カミサマの独り言

「あの子っていっつもクラス一位よね。とっても勉強熱心なのね」

 私は、テスト返しの雰囲気が大嫌い。あの子は頭が悪いのね、あの子は不真面目なのね、あの子は勉強ができるのね。そんな中、私に下される評価は、優等生の真面目な生徒。先生ですら、それを擁護する。

 皆、一位目指して頑張ってよ。先生の言葉に、皆あけっぴろげなヒソヒソ話をする。先生だって何を言われているのか知っているはずだ。それでもあえて言うんだから、本当に性格が悪い。

──無理だよ。どうせ彼奴が一位なんだから。彼奴が一位じゃなかったことなんて無いから。馬鹿にしやがって。

 白い目がこちらに向けられる。決して睨まれているわけじゃないのに、きゅっと首が詰まる心地がするのは、どうしてだろう。

 きっと全部そうなんだ。私は常にそういう生き方を強いられてきたのだから。

「あの子はとっても頼れるの。いろんな相談に乗ってくれて、元気づけてくれるの」

 皆が私を頼ってくれる。恋バナに進路に親との関係……

 私は相手の考えを理解するのが上手かった。そうだ。実のところ、私は何でもお見通しだった。あんな奴大ッ嫌い、と泣いていたあの子が、本当は仲直りをしたかったこと。私には何でも分かると言っていたあの子は、本当は何にも見えていないこと。全部指摘してあげれば、ぱあっと顔を明るくする──なんて単純なんだろう。

 今度は私の足が締め付けられた。皆が私の足を掴んだのだ。わらわらと赤子が集るように、無邪気に強く掴む。私はそれが重くて、膝をつく。ねぇ、お願い、見捨てないで──そう言われている気がしてならなかったのだ。あなただけが私を分かっていてくれるから、って言われている気がしてならなかったのだ。

 でも、まぁ、考えてみれば、ただ指摘するだけで何も助けてあげない探偵なんて、存在価値が無いでしょう。犯人を見つけるだけ見つけて満足して帰るだけの探偵に何の魅力があるの? そんなのただの自己満足じゃない。

 だから、私は握られた手を離さなかった。彼らが前を向いて歩けるようにと、隣で見守っていた。ときには進言をした。胸が詰まって目がちかちかしても、酸素が裏切って息ができなくなっても。そうして私が作り上げた楽園で過ごす人たちは、終いには、誰かを崇め称えることを繰り返す玩具へと変わってしまった。

「あの子って凄いのよ。あの子ならきっと何でも知ってるの」

 私のしたことに尾ひれがついて、綺麗な綺麗な金魚になって。透けるような橙とつぶらな目に人々は見惚れて。神話を聞きつけて、私の周りにさらなる人々が集まってくる。私なら信頼できる、私なら尊敬できる……

 くだらない痴話喧嘩や失恋の話が舞い込んでくる。私は答える、答えなくてはならない、拒否権なんて無い。私を取り囲む信者の顔が、同じ笑顔を浮かべているのだ。それは期待だ。それは傾倒だ。それは思考停止だ。ねぇ、タグの付いたままの人形なんて、動かすのが簡単で仕方無いのよ。まるでわたくしを動かしてくださいと言わんばかりにそのたるんだ体で垂れているんだから。

「あの子、仕事もできるのよ」

「頭も良いの。努力家なのよ」

「芸術にも長けてるし、人間関係を築くのも上手」

「心が強くて、寛容で慈悲深くて、洞察力に優れているの」

「話が面白くて、人気者よ」

 私に次々とラベルが貼られていく。目に貼られて、心は闇に覆われていく。私は投げかけられた他者からの理想を何個も被ってプリマを演じる。くるくるとピルエットをするたびに、グチグチと音がして、トウシューズの先が赤く滲んでいくのを感じている。足は鈍色の痛みで凍ってしまった。私を急かすように何度も何度も手を打って、観衆は煌めく無限の黒真珠で見つめている。

 着せられた衣装も、トウシューズも、プリマという立ち位置も、私にはきっと合っていないのだ。しょせん私はお人好しの太った豚なのに、いったい皆にはどう見えているのだろう。ただ助けを求められたからという理由で人に手を差し伸べて、救って、飾って、演じて、演じて、演じて、演じて演じて演じて演じて演じて演じて演じて! 私はただ演じているだけだ! だって、見てごらん、私はどこからどう見たってただの人間じゃないか。手が無数にあるわけでもないし、白い羽が生えているわけでもない。私は慈悲深くも天才でも面白くもないし優しくもない!

 そうやって私に貼られた義務じみた理想が破れていくたび、人々は私から離れていく。私から受けた恩の一切を束縛だの押し付けだのと言い換えて。其奴らは皆涙を流しながら言うのだ──どうして私を裏切るの、どうして私のことを分かってくれないの、と。

 嗚呼、ようやく分かったんだね。あなたが愛した私は私じゃないの。あなたが思いを馳せていたのは、あなたが作ったカミサマだったの。ねぇ、私の何が悪いっていうの? ねぇ、ねぇ、教えてよ、どうして私が独りにならなければならないの……? 独りになるたびに、暗い部屋でしくしく泣いているの。耳も目も塞いで嗚咽を漏らすの。部屋の隅で首を吊ろうとするの! 

「へぇ、それなら、死んじゃったら良いんじゃない?」

 今まで気味の悪い笑顔を浮かべて私を信仰していた人々は、やがて冷たい目で私を見るようになる。神話を作った人々は自らが救われぬ理不尽に神を嫌うようになる。きっと神様は今だって人間を愛しているのに。彼らにとっては、自分を救わない神なんて信仰の価値も無いのだ。背筋に冷たい芋虫が這って、気持ち悪くて、辛くて──

「ねぇ、どうしてそんなに全部独りで抱え込むの?」

 桃色の清涼感が私を包み込む。冷たいのに優しい。泣き濡れてぐちゃぐちゃになった頭に、そんな誰かの声が聞こえる──いや、私はこの声を知っている。温かくて慈悲深くて、穏やかで苦しそうな声。私は首を吊れずに解けてしまったマフラーを握りしめ、顔を伏せる。そしてわんわん大声を上げて泣く。

 辛いよ。辛いよ。辛いよ……私はただそう繰り返す。ねぇ、神様、私を助けて。あなただったら助けてくれるって信じているの。だから、お願い、何もしないで眺めていないで。外界に降りてきて。

「何を言っているの? 目を開けてごらんよ」

 ソーダの爽やかさを伴う嘲笑。目を開ければ、姿見が佇んでいる。そこには、たいそう醜い顔をしている私が映っている。暗い部屋、光の無いべっとりとした黒い目が見つめ返している。液晶画面が青白く光って、私の痩せこけた顔を映している。

 すうっと心が空くのを感じた。それから、笑いが止まらなくなった。さっき泣いたくらいに私は嗤った。鏡にゆらゆらと歩み寄って、話しかけた。私の機嫌を損ねないように。

「ねぇ、こんにちは、私。そちらはどうかしら?」

「えぇ、こんにちは、私。全部抱え込むなんて、悲しいことはやめて。心配なのよ」

「嗚呼、やっぱり、私は世界一優しいのね」

「えぇ、当たり前でしょう?」

 部屋の隅に転がった液晶画面は、頻繁に点灯しては、私の友達からのメッセージを通知している。それは夜中の三時のことだった。

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