カミサマの晩餐会
「あの子ってとっても頼れるのよ」
「あの子ってとっても賢いのよ」
「あの子ってとってもいい子なの」
他者を賛美し、陶酔した醜い笑みを浮かべる有象無象。その中心で、歪な笑みを浮かべた娼婦が女神のように振る舞っている。
それは小さな信仰だ。それは小さな宗教だ。カミサマを作るのなんて簡単で、ただ利害が一致すれば良い。自意識を食い尽くしてでっぷりと太った豚はきっと崇められることを光栄に思うし、自らの空虚さをよく知るハイエナはその豚の後ろを歩いているだけで満たされているような感覚を味わえる。本人たちには、そう見えていないけれど。
私は口を噤み、それから、嘔吐するようにして、そうだね、と返すのだ。そうだね、とっても素敵な人なのね。繰り返しては胃酸が上がってきて頭が遠くなる。体に力が入らなくなって、意識が薄らぐ。
ねぇ、でもね。でも、だからってこれは、タチの悪いマルチ商法じゃないかしら? 期待に満ち満ちたきらきらと輝く無限の黒真珠を見ていると、涎の臭いでむせそうになる。まるで私を生贄に捧げんとしているようで。豚の前に置いて、少し作法を間違えただけの私を酒の肴にするのでしょう。もしも私がお作法をちゃんと守る良い子だったら、あなたたちはきっと私をハイエナ仲間として迎え入れるのね。あの人を尊敬しているから、って。
散々言ったけれど。切りそろえた黒い髪、クソダサい真っ黒な服、日本人形のような薄い顔。全部全部ホラーか何かだよ。それで出された教祖様の不細工な顔と言ったら! 生気の無いガリガリの体と言ったら! カルト宗教か何かかしら。
「あの子は私たちのリーダーなの」
「あの子は私たちのまとめ役なの」
「あの子は私たちを引っ張ってくれるの」
嗚呼、あなたたちみたいにタグの付いたままの人形だったら、そりゃあ引っ張りやすいでしょうね。
ガムシロップを二つ入れたアイスティーが舌でべとついて気持ち悪い。じわじわと背筋をゲジが這い回る。あなたたちは相変わらず苦いだけで不味いサワーを飲んでいる。話すたびにアルコールの臭いまでして、私まで頭がくらくらする。
そう、ここはまるでお仕置き部屋みたい。閉じ込めて追い詰めて、カミサマに近づけようとする。こういうときに幻覚を見たり聞いたりして、そこにカミサマの存在を見出させる。カミサマの存在を信じ込ませる。そこでこんなことを言うのだ。
「あの子じゃなかったら、誰が救ってくれるの?」
「あの子じゃなかったら、誰が守ってくれるの?」
「あの子じゃなかったら、誰が分かってくれるの?」
それはもう、阿修羅の顔を何度も何度も回して見せるみたいに、不安を煽って首を締めるのだ。泡を吐くみたいに息ができなくなって暴れ回るのだ。
「あの子、平気で人を捨てるもの」
そりゃあそうだ、中身は自意識と承認欲求を食べているだけの豚なんだから。どちらも飽いたら捨ててしまう。血も肉も無くなって、からっからの骨抜きにされたところで、カミサマは私たちを泥の中に捨てるのだ。そのために飽きられたくなくて、散々不幸を食って育つんでしょう、私たちは? どうか肉の詰まった私めを食べてください、ってね。そうそう、今あなたたちがそうやってカミサマの前でおつまみを貪り食ってるみたいに。
信仰ゆえに太り太って、もうはち切れそうになったくらいのときに、カミサマは大口を開けて私たちを食べる。人の不幸は蜜の味。滴り落ちる鮮血が、クセが強くてハマってしまう。次がある保証なんて無い。泥水の中に捨てられて、また肥え太ったとき、カミサマが食べてくれる確信なんて無い。それでも寄りかかるんだから、本当に悲しい人たち。
「わたしたちは、あの子を信頼しているだけなの」
「心から信頼しているのよ」
「わたしたちは親友なの」
本当にそうかしら。本当にそんな関係、信頼と呼べるのかしら。私はただただ苦い顔をして愛想笑いを返すだけだ。がっしりと肩を掴まれて、動けないような状態で。冷たい手が私を離さない。ねぇ、あの子を否定しないで。そんなことするなら、あなたを──そう言いたげだから。カミサマはただ薄笑いを浮かべてあなたたちを哀れんでいるだけなのに。こうやって頼られるのに快楽を感じてしまっているのに。
アッラーだって、イエスだって、ヤハウェだって、皆そう。きっとそうだったんだ。あなたたちみたいな心の貧しい人たちが集ってくれるのが嬉しいの。だからお金が集まった。だから聖戦が起きた。だから殺し合った。腹心ではそんな哀れな人間たちを軽蔑していたはず。自分はそうじゃない、って嗤っていたはず。それでも神様は降りてきやしない。争いを止めてくれやしない。自分について語ってくれるのが好きだから。自分を信じてくれるのが堪らないから。
「ね、あなたもそう思うでしょ?」
同調圧力にダブルバインド。微笑みの裏の不快感。胸がきゅっと詰まって、赤い居酒屋の電球が眩しくなる。ねぇ、どうして飲まないの? ねぇ、どうして話さないの? ねぇ、ねぇ、ねぇ。心の声で合唱して、私の頭をかき混ぜる。頭ががんがんする。皆で同じ感情を分け合ってこそ、真の共同体なんじゃないの、って?
「……ごめん、お母さんに早く帰ってこいって言われちゃった。帰るね」
「え、帰っちゃうの?」
物悲しげなうさぎの瞳。その裏に見える腹黒い本性。背筋が凍るような殺気。嗚呼、つれない奴。そんな奴は、わたしたちの仲間に迎え入れられないわ。そう言いたげに、暗闇の中で黄色い嫌悪が煌めいている。カミサマが不安そうな顔で見つめている。えぇ、自覚しなさい、あなたのせいよ。その顔すらも、女狐の狡猾さかしら。
そんなに一つに纏まりたかったら、乱交パーティでもすることね。ほら、狭い教団って、そうやって信仰を盛り上げて繋げていくのでしょう? あはっ、嗤える。
「うん。またね、お金置いておくね」
ひそひそと話し出す信者共と、得意げな教祖様。私は二千円を叩きつけて、居酒屋を後にする。大きく息を吸えば、夜中の星の涼しい香り。アルコールの臭いを掻き消すようにして、私は全身にシトラスのスプレーをかけた。酔いも冷めて、心地よい孤独に身を委ねる。
何千年も前から、人間は同じ。誰かをカミサマと崇め奉って、悲劇を持ち寄って、分かち合って、分かり合った気になる。電車に乗れば、顔も名前も知らない人々がたくさんいるのに。虫だって許可も無く光に誘われてぶんぶん飛んでる。そんな場所にいる人たちは、あなたたちの宗教なんて知ったこっちゃ無いのよ。
夜に沈むネオン街を眺めながら、それを人形だらけの箱庭のように思った。とろんとした冷たい夜風の中で、くぐもった人々の声が反響している。人々は皆、井の中の蛙なのだ。
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