心臓を燃やせ
「あら? わたくし、死んでしまったのかしら……」
そんなことを少女は呟いた。
漣が少女の足元を掬おうと手を伸ばす。ひんやりとして冷たい液体は、足首を掴んだのちそっと去っていった。
少女が立っていたのは、黒い海辺の砂浜だった。少女が見上げれば、そこには満点の星空が広がっている。月が見えなくても、仄かに明るかった。
しばらく少女はそのまま立ち尽くしていた。何度も何度も彼女の裸足に擦り寄るようにして漣が打ち寄せる。
途方に暮れた少女に話しかけたのは、暗闇より黒いローブを着た人だった。フードを被っているから、少女にはその人が何者なのか見当もつかなかっただろう。少女は何度か瞬いて黒ローブを見たあと、また海のほうを遠く眺めた。
「御機嫌よう、迷える人間。ここは彼岸の地です」
「彼岸の地……」
「ご明察、あんたはもうすでに死んでいるのです。そして今僕と話しているのは、成仏するまでのひととき、と言ったところでしょうか」
少女はその言葉に暫時黙っていたが、少しすると、クス、と笑い、そっか、と小さな声で独り言を言った。
「やっぱりわたくし、死んでしまったのね」
少女は静かに一頻り笑うと、ふっ、と口を一文字に結んだ。目を閉じれば、はらはらと雫が頬を伝った。
「嗚呼、お母様にどう伝えようかしら……独りで寂しがっていないかしら……」
黒ローブの彼は、座り込んだ少女の傍に寄り、笑みをたたえたまま少女を見下ろす。少女が顔を覗き込めば、フードの中で、金色の瞳が哀れみを込めて柔く光っていた。
「そう。あんたは何かを伝えたいと思っている存在。だからここに来たのです」
「どういうこと?」
「ここは灯篭流しの海です。死者が思いを込めて灯篭を流し、現世に伝える場所です」
灯篭流し、という言葉に、少女は首を傾げた。灯篭流しといえば、普通は死者への送り火として行われる行為だ。そのように少女が伝えれば、そうですね、と相槌が返ってくる。
「ですが、ここでは反対のことが行えるのです。あんたが自らの心臓を捧げて燃やすことで、現世へのメッセージを送ることができる。ここは、そういう場所なのです」
少女が瞬きをすれば、辺りは一瞬で温かい光に包まれた。暗い海の向こうへと、たくさんの紅が消えていくのだ。近くにあるそれへと目をやれば、灯篭の真ん中でドクドクと脈打つ心臓があった。心臓が燃えて光っていたのだ。
黒ローブの男は、すっ、と海の向こうを指した。黒いローブの隙間から、白く節のある指が覗いていた。骨だけになったような細い指は死人のようでもあった。
「あちらへ。此岸の方へと灯篭を流せば、あんたの思いも届くことでしょう」
少女はぼーっと水平線を眺めていたが、やがて黒ローブのほうを見ると、ゆっくりと歩み寄って頭を下げた。
「わたくしの思い、届けてくれないかしら?」
満足気に微笑むと、黒ローブの男は少女へと手を差し伸べた。少女は未だ脈打つ心臓に手をかける。透ける体の中で、唯一掴める存在。そしてそれをしっかりと触って、黒ローブの男へ差し出した。
男はそれを両手で受け取ると、海に浮かぶ灯篭へと入れて、そっと息を吹きかけた。刹那、ボッ、と心臓が燃え上がる。ゆっくりと波に乗って、此岸へと向かい始めた。
少女は涙を拭うと、目を細めて笑った。ありがとう、と言い残す。流れゆく灯篭を眺めながら、黒ローブの男は独り、こう呟いた。
「どうか、あんたを忘れられない人々に届きますように」
風が吹けば、少女も灯篭も黒ローブの男も掻き消えて、ただ漣だけが残った。
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