖教における最高位は聖女であることは確かだが、次席は帝国の皇帝で、その次に来るのが各地にいる枢機卿だった。

 聖女と枢機卿は共に聖教における実力者である。

 しかし、立ち位置が全くことなるのだ。

 公国東北部全土となると、封じられている貴族はザイフリーデンだけに留まらない。凡そ半分は公国直轄地であるが、残り半分はザイフリーデン領を含む貴族の領地なのである。彼らに領民を連れて退去せよなど、ヨシュアであっても難しい。

 そこで、枢機卿だ。

 

「枢機卿。聖意として、通達することを検討頂けませんか? 騎士団長の情報によりますと急を要します」

「すぐに動きます。ご存知のことですが、聖意は枢機卿三名以上の同意が必要になりますので」

「迅速な対応、恐れ入ります。どうか」

「では私はこれで。すぐに帝国へ向かいます」

「北西部の街道をお使いください。ヨシュア様が整備してくださった道です」


 無言で頷きを返した枢機卿は指をひし形に切り、この場を辞した。

 彼が去った後、無言の時が続く。

 誰しもが影を落とし、うつむいていた。


「騎士団から監視を行う者を抽出します。ローゼンハイムの警備兵、更には冒険者からも希望者を募ります」

「ローゼンハイムは未だ健在……です。大臣方、我々文官にもできることは多数ございます。動きましょう。一丸となり、国難を乗り切ろうではないですか!」


 顔をあげたバルデスが笑顔を見せる。

 続いてグラヌールが、更に他の大臣らが口端を上げた。

 この後すぐに彼らは解散し、それぞれが動き出す。

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