閑話1 ヨシュア追放後のルーデル公国 四日目

 閑話1 ヨシュア追放後のルーデル公国 四日目。


 ルーデル公国公都ローゼンハイム――。

 ルーデル公国の要である公都ローゼンハイムは公国の中でも最大の人口を誇る。

 その数、なんと20万人。この数は隣国の都市国家であり世界最大の人口を誇る港街ジルコニアの半分近くに及ぶ。

 ローゼンハイムは海から離れた土地にある都としては、有数の都であることは誰しもが認めるところだ。

 ところが、繁栄を謳歌していたローゼンハイムに暗雲が立ち込めはじめていた。

 中央商店街ではこれまでと同様の賑わいを見せていたが、「ルーデル公爵追放」の噂は誠しやかに囁かれていたし、衛兵も浮足立っているように見受けられた。

 大混乱をきっし、最も如実だったのは公国の政治中枢である。

 ヨシュアが消えてから日に日に彼の部屋の前に並ぶ行列は長くなっていた。

 

「ルーデル公爵! 公爵様はおらぬのかああ!」

「公爵様、こちらの書類に……」

「私が先です! 公爵に農業政策についてご相談がと先だってお約束をしておったのです。やっと今日、お会いできる日なんです!」

「それでしたら、私の方が! 私なんて昨日のお約束でまだお会いできていないのですよ!」


 不敬だと理解しつつも、文官たちはヨシュアの部屋の扉を叩く。

 だが、部屋の主はもういない。

 聖女の手の者からヨシュアが追放刑になったことを彼らは聞いていたが、それでも尚、彼らはヨシュアを頼った。

 

 コツコツコツ――。

 その時、規則的な靴音が廊下に響き、場の空気が凍り付く。

 靴音の主は見る者が思わず吐息が出てしまうほど整った顔立ちをした美少女だった。

 純白の法衣を身にまとい、無表情に集まった文官たちを見やる目には憐憫の感情さえ浮かんでいる。

 しかし、集まった文官たちの額から冷や汗が流れ、彼らの動きが皆一様に止まってしまった。

 

「全ては神の御心のままに。よろしいですね?」

「は、はい……聖女様……」


 すごすごと足どり重くヨシュアの部屋の前から立ち去って行く文官たち。


「彼らは何を憂いでいるのでしょう。全ては神のおっしゃる通りに実行すればいいだけのこと。迷いや相談など不要です」


 法衣をまとった美少女――聖女は表情を崩さぬまま右の指先でひし形を切る。

 この仕草は簡易的に神へ祈りを捧げる時にするものであり、彼女だけではく聖教会に属するものでなくともよく見る仕草だ。

 神を一心に信じる彼女は知る由もないことだが、ヨシュアが一日に会っていた文官の数は百を超える。

 ひっきりなしにやってくる文官たちは彼を頼り、彼の案を求め、仕事をこなしていた。

 ヨシュアは彼らに自分で判断できるように促していたが、事が複雑になればなるほどやはり賢王ヨシュアを頼らざるを得ず、また賢王は常に適切な対処法を指示してくれていたのだ。

 ルーデル公爵ことヨシュアが追放され僅か四日であるが、既に政治中枢は大混乱し業務遂行ができなくなるまでになっている。

 余談ではあるが、ルーデル公爵がこなしていた仕事は文官の泣き言を聞くだけではない。むしろ、文官との会談は彼の業務のほんの一部に過ぎないのだ。

 

 一方、人望熱い騎士団長の元へ街の商業組合の幹部らが訪れていた。


「申し訳ない。なにぶん門外漢なもので……」


 腕を組み眉間に深い皺を寄せた騎士団長が集まった商業組合の幹部らに苦言を呈する。

 

「ですが、今、公宮内はとてもじゃないですが我々の話を聞いてくださる状況にありません」

「……」


 騎士団長は連日列を成す文官たちの姿を思い出し、盛大なため息をつく。

 

「どうか、騎士団長様からお伝えいただけませんでしょうか」

「……伝えるだけなら」

「ありがとうございます!」


 一斉に頭をさげ喜色をあげる商業組合の幹部たち。

 

「国との処理が滞っております。その上、お恥ずかしい話ですが組合長と重鎮の二人が忽然と姿を消し……」

「まさか……ルーデル公爵を追って」

「恐らくそうです。最も頼りにしていたお二人がいなくなり、更には国の統制もきかず……まだ持ちこたえておりますが、市場の平静がいつまで持つかどうか……」

「警備なら、ご協力できます。状況は文官らに伝える」

「何から何までありがとうございます。騎士団長様だけが頼りです!」


 頭を床につかんばかりに頭を垂れた幹部たちは、騎士団長とがっちりと握手を交わし部屋を辞す。

 残された騎士団長は天を仰ぎ額に手を当てる。

 

「『予言』『神託』……疑う余地はないが、間違うことはないのだろうか? この国にはルーデル公爵が必要です……」


 騎士団長の悲哀のこもった声は誰に耳にも届くことは無かった。

 

 ◇◇◇

 

 閑話2.とある男

 

 ヨシュア邸 門前――。

 ほぼ全ての者がヨシュアを尊敬……崇拝し彼の元へ馳せ参じる。

 しかし中には例外もいて、腕を組み遠巻きに様子を窺う豹頭の男がその一例であった。

 彼の青色の目は片側しか開かず、左目には縦にはいった大きな傷跡が痛々しい。

 厳しい目で演壇に登ろうとしているヨシュアを見つめる男だったが、彼は公爵を害そうなどという気持ちは微塵もない。

 

「まさか、こんなところにまで来ちまうなんてな……」


 誰にも聞こえぬよう囁くように彼が呟く。

 彼は冒険者だった。しかし、片目をやられて以来、危険な目にあうことも多くなったのだ。

 彼にとって危険は大した問題ではない。

 彼はただ許せなかっただけ。Sランク冒険者としての自分が。弱くなってしまった自分自身が。

 

「……オレは冒険者以外の生き方を知らぬ」

  

 打算があった。

 これから開拓されるというこの集落ならば、自分の腕っぷしも少しは役に立つだろうと。

 あれが公爵か。小柄で華奢な彼はほんの一ひねりしたら折れそうな印象を受ける。

 冴えない男だ。

 それが豹頭の男の率直な感想だった。

 

 この男を護るのなら容易いかもしれん……いや、衛兵にでも雇ってもらえれば大万歳か。

 心の中でそう独白した彼の目に演壇に登った公爵ヨシュアの姿が映る。

 

 ヨシュアが両手を上げた。

 その時、彼の脳天から足先にまで電撃にでもうたれたかのような衝撃が走る。

 惹きこまれた。

 もう夢中になってしまったのだ。

 

「諸君は豊になったルーデル公国を選ばず、ここに来たというのだろうか。私を、この私を盛り立てようと」


 ヨシュアの声に彼は自然と腹の底から歓声をあげていた。

 違った。冴えない男ではなかったのだ!

 公爵の言葉は魔法のようだった。彼の一言一言が何故か豹頭の男の体の芯を揺さぶる。

 これがうまれながらの「カリスマ」というものか……。

 肌で分かる。公爵が何故これほどまでに公民に慕われていたのか。彼は公爵の実績など知らない。

 だが、公爵がこれまで築いてきた偉大なる軌跡が公爵の言葉となって現れているのだろうと男は思った。

 男は「このお方に俺が仕えてもいいのだろうか……」と考え、いやいやとかぶりを振る。

 

「自分のようなならず者が、畏れ多い」


 帰ろう。

 丸太のような腕にぐぐっと力を込め、拳を握りしめる。

 

「いいものを見せてもらった。オレも再び、赴こう。片目を失ったからといってなんだ。そのようなこと、些細なことだろう」


 自分に言い聞かせるように傷跡に手をやり、歩きだそうとしたその時。

 

「よろしければ、農業ではなく探索部隊に加わってくれませんか?」

「あ……え……」

 

 豹頭の男はあえぐように声を漏らす。

 ゾクリとした。

 まるで気配を感じさせずに自分の後ろに立っていたのだから。

 後ろに立っていた上品な壮年の男は物腰柔らかで、およそ戦いとは程遠いところにいるように見える。

 その自然体に過ぎる紳士の佇まいに、彼の背筋に冷や汗が流れ落ちた。

 

「ヨシュア様を慕い、ここに馳せ参じてくれたのでしょう。あのお方の執事として深くお礼申し上げます」

「あ、あんたは」

「私はルンベルクと申します。以後、お見知りおきを」

「オレはガルーガ。冒険者だったのだが、そんなオレでもいいのだろうか」

「大歓迎ですよ。ヨシュア様はどのようなご身分の方でも扱いに差がありません」

「そんなお貴族がいるってのか……」

「ええ。あのお方こそ、神がこの世につかわせた奇跡だと思っております」

「た、頼む。オレにも手伝わせてくれ!」


 右の手の平を自分の汚れた服にすりつけ、手を差し出す。

 ルンベルクはにこやかに彼の手を取り、「よろしくお願いします」と会釈をしたのだった。

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