あなただけを見つめる

 君は夏の日に逝った。

 僕が君の家に遊びに行ったときには、君は真夏なのに重たい布団を被っていた。周りで君の両親が泣いていて、僕は持ってきた野菜を落としてその場に立ち尽くした。

 人の葬式に出るというのは初めての経験だった。慣れないスーツを着せられて、お坊さんがお経を読むのを聞かされた。それで君が良く逝けるのだと僕の母は涙ながらに言っていた。君の両親と仲が良かったから、僕の母も泣いていたのだ。

 僕は葬式の間、何もできないのが退屈で、ずっと君の遺影を見ていた。君はヒマワリ畑で笑っていた。烏羽玉の黒髪に、真珠のような黒い瞳。夏場でほんの少し焼けた肌。君以外に女の子の友達はいなかったから分からないけれど、とても整った笑顔をしているな、と思っていた。

 葬式が終わってから、君の母は僕に、君が遺した言葉を話してくれた。

――あの子はね、君とまたあのヒマワリ畑に行きたい、って言ってたのよ。

 そのときの僕は君の言葉をよく理解していなくて、また遊びに行きたかった、という意味の言葉だと思っていた。それでも僕にとっては嬉しくも悲しいことで、帰り道で少しだけ泣いてしまった。

 君はあのときの僕にとって唯一の友達だった。子供は二人だけの集落に住んでいたものだから、僕は君以外を知らなかったし、君も僕以外を知らなかったんだと思う。

 一人になってしまった僕は、一人で学校を卒業して、集落を出ていった。そうして、次第に君のことを忘れていくはずだった。



 特に寝苦しい夜になると、君のことを思い出してしまう。

 君はやんちゃで、僕が怖がるような夜の墓場でもケラケラ笑って通っていくし、カブトムシを捕まえては僕に見せびらかしてくるし、大きな石を持ってきてはアリの行列に振り下ろして腹を抱えて笑うような子だった。

 都会に来てみると、そんな女の子は少しもいなくて、お淑やかな女の子ばかりだ。君よりもっと綺麗な女の子もごまんといる。そんな中でも何人か付き合った子もいる。

 そういう子たちとは、野を駆けて遊ぶようなことはしない。カラオケに行ったり、ご飯を食べに行ったり、恋愛スポットに行ってたくさん写真を撮ったり――とにかく、君と遊んだようなことはしなかった。

 それでも、僕の周りに女の子が留まったことは無かった。何かと理由をつけられてフラれるばかりだ。

――貴方の望むような自分でいられてる気がしないのよ。

 誰だったか、誰かがそう言って僕をフったのをよく覚えている。僕だってそこで深く訊けば良かったものを、僕はなんとなく、あぁそうなんだ、と思って流してしまった。

 それからしばらくした夏の日、君の姿を夢に見たとき、僕は彼女の言ったことを理解した。

 夢の中で君は、白いワンピースをふわりと揺らして、ヒマワリ畑を駆け回っていた。少し大きな麦わら帽子を被り直して、僕に向かって笑いかけてくる。

――ねぇ、私って綺麗?

 そんなこと、僕に訊いたことは無かったはずだ。でも、夢の中の僕は操られるようにして、そう、自分の意思ではなくて、こう答えた。

――うん、とっても綺麗だよ。

 自分の意思ではなかったはずなのだ。でも、目が覚めてから納得した。

 僕は、夏の日の君に囚われている。君を今も見つめている。だから、他の人じゃ満足できないのだ。だとしたら僕は、君に恋をしていたのかもしれない。いや、「している」のかもしれない。

 だとしたら、その恋は絶対に叶わない。君に一生焦がれて生きていくことになるのだ。それはとても恐ろしいことのように感じた。

 それでも自分を騙し、ようやく妻となる人を得た。二人の子供に恵まれて、幸せな家庭を手に入れたと思っている。

 今度こそ君を忘れていく、その過程で、機会があって集落に戻ることになった。両親に挨拶をするためだ。左手の薬指には結婚指輪を携え、片手にはまだ産まれたばかりの赤子を抱え、僕はあの集落へと戻った。



 それはそれは、暑い真夏の日だった。

 両親は僕たちを出迎えると、大喜びでたくさんの料理を用意し始めた。携帯の電波が届かないことを除けば、素敵な場所ね、と妻は言った。両親は苦笑しつつ、そんな妻を迎え入れた。

――ほら、あの子のところにも見せに行ってあげなさい。友達だったでしょう?

 母は僕にそう言った。そこで僕はまた君のことを思い出すことになる。僕が君のことについて説明すれば、妻は穏やかな笑顔で、行ってあげなさい、と答えた。

――その間、子供たちはヒマワリ畑で遊ぶといいわ。

 母がそう勧めた。面倒を見るという理由で――きっと孫と遊びたいだけなのだろうけど――両親は妻について行くと言う。ヒマワリ畑といえば、僕と君がよく遊んだ場所だ。ちゃんと帽子を被って、水分補給をしっかりすれば、真夏でも遊ぶことはできるだろう。

 僕は妻に申し訳無く思いつつ、君の住んでいた家へと向かった。そこではすっかり腰の曲がった君の両親が待っていて、僕を喜んで出迎えた。

――べっぴんさんと結婚して、幸せになったのね。きっとあの子も喜ぶわ。

 仏壇の前に行って、線香を刺す。そこにはあの日見たヒマワリ畑で微笑む君の顔が変わらずにあった。

 左右対称でもないし、体つきも貧相だし、黒い髪はぼさぼさだし、目も大きくもくりっともしていない。それでも僕はそんな君に恋焦がれていたこともあったのだ。

 そんなことを思いながら手を合わせていると、君の母が僕に一枚の手紙を渡してきた。未開封のもので、年を経て黄ばんでいる。宛先には僕の名前が書かれていた。

――あの子が亡くなる前に書いていたものみたいなの。もし良かったら読んであげて。

 おそるおそる開いてみると、そこにはシンプルな便箋が複数枚入っていた。金釘流な文字が書かれていて、君らしいな、と思った。

 最初は懐かしむような思いで読んでいたが、次第にその内容に引き込まれていった。引き込まれていった、というのは良い意味ではない。だんだんと手先が冷えて、冷や汗が背中を伝っていった。

――これは君へのラブレターです。私は君に好かれるためなら何だってします。一生君が私のことを忘れられないように何だってします。

――私は君の全てを知ってます。どんなシャンプーを使ってるかも、何の料理が好きかも、何時に寝ているかも、私のどんな仕草が好きかも。全部全部君に好かれるためにやっていることです。全部全部……

――またヒマワリ畑に行こうね。また君の大好きな白いワンピースを着ていくよ。

――私はあなただけを見つめています。

 それは好意と言うより、呪いにすら感じた。愛を歪ませて、僕を鷲掴みしている。目を見開いて立ち尽くす僕に対して、遺影の君は笑っていた。

 ……もしかして、君は僕に、君のことを忘れさせないために死んだのではないか?

 そんなことはあり得ない。分かっているのに、手紙に書かれた愛の熱量に、僕はそんな考えから離れることができなかった。

 震える手で手紙を畳み、そっと君の母に返した。それから僕は、足早に君の家を出て、ヒマワリ畑に向かった。

 ヒマワリ畑に向かうにつれて、君の声が聞こえてくるようだった。きゃはは、と笑う声はあどけなくて、まるで僕を導くかのようだった。

 やっと辿り着くと、そこでは妻がベビーカーを押していた。両親と話しながら、夏の日差しのごとく微笑んでいた。

 そんな彼女は、白いワンピースに、大きな麦わら帽子を被っていた。そよ風に美しい黒髪を揺蕩わせて、黒真珠の目を細めていた。

 無数のヒマワリが、茶色い種の詰まった中心が、こちらを見ている。太陽を見つめるがごとく、僕を見つめている。

――おかえり。

 君の声が聞こえた、気がした。

 

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