君色ディストピア

「わー、きらきらしてる。これなんて言うの?」

 そう言って君が指差したのは、無数に銀色の鱗がついた丸いボールだった。僕が懐中電灯を当てれば、白く丸い光を柱や床一面に放った。ここに壁があったならば、壁一面にも丸い模様が描かれていたことだろう。壁の外を眺めれば、漆黒の空がやや青く染まり出していた。

「あー、何だっけ。昔、本で読んだことがある気がする」

「お前が知らないんじゃ俺も知らねーわ。何これ? 持ってったら役に立つかな」

「役には立たないと思うな……」

 君はまだ朽ちていない机を持ってきて、それを台にして銀色の球体に顔を近づけた。球体の表面が肌色に染まる。何じゃこりゃ、と言って顔を離す君を見ていると、はっ、とこれが何かを思い出す。

「これさ、鏡だよ」

「鏡ィ? これ全部鏡なの?」

「そうそう」

「こんなに鏡くっつけて、何がしたいわけ? 一つひとつはちっちゃいし、顔を見るわけでもないだろ」

「光を当てて回すんだ、こうやって」

 僕も机に乗って、そっとボールを回した。それから懐中電灯を当てれば、光がくるくると踊る、踊る。君は、へー、と言って間抜けな顔をしてそれを眺めていた。

「そもそもここ、何だったんだろうな」

「僕の記憶が正しければ、だけど……ここではたくさんの男性と女性が音楽を流して踊ってたんだ。その鏡? は装飾品だったんじゃないかな」

「男と女が踊ってた、か。愉快な時代もあったもんだな」

 君はそう言って瓦礫に腰を下ろした。砂埃が舞って、君は咳き込む。僕もその隣に座ると、君は黒い長靴を揺らしながら大きく溜め息を吐いた。

「あと何十年か早く生きてたら、俺もこーゆー場所にいたかな」

「そうかもね。君はこういう愉快な場所、好きでしょ?」

「うん、好き。そこで女と会って、一緒に踊ってたかもしれねーんだよな」

「男じゃないんだ」

「え? まぁ、だって昔は男と女が恋人になるのが当たり前だったんだろ。だったら当たり前のように振る舞うよ」

 君の話を聞いて、僕は正直びっくりしてしまった。それと同時に、おかしくなって笑い出してしまう。君がド下手に女性を口説いて頬を叩かれる様が頭に浮かんでしまったからだ。僕は「女性」を知らないけれど、昔読んだ物語では、僕なんかよりもはるかに気が強くて暴力的だったはずだ。

 もう少し早く生まれていれば、君が僕以外の誰かと踊っていたかもしれない。その事実は驚きだけれど、滑稽でありえそうも無いように感じた。そう思うのは、僕の傲慢だろうか。

「こんっな奇怪な物を吊るして踊ってる人間なんざ、シラフの人間とは思えねーよなぁ。誰が考えたんだろ、こんなの」

「そうだね。昔はこんな娯楽もあったんだね。って、ずいぶん否定的だな……」

「音楽とか流せないの?」

「かと思えば、意外と乗り気じゃんね、君……」

 立ち上がって散策してみれば、機械めいた複雑な形をしたボードが机の上に置いてあった。ツマミを回してみても、丸いレコードのようなものに手をかけてみても、当然動かない。電気が無ければ所詮機械なんてただの鉄屑だ。

「無理そうだね、音楽を流すのは」

「無理かぁ。じゃあ踊るって感じでもないな」

「踊りたかったの?」

「言ったじゃん、陽気なことは好きだって。いーじゃん、ダンス。電気無くても踊れる超優れた娯楽じゃん」

 君は歯を見せて、にっ、と笑った。そんな顔を見て、僕は思わずクスッと笑ってしまう。笑いの連鎖だ。君といるといつもこうだ。でも、君はきっと意識してるわけではないんだろうな、とも思う。

 砂埃まみれの髪を払うと、君は立ち上がって大きく伸びをした。そして腕を伸ばして体操をして、銀色の球の下に躍り出た。

 君が踊るダンスは、へんてこで、リズムもテンポもあったもんじゃない。けれど、砂埃まみれの茶髪を揺らして、少しずつ明るみ始めた外の光を浴びて、黒い瞳が輝いて――それを見ていると、嗚呼、どくりと心臓が大きく脈打つ。目が離せなくなる。

 夜が明ける。夜明けの光に、ミラーボールが溶けていく。君が踊る。細い腕を開く。くるくると回る。光は黒い瓦礫を照らして、ゆっくりと回る。そこに手を伸ばそうとして、伸ばしたくて、でも触れなくて、手を下ろした。

 下手くそなダンスを終えた君は、満足した顔で鼻を鳴らすと、行くか、と言った。

「夜も明けたし。腹減ったなー」

「……次の場所には何か食べられるものがあるといいね」

「な。あ、この銀色の、持ってく?」

「荷物になるから持ってけないよ。諦めて」

 チェッ、と呟くと、君は大きくてぼろぼろなリュックサックを背負った。袖から見える腕が、また細くなったな、と思った。

「よし、行くぞ」

「行こう」

 朝日が昇るのを背に、階段を降りていく。手すりが無かったらここには来られなかっただろう、高いビルの非常階段には強い横風が吹きつけていた。君は恐れず足を進めて降りていき、僕はそんな後ろ姿をひやひやしながら追っていく。

 崩落し、緑に包まれゆく鉄筋コンクリート。風の音以外には、何も聞こえない。頽廃した世界には、君と僕以外、誰もいない。

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