コトノハ

 それは、他愛も無い誰かの言葉だ。

 燻った心臓から這い出すようにして芽吹いたそれは、膜に根を張り、どくどくと脈打ちながら包み込んでいく。やがて心臓を突き破り、大きな幹を伸ばし、枝を天に伸ばし、葉を開かせ、花となる。真っ赤に咲いた赤い花からは、ぽたり、ぽたりと同じ色の滴が溢れる。

 脈打つ心臓に深い刃を落としたそれは、ゆっくりと沈み込み、鮮血を浴びながら貫いて、膜をぱっくりと割る。割れたところからはザクロの果汁の如く赤い汁が溢れ出して、大きな染みを作っていく。そうして破れた膜がくたりと地面に両手を開く。

 それは所詮、言葉だ。言葉程度だ。なおも脈打つ心臓にそれほどの傷を負わせることができる。それが言葉だ。よれよれの皮だけになった心臓がまだ動いているのなら、大したことは無いのだろう。殺人にも殺人未遂にも当てはまることなど無い。

 人々はそんな言葉を、いとも簡単に使ってみせる。吟遊詩人は器用に歌い上げ、作家はつらつらと書き並べ、歌手は鮮烈に歌い殴り、器用に使えない者たちですらも、あまりにも当たり前のように言葉という凶器を振り回すのだ。

 言葉から成るものはなべて同じ性質を持つ。論理。学問。文学。百四十字未満のたった一つの呟きですらも、三十一文字のたった一つの歌ですらも、言葉を構成要素とするものは全て刃だ。言葉という獰猛な凶器で作った芸術作品だ。ゆえにこそ、機能的に使いこなせる。

 人間は言葉を使用する唯一の動物だという。他の動物は言葉を持っていないらしい。人間社会を作り上げる上で、そして新たな技術を継承する上で、言葉というものは大きな力を持っていた。この刃物をもってして、彼らは他の動物たちに優った。

 さて、今僕の掌には、一つの言葉で出来た文章がある。これは複数の言葉を構成要素としていて、槍の形をしている。各所には言葉で出来た美しい装飾が施されていて、凡人が作ったにしてはなかなかに良い出来だと思う。それを投げれば、放物線を描き、やがて獲物に刺さるだろう。

 別に僕は槍を作りたいわけではなかった。美しい作品を作りたかったのだ。この言葉という淡麗極まりない素材をもって、祭儀に用いるような装飾品を作りたかった。だが、気がつけば僕が持っていたのは一本の槍で、振り回せば他者の心臓を突き破り抉ることができてしまうものだった。

 各人はそうして作った言葉の塊を、気の向くままに使いこなせば良いのだと思う。別に誰かを殺すわけでもないし、罪に問われるわけでもない。刺さった人の葬式が行われるわけでもないし、返り血を浴びても気がつくことも無いのだろう。それでこそ人間であり、言葉無き世界に人間は存在し得ないからだ。

 だとしても。僕は今、手に持ったこの言葉という凶器を眺めては、悶々と、鬱々と、ずっと座り込んでいる。どれだけ自分らしく美しく飾ったそれでも、他者の心臓を穿ち、ただの皮にしてしまうことが可能なのだ。

 所詮、それは他愛の無い言葉だ。

 そういうとき、僕は人間に生まれてきたことを心底後悔してしまうのだった。

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