仮面舞踏会と魔女

 黒い魔女帽に黒いローブ、同じくらい黒い髪に白い素肌。闇の中で赤い目を爛々と光らせる。

 人は彼女を「魔女」と呼んだ。本当に魔法が使えたわけじゃない。ただ、幾星霜の時を闇の中、たった独りで生きてきたようだ。そして、人々を光へと導いてきたんだとか。

 そしてどうやら、彼女は誰にも自分の「本当」を晒さず、ずっと仮面で隠し続け、その下で全てを嘲笑っているらしい――

 私はそれを聞いて、「魔女」というものに憧れた。

 誰かを光に導き、自らは闇の中で独り生きる。その本心を仮面で隠しながら。それはなんと高等な生き物なのだろうと私は思った。

 そんな魔女に憧れて、私は仮面を被ることを覚えた。人に優しく生き、自分というものを隠して生きていた。本当の自分なんてものは人に見せる必要は無い。人は私を、真面目でひたむきで善人だと讃えた。その評価がとても心地良かった。

 そんなときだ、本物の「魔女」に出会ったのは。

――御機嫌よう、愚かで無様な人間よ。

 それが、彼女の第一声だった。

 噂通りの魔女らしい風貌、思っていたよりずっと若々しい声と顔。そんなアンバランスな彼女が口にした二言目は、こういうものだった。

「やぁ、人間。そのみっともない仮面、辛くないか?」

 なんと的外れなのだろう、と目を丸くした。それもすぐにやめて、いつもどおりの笑顔を作った。たとえ相手が魔女でも、私のやることは変わらない。

「はじめまして、不思議な魔女さん。いいえ、全く辛くありませんわ。だってあなたの真似をして始めたんだもの」

 私の答えに、魔女は首を傾げた。じろじろと私の顔を見ると、うーん、と言って自分の顎に手を当てる。そんな仕草を見ながら、やはり思っていたのと違う、と思ってしまうのだった。

 魔女はしばらく唸っていたが、不意に何か思いついたように手を打った。

「アンタは、人に愛されたいから仮面を被るんだね?」

「えぇ?」

「ボクには分かるよ。だから辛くないんだ」

 ぽん、と心の中に小石が投げられる。チャポン、と音を立てて波紋が広がっていく。その程度のことだけれど、心が微かに動いたような気がした。

 私が返答に困っていると、魔女は一方的に話し始めた。

「それじゃァ、ボクにはなれない。だって独りでいるのが辛いんだろう?」

「魔女さん、ちっとも分からないわ」

「人に嫌われたくないんだろう?」

 チャポン、また一つ小石が投げられる。本当に小さな小石で、当たっても痛くは無い。それでも、大きな波紋は残していく。

 私じゃ魔女になれないだなんて、どういうことなのだろう。私はこんなにも、道化を演じているというのに。魔女はまるで私の仮面を引っぺがすように、話を続ける。

「アンタは、誰にでも愛されている。誰もの顔色を伺って生きているのさ。でも、そいつァ苦しくないか?」

「苦しくなんてありません。だって誰にでも褒められるんですから」

「どうして他者の賞賛を必要とする?」

 あ、と私は声を漏らした。まるで胸を貫かれたような気分だった。その瞬間、貼り付けていた笑みも消えていく。

 そうだ、私は。私はどうして、他者からの賞賛に喜んでいたのだろう。最初はどうしてそんなことを始めたんだっけ?

 言葉を失った私に、魔女は優しくこう言った。

「魔女ってのはな、『幾星霜の時をたった独りで過ごした』んだ。誰の賞賛も得ずにな。仮面ってのはひとえに自らを孤独にするために被ったもんなんだ。アンタみたいに人に愛されることを願うような奴がやるようなもんじゃない」

 魔女はその言葉のあと、ぽん、と私の肩に手を置いた。そしてにやりと歯を見せて笑い、手を離した。

 でも、それでは。私が被っている仮面は、何のために。心の中にぽつり、ぽつりと雨が降り出した。私はどうしたら良いの。人に愛されるためには、この仮面は外せないの。

 すると魔女はそんな私の心を見抜いたかのように、くいっと顎を上げて言った。

「仮面舞踏会を続けるっていうのは、魔女になることとイコールじゃない。アンタじゃ魔女にはなれない」

「私は、魔女になれないの?」

「あぁ、なれない。だが安心しなァ、そっちのほうがずっとずっと良いことだ。誰かに愛されるだけで生きていけるさ。アンタは魔法をかける側じゃない、かけられる側の『お姫様』なのさ。いつかそんなアンタの本心を知る『王子様』が現れると良いな」

 目をぱちくりさせて魔女を見つめる。彼女は背を向け、ほんの少し寂しそうにそう言ったような気がした。

 降り出した雨に傘を差され、立ち尽くす。私の心が凪ぐ。少なくとも私の足元は静かになった。

「……ありがとうございます、魔女さん」

「いいんだいいんだ、これも『魔法』の一つさ」

「『魔法』?」

「そう。人を闇から救い出して光へ導く、魔法さ」

 彼女は振り返る、無邪気な笑みで。それはまるで、まだ瑞々しい少女のように。

 それだけ言い残して、魔女は去っていこうとする。私はその背中を追いかけたのだけれど、角を曲がったところで見失ってしまった。いったいどこへ消えてしまったのだろう。

 一人になって、自分の頬に手を当てる。笑みを作ることはできる、けど、少しだけ柔らかくなったような気がした。魔法をかけられて、ほんの少しだけ「自分」が何か分かった気がした。

 魔女さん、私もあなたのこと、好きよ。きっと皆もそう。だから独りだなんて言わないで。

 そう暗闇へ呟いて、傘を持って私は踵を返した。

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