愛の成就は叶わない

 人魚姫は声を失う代わりに足を手に入れ、王子様に会うチャンスに巡り合わせた。そこから彼女は根気良く彼のもとに向かっては、求婚を続けた。されど、王子様は庶民の娘になど目もくれなかった。

 この物語の最後は、人魚に戻りたくなった姫がそのために王子様を殺す決断を強いられ、結局できないまま泡になって死んでしまったとのことだ。

 今日、王子様は妻を船に乗せてパーティを行うんだそうだ。多くの人が集まり、ワインやシャンパンで乾杯をする。王子様の隣にいるのは、当然綺麗な目鼻立ちをしていて、宝玉だらけのドレスを着ているのだった。そして何より、その眼窩には、人魚姫と同じ緑の瞳が収まっている。

 もつれる足をなんとか動かす。ときおり貴族らしき男の人が私をエスコートしてくれるが、その手を払う。金に塗れた汚らわしい貴族は嫌いだ。

 というのも、私はこのパーティで浮いていた。黒いドレスに黒いハイヒール。小さな黒のポシェット。この辺では見ない、銀の髪。目を惹くのも当然だった。

――あの人、王子様のことしか見てないわ。

――なんて卑しい方なのかしら。

 そんな悪口が聞こえてくるけれど、それも痛くなかった。私はただ、一直線に王子様のもとへと向かっていった。

 王子様は目を丸くしてこちらを見た。隣の姫が、不安そうに王子様と私とを見つめる。

「御機嫌麗しゅう、王子様。どうかわたくしの話を聞いてくださいませんか。少し外に出ましょう」

 いいのですか、と言う姫に対し、王子様はこくんと頷き、少し席を外しますね、と返した。

 外に出た私たちに、夜風が吹き付ける。啜り泣くような、そんな静かな風だった。

「君は、あのとき私を助けてくれた娘だね」

「はい、御機嫌麗しゅう。よく覚えていらっしゃったのですね」

「あのときはとても助かった。ありがとう」

 ぺこり、王子様が頭を下げる。それでも私には申し訳無い気持ちはこれっぽっちも出てこなかった。

「ところで、そんな君は何の用かな? もしかして、私たちの結婚を祝いに来たんじゃ――」

「いいえ」

 一瞬のことだっただろう。私はポシェットから銀色のナイフを取り出し、王子様の腹に突き刺した。ぶすり、奥に刺さって内臓を潰す音が聞こえた。

「お前も泡になれ」

 王子様は、はっ、と背中を船のヘリに預ける。すると、ちょうど波で傾いて、王子様はよろけてしまう。私はそのまま、王子様を海へと突き落とした。

 血の滴るナイフを放り捨て、私も海へと身を投げる。すると、人間だった下半身はみるみるうちにタコになり、体から泡がぶくぶくと溢れ出した。上半身が人間では、息もできないだろう。

 海の底へと沈みゆく。そこは冷たく暗く何も無い場所。私たち人魚にとって、地獄だ。

 走馬灯が流れる。そこでは、丸く大きな目をして、小さな顔で、真っ白な肌をした人魚が私に話しかけていた。

――ねぇ、魔女さん、私を人間にしてほしいの!

 そうきらきら微笑み水面を照らす顔に、私は絶望した。あの人魚姫は、きっと現実世界では不幸になると知っていたから。

 それでも許したのは、私が彼女を愛していたから。魔女呼ばわりされて嫌われてきた私に手を差し伸べてくれたから。恩返しがしたかったんだ。

 どうか彼女に報いる幸せがありますように――そう願って、私は彼女に薬をあげたのだった。

 嗚呼、これで人魚姫からの想いは繋げたでしょうか。それとももう泡になって聞いていないのでしょうか。意識を手放し、ぷちん、泡が割れて、私には分からないままだった。

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